渡辺俊介、アメリカ独立リーグで奮闘 アンダースローはフォームに工夫

渡辺俊介は、メジャー傘下に属さない独立リーグの舞台で夢を追いかけている。「世界で最も低いリリース位置」とも言われるアンダースローを武器に、渡辺は日本のプロ野球で87勝を挙げた。
Daisuke Kono

渡辺俊介は、メジャー傘下に属さない独立リーグの舞台で夢を追いかけている。

「世界で最も低いリリース位置」とも言われるアンダースローを武器に、渡辺は日本のプロ野球で87勝を挙げた。緩急自在の投球はWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)でも大きな力を発揮し、侍ジャパンの優勝に貢献した。'13年オフにメジャーリーグ挑戦を表明し、'14年春にはレッドソックスのスプリングトレーニングに参加した。しかし結果を残せずレッドソックスから解雇された今も、渡辺はアメリカ球界で自らの夢を追い続けている。

「ベテランと呼ばれる年齢になって来た。若手もどんどん出て来て1軍での登板機会も減って来た。でも『まだ選手でやりたい』という気持ちが強く『この先、何がやりたいのか?』と考えたらアメリカだった」。8月には38歳となった渡辺。年齢を考えれば、かなり大きな決断だったはずだ。

「日本でやり続けるならロッテにずっといたと思う。でも新しい経験や、『メジャーでやりたい』というのが一番にあった。年齢が年齢だけに、その思いが強かったんだと思う」。メジャー挑戦の夢が一度は絶たれた渡辺が、今シーズン、プレーする場所に選んだのは独立リーグ・アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズ。かつて仁志敏久氏(元ジャイアンツ)も所属したチームだ。

「『マイナーは大変だ』といろいろな人から聞いていた。ましてここは独立リーグなので、『(メジャー傘下の)マイナーよりも過酷なんだろうな...』と思った。だから『どんな過酷な状況でも受け入れよう』と」。

チームに合流後、試合を行い、遠征を重ねるようになると、意外な面が見えて来た。「独立ですけど、聞いていたマイナーの話とほとんど一緒か、それよりも恵まれていることも多い。球場によっては食事とか本当に良いものが出て来る。だから、少なくともこれに耐えられなければマイナーに挑戦する資格はないと思った。最低条件ですね」。

地元ランカスターでは、自宅やホテル住まいではなくホームスティで生活をしている。「良い人ばっかりで自分の田舎、栃木と似ている。緑が多くて山と川とみたいな。『僕のステイ先は"当たり"だ』とみんなが言う。それぐらい良くしてもらっています」。

「ステイ先は募集があり、まずはチーム側が選別をする。そのあとステイ側に受け入れる選手を選ぶ権利がある。僕の場合は、前の選手が移籍して空いたところだったらしく、ステイ先の人がたまたま試合を見に来ていたらしい。『おもしろい投げ方をするな。ぜひうちに来ないか』」みたいな感じで呼んでくれた」。

不慣れな異国で、渡辺を最大限にサポートしてくれる人たちのおかげで、心置きなくプレーすることができているという。プロ野球時代とは投球フォームをマイナーチェンジした渡辺は、配球にも工夫をこらし、先発、中継ぎとフル稼働している。

「遅い球をしっかり制球できるように、セットから動きの小さい投球フォームにした。配球に関しても試行錯誤しながら、ようやく形みたいなものができあがって来た」。

「データが少ないことが大変だった。マイナーや独立は、どんな打者か投げてみないとわからない。しかもアメリカの打者のタイプが最初はわからなかった。その特徴をつかむまでは、最初は怖かった。ようやくアメリカ仕様の配球もできつつある」。

8勝2敗(9月21日現在)と好成績を残し、チームにもすっかりとけ込んでいる様子だ。取材中、何人もの選手たち(もちろん全員年下だ)に、いじられていた姿が印象的だった。「日本で僕の情報が少ないのは独立リーグでプレーしているからしょうがない。でも、本当に今、充実している。(野球を)心から楽しめている」。

渡辺の瞳は、文字通り輝いていた。本場アメリカでのベースボール、楽しみながら結果も残している。このまま行けば、サブマリンをメジャーのマウンドで見られる日もそう、遠くないと感じさせてくれた。

取材協力:山岡則夫@イニングス

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スポカルラボ

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(2014年9月25日J SPORTS「MLBコラム」より転載)

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