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「落ちこぼれ」の人生が必ずしも惨めな訳ではない

2014年07月22日 15時32分 JST | 更新 2014年09月20日 18時12分 JST
woraput chawalitphon via Getty Images

私事で恐縮だが、昨日自宅近所に住む企業経営者(便宜上A社長と呼ぶ事にする)から食事に誘われた。理由を尋ねたら、前回ハフィントンポスト経由公開の私立大学に取って死に至る病とは?が面白かったので、久し振りに私と会って話をしてみたいと思ったのだそうだ。A社長はそれなりに苦労人で感じの良い人であり、昨日は特に予定もなく断る理由もなかったので誘いに応じた。A社長の質問に答えている内に色々と興味深い発見があり、忘れてしまうには余りに惜しいし読者の皆さんにも参考になる話かも知れない。懸る理由から備忘録として記事を書く事にし、ハフィントンポスト経由公開する事にした次第である。

A社長とは?

3年前に偶然知り合ったのだが、今回のテーマ「「落ちこぼれ」の人生が必ずしも惨めな訳ではない」を地で行っておられる御仁である。年齢は50才前後で新横浜に本社を置く営業会社を経営されている。ご自宅は私の自宅マンションから徒歩5分程度の閑静な住宅地に建つ瀟洒な戸建住宅。ここから愛車のジャガーで新横浜まで通勤されている。

大阪出身で高校時代はヤンキーだったらしい。高校3年の夏頃に突然スイッチが入り、「これではいかん!」と気付き勉強したらしいが付け焼刃での大学入試は難しい。結局、大阪にある3流大学に進学したが大学入試同様就活も厳しく、何処からも内定を貰えず所謂ブラック企業と思われる営業系の会社に入社した。仕事は頑張ったみたいで、営業部長から詰めれれる事もなく順調の様であった。20代後半に有望な商品を偶然見出し、勤め先に「取扱い」を具申するも受け入れられず、それではという事で独立して自ら販売に乗り出した訳である。

最初は地元大阪で起業したが、10年ちょっと後に本社を新横浜に移し関東進出を図る。事業は順調で5年前に自宅を購入し、こちらに移り住んで来られた訳である。会社は増収増益で順風満帆の様に見える。しかしながら、A社長としては自分が全国を飛び回ってトップセールスを続けるのには限度があると感じている。一方、起業家精神は旺盛で別な事業を立ち上げたいとも考えている。既存事業を任す事の出来る人材の確保に注力しているが、中々巧く行かない。

この辺りが、早期の「雇用流動化」を期待する所以であり、私が過去に公表した「紛争解決システム」という名の「金銭解雇」について考えるであったり、成長戦略素案にこっそり盛り込まれた「金銭解雇」を熱心に支持してくれる背景である。何れにしても、A社長に最早高校時代のヤンキーの面影はない。

「私立大学に取って死に至る病とは?」の何処が面白かったのか?

A社長に「「私立大学に取って死に至る病とは?」の何処が面白かったのか?」単刀直入に質問した。これに対し2点の指摘があった。第一は下記内訳の割合である。自社の社員構成と全く同じだと指摘していた。詰まりは、優秀(20%)、やや優秀(30%)、やや劣る(30%)、落ちこぼれ(20%)というのは、自社もそうだし、殆どの企業は何処も似た様なものだろうとの指摘であった。

成績上位5名:母校の大学教授及び奨学金支給元企業幹部候補生

成績準上位7名:奨学金支給元企業幹部候補生

成績下位8名(奨学金は支給されず):取敢えず大学院修士課程でチャンスを与えるといった程度の認識・扱い

学卒で就職5名:私もこの内の一人。馬鹿でどうしようもないが卒業はさせてやるといった程度の認識・扱い

今一つの指摘は、流石元ヤンキー「落ちこぼれ」だけあって、大学院への進学を断念し「落ちこぼれ」として社会に出て行った私を含めた5名のその後がどうなったか?という事だった。古い記憶を辿りつつこれに答えている内に色々と興味深い事柄を発見した訳である。

5名の内3名は私も含め総合商社に就職した。思い出してみると、確かに3名とも体は丈夫で研究室で文献を読むよりは世界に飛び立って行った方が世の中の役に立つ様な人間ばかりであった。事実、私も含め3名全員が海外駐在を経験している。一定以上のレベルに達しなければ駐在には出さないから3名ともに落ちこぼれではない。自分の適性が研究ではない事に早めに気付き転身しただけの話である。

1名は2留した人間で大阪市役所に就職した。体育会系クラブに入部したとか、大学入学後気が緩んで遊びほうけたという訳でもなさそうだ。要は、入試は偶々巧く突破出来たが入学後授業について行けなかったという事であろう。4年で卒業すべきところを何とか6年かけて卒業にまで漕ぎ着けたという話だ。大阪市役所に就職後は苦労人でもあり、真摯に仕事に取組み一定の評価を得たと聞いている。

最後の1名は少し異色だ。高校時代テレビに関係した仕事につきたいと願っていたが、親からもっと堅実な仕事を選べと大反対され、嫌々阪大工学部に入学した人間である。さぞかし大学生活は不本意で詰まらなかった事と同情する。結局、当初の夢を叶えるため神戸に本社がある独立系U局に職を得た。

古い記憶を辿りながら、ざっとA社長にはこういった説明をした訳である。実はその際ある事に気付いた。大阪市役所に就職した人間以外の4人は同期で入学し、同期で卒業している。早い話4人とも留年していない。大学の先生方は、どうしても教え子が大学で学んだ事を活用出来る職につき、それを通して社会に貢献する事を期待する。

その路線で行くと、大卒(4年)では企業の求めるレベル達する事は難しく、大学院修士課程進学が必須となる。この事は、裏を返せば学卒で就職する学生は大学院に進学出来ない可哀想な人、落ちこぼれという認識になってしまう。確かにそういった面は否定しないが、大卒(4年)で既に社会に通用する人間に育っているという見方も出来るはずである。

人生を棒に振るパターンとは?

私は34才の時に3年半の中東駐在を終え、大阪に駐在し、当時台頭の目覚ましかったアジア市場を担当した。丁度その時、研究室で2年先輩で修士課程を修了し、私と同時期に中堅化学会社に就職したSさんが思い詰めた顔をして私を訪ねて来られた。名刺をみて直ぐ気がついたのは、Sさんは研究職が希望で研究所に先ず配属されたが、その時の所属は「新規事業開発室」に変わっていた事であった。想像するに、その部署は現在の「追い出し部屋」であろう。

多分研究所に10年弱勤務したのだろうが成果が出ず移動を余儀なくされたに違いない。30代後半でそれまでの職歴が研究職のみであれば潰しが効かない。Sさんはそれから苦難の道を歩まざるを得なかった。私が思うには、研究職で成功する人間など極僅かに過ぎない。従って、技術職であっても早い内に見切りをつけ工場勤務の様なより汎用性の高い分野にチャンスを求めるべきなのだ。しかしながら、見得や世間体が邪魔して中々決断が出来ない。そして、時間だけが過ぎてSさんの様な不幸な結末になってしまう。

不本意な内定より留年を選ぶという愚行

「落ちこぼれ」が「落ちこぼれ」で人生を終わらないために必要な事は、随分と辛い話かも知れないが現実を直視する事である。そしてその上で、自分に何が出来るのか?自分は本当は何がやりたいのか?を真摯に自問自答する事である。そして、自分の夢の実現のため精一杯努力する事である。こういう考えの私に取って、不本意な内定より留年...「卒業せず」10万人超、という大学生の姿勢は理解も出来なければ、受け入れ難いものである。

希望する企業から内定が貰えないのは所属する大学の評価が低かったり、本人の大学生活4年間の過ごし方に問題があると理解せざるを得ない。そうであれば、1年留年した所で状況は少しも好転しない。寧ろ、今年内定を出してくれた企業も来年となればそうは行かないのではと推測する。本人にしてみればレベルの低い企業かも知れないが、それが今の自分の実力と謙虚に反省し内定を出してくれた企業に就職し、A社長がそうであった様に実力を蓄え次のチャンスに備えるべきであろう。「落ちこぼれ」が「落ちこぼれ」である事を認めず、行うべき努力を怠るから本当の「落ちこぼれ」になり、その結果、人生を棒に振る事になってしまう。