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アラブの春から5年、革命記念日に怯えるエジプト大統領

投稿日: 更新:
EGYPT TAHRIR SQUARE 2011
[UNVERIFIED CONTENT] CAIRO, EGYPT - DECEMBER 16: An Egyptian protester on his knees during clashing with army soldiers inside the Cabinet Ministry headquarters that overlooks the Qasr Ainy street, off Tahrir Square. The military soldiers where throwing rocks and marble pieces from the rooftop of the building. On December 16, 2011 military police abducted a protester 'Abboudy' from the cabinet sit-in in Qasr Ainy street near Tahrir square. Abboudy was badly beaten and tortured by military forces. | Jonathan Rashad via Getty Images
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この記事は1月25日にハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

エジプトのアブドルファッターフ・アッ=シーシ大統領の政府には今、ある目標がある。それは1月25日のエジプト革命5周年記念日を、無事にやり過ごすことだ。エジプト政府は今再び、国内は全くの平穏無事であると印象づけようとしている。革命記念日が迫る中、政府は血眼になって活動家を拘束したり、タヒール・スクエアの警備を増強しただけでなく、手当り次第に民家に押し入ってはFacebookの投稿をチェックするなど、その取り締まりはサイバー空間にまで及んでいる。

このような弾圧の徹底ぶりは、現政権の恐怖心をはっきりと映し出している。一度は鎮圧したはずの動乱が再燃するのを、政府は躍起になって押さえ込もうとしているのだ。

エジプトの治安当局トップは、「さらなる革命は認めない」との声明を出したものの、アラブ世界のTwitterでは「現政権崩壊を求める民衆」というハッシュタグが密かにトレンド上位を占めた。人々が集うタヒール・スクエアは単なる広場というだけではなく、現代のアラブ民衆の精神的な拠り所的な存在だ。

egypt protest 2015
政府に抗議する若者たち。2015年6月30日、カイロのマタリヤ地区。(Stringer/Anadolu Agency/Getty Images)

しかし、あるエジプト青年のFacebook投稿は、エジプトの若者たちが現在置かれている状況をよく示している。

(前大統領の)ムバラク政権の頃は、他所の国に移住することを考えていた。今のお前(シーシ)の政権になってからは、この生き地獄と不正義から逃れるためなら、難民申請してどこにでも逃げ出したいと思っている。エジプトの若者をどうしようというつもりだ?まだ同胞を殺し足りないか?それとも、今建設中の監獄を僕らで一杯にしようというつもりか?一体僕らをどうしたいのだ?今僕は若者であることを恨む。お前が率いる国で暮らす若者であることを。

この投稿はシーシの最近の声明への反応であった。その声明の中で、大統領は若者にこう呼びかけた。「国外移住を禁じる。この国は君たちを必要としている。」シーシは2016年を「若者の年」と位置づけた。エジプト外務省は「エジプト・ベター・トゥデー」と銘打ったメディア・キャンペーンを展開し、その目玉として「2011年以降のエジプト政府の主要業績」ベスト25が発表される予定であると伝えられている。

若年層主導による熱狂的なアラブ革命から5年、アラブ地域は当の若者たちが望んだものとはほど遠い姿になってしまった。アラブの若者たちが、自由と尊厳を持って祖国で暮らせる日々を夢見たこともあったし、実際に亡命先から戻った者たちもいた。しかし、そんな若者たちが最近では「難民としての受け入れ先を求めている」有様だ。

一度は鎮圧したはずの動乱が再燃するのを、政府は躍起になって押さえ込もうとしている。

長年に渡り、若い活動家やジャーナリストたちは目の敵にされ追い回され投獄拷問、果ては殺害の憂き目に遭ってきた。その結果、彼らは沈黙するかまたは国外へ脱出するかのいずれかを選択することを余儀なくされてきた。そして今度は「エジプトに必要な存在だから残れ」とシーシは言う。何か悪い夢でも見ているのだろうか?これだけのことをしておきながら、何百万もの若者たちがまだ希望を抱いているとシーシが思っているとするなら、その愚かさと鈍感さにはあきれるほかない。

ここ2年ほどの間、エジプトでは現実離れした出来事の連続だった。それは暗い悲劇と言うよりも、むしろ悲喜劇と呼ぶにふさわしい集団ヒステリーであった。テロの疑いをかけられた者、スパイ活動で「逮捕」された者、軍予算によるエイズとC型肝炎の完治装置やら水陸両用飛行機。しかし、一見理解不能のこうした悲喜劇も、よく目を凝らせば実は予測も説明も可能なのだ。

シーシ・パラダイム


シーシは、単にエジプト軍の代表でもなければ、アラブの「アンシャン・レジーム(旧体制の意味)」の代表でもない。さらには、ムバラク時代への回帰を強引に進める反革命勢力のみを代表しているというわけでもない。シーシはそれらすべての代表である。彼の政治的信条は次のような思想に基づいている。つまり、独裁政治が安定と効率をもたらし、好戦的ナショナリズムには社会への強制が伴い、そして国家の屋台骨は人民や市民社会ではなく、確固たる支配体制であるという信条にだ。

シーシを理解するためには、政治だけではなく、アラブの春の原因ともなった一連の思想にも目を向ける必要が出てくる。人間の現状認識を左右するのはパラダイム(現実を認識したり解釈するもとになる世界観)である。社会や経済の状況が変わるにつれ、パラダイムもまた影響を受けながら、壊れ、変形し、新たな世界観が古い世界観に取って代わる。その結果、新しい現状認識が出来上がる。これはスムーズで緩やかな変化ではない。

エジプトで起きた数々のシュールな出来事は、独裁制の成功や復活ではなく、むしろその破綻を示すものだ。エジプトの安定と安心と経済発展を掲げつつも、シーシは「持続的な不安定」という逆説的な状況を作り出している。独裁制の時代は終わっているのに。しかしパラダイムは変化する前に一度壊れる必要がある。今はちょうど、狭間の時期なのだ。

破綻の兆し


壊れたパラダイムには特徴がある。すべて順調だ、何も問題はない、今が全盛期だなどという言説が声高に主張されるのが第一の特徴だ。救世主や奇跡探しがそれに続く。英雄や超人的リーダーを待望する声が聞かれ、最終的な勝利を予言したり、すべてを過去のやり方に戻すような超自然現象が望まれる。

だから、エジプトで見られたあの悪趣味極まりない「シーシ・マニア」現象も驚くにはあたらない。そのピークだった2014年5月の選挙の頃、エジプトのある新聞はシーシのことをそれこそ「メシア」、「救世主」と呼んでいた。その後の奇跡探しでは、なりふり構わず成功事例を作ろうとした。悪名高い「エイズ完治装置」に始まり、中止になった「新首都建設計画」、そしてずっと高くついた「新スエズ運河」。新運河は総工費640億エジプト・ポンド(82億ドル)を費やしながらも、収益は上がっていないのが現状だ。

現在のアラブの春は、機能不全の古いパラダイムと、これから生まれる新しいパラダイムとの狭間にある。

しかし、アラブ世界の外からすれば、この見え透いた茶番は新たなパラダイムなどには到底見えない。壊れたパラダイムに身を捧げた人々は、実に無念でならないだろう。失敗の理由のお手軽な説明には、たいてい陰謀論が持ち出される。反乱分子が叛乱や政権転覆を画策したと非難を浴びるわけだ。この説明で国際社会が納得しないときは、体制側は排他的自国優越主義という、奇妙だが有毒な論理を振りかざす

しかし、タフガイ気取りの裏には深い劣等感、つまり深手を負った自我が隠されているものだ。壊れたパラダイムの内側にいる人々がコメディアンを毛嫌いしたり、コメディに過剰に反応するのはおそらくはこれが理由だ。王様は自分が裸であることをよく分かっているし、そんな自分を指差し笑う者には我慢がならないのだ。コメディアンに最もネタを提供している政権が、彼らの脅威に最もさらされるというのは皮肉なものだ。

egypt tahrir square 2011
アラブの春の記念集会に集まるエジプト人。2014年1月25日、カイロのタヒール・スクエア。 (MOHAMED EL-SHAHED/AFP/Getty Images)

新たなる始まり


シーシ政権には心配の種が山ほどある。旧体制はもはや修復可能な限度を超えており、まだ続いているのが不思議なほどだ。ヒステリーに陥った大衆と何十億ドルもの援助があるにもかかわらず、残忍な行為と救いようのない愚行を繰り返して自己の存在感をアピール(失敗するのに)するしか能がない。旧パラダイムとシーシ体制の瓦解はもはや時間の問題だ。唯一の気掛かりは、その瓦解がどれほどの混乱を引き起こすのかだ。そしてその避けられない混乱の中で、どれほど多くの無実の人々が命を落とす事になるのかだ。

新パラダイムはまだ到来していない。若い力の多くが刑務所や遺体安置所にあり、また死や投獄や拷問の苦しみを避けて沈黙や亡命を選ぶしかない現状が続く以上、新たなパラダイムを望むのは無理というものだろう。「覚えているかい、決してやっては来なかった明日のこと?」カイロの街角の落書きだ。明日がやってくるために、何が必要なのだろう?現代を生きる私たちの重要な問いであり、そして歴史的な課題だ。簡単には行かないだろう。軟着陸も望めないだろう。でもとにかく着陸するしか方法はないのだ。

旧パラダイムとシーシ体制の瓦解はもはや時間の問題だ。

現在のアラブの春は、機能不全の古いパラダイムと、これから生まれる新しいパラダイムとの狭間にある。5年前、「私たちは月を目指して崖から跳んだ」。しかしうまくは行かなかった。イタリアの哲学者アントニオ・グラムシはこのような時代を「怪物の時代」と呼ぶ。姿を現した怪物はどれほど巨大なのだろう。いわゆる「イスラム国」という怪物が、不安定な今に乗じて勢力を広げている。私たちが着陸しないことには、不安定な時代は続くのだ。

この立ち往生がずっと続くことはない。遅かれ早かれ、私たちは着陸する。無惨な光景が広がってはいるけれど、これが私たちの未来だ。変化は崖っぷちで起きる。私たちはもうすでに崖っぷちは通過している。歴史の勝者の側に属したいと願うならば、私たちを飛び降りる前の崖の上まで引き戻すのではなく、私たちの着地を手助けして欲しいと思う。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

ハフポストUS版では、発生から5年の節目を迎える「アラブの春」についての特集を展開しています。「アラブの春」で大きな役割を果たした方々を寄稿者として招き、あの革命的な運動がアラブ世界に当時もたらした意味と、それから5年後の現在に与えている影響について考えます。
本記事の執筆者イヤド・エル・バグダディ氏は、「アラブの春」発生当時、その意義をソーシャルメディアなどで積極的に発言し、オンライン上における運動を主導しました。

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エジプト革命記念日(2016/1/25)
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