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サッカー日本代表総括 3-4-3の習熟に割いた長い長い時間の浪費

2014年07月06日 17時31分 JST | 更新 2014年09月04日 18時12分 JST
Mark Kolbe via Getty Images
CUIABA, BRAZIL - JUNE 24: Maya Yoshida of Japan (R) reacts after the 2014 FIFA World Cup Brazil Group C match between Japan and Colombia at Arena Pantanal on June 24, 2014 in Cuiaba, Brazil. (Photo by Mark Kolbe/Getty Images)

2014年ブラジルワールドカップも現地時間7月1日(日本時間2日)までにラウンド16が終了。ブラジル、アルゼンチン、ドイツ、フランスなど強豪国が順当に勝ち上がった。ただ、日本が親善試合で勝利したベルギー、コスタリカがベスト8進出を果たしたのを見ると、日本も戦い方次第ではこのステージまで勝ち上がれたのではないかと思えてくる。既に主要な代表選手はオフに入り、退任したザッケローニ監督も日本を離れて母国・イタリアへ帰国しているが、自分たちが去った後のワールドカップの行方を見るにつけ、悔しさがより一層、湧き上がってくることだろう。その日本代表を2010年10月のザック体制発足時から見続けてきたが、チーム作りの疑問はいくつかある。それを筆者なりに改めて振り返ってみることにする。

まず第一に気になるのが、指揮官が3-4-3システムを途中で諦めたこと。ザッケローニ監督は就任当初から複数の戦術を臨機応変に使いこなしたいという考えがあった。日本代表が2010年南アフリカワールドカップを4-2-3‐1で戦い、ベスト16に進んだことを指揮官も分かっていたため、まずはこの布陣をベースにしつつ、自らが強いこだわりをもつ3-4-3の習熟にもトライしようとしたのだ。

2011年アジアカップ(カタール)直前に大阪のJ-GREEN堺で行われた強化合宿はザッケローニ流の基本コンセプトを植え付けること一色だったし、東日本大震災が起きた2011年3月の合宿、6月のペルー(新潟)・チェコ(横浜)2連戦、同年10月のベトナム戦(神戸)、2012年4月に千葉県内で行われた強化合宿でもその流れは続いた。しかし選手たちは指揮官の約束事が細かすぎるあまり、実戦の場では思うように動けなかった。キャプテン・長谷部誠(フランクフルト)も「戦術を理解することは大事だけど、ピッチ上で実際に動くのは選手自身。自分たちで考えてやりやすいようにプレーしなけれないけない」と口癖のように語っていたが、本当に選手たちは戦術に縛られているように見えた。

こうしたギクシャク感をザッケローニ監督自身も感じ取ったのだろう。2012年6月にブラジルワールドカップアジア最終予選が始まると、徐々に3-4-3に取り組む時間が減ってきた。そして最終的には「時間が足りなかった」という言葉を残して、本番で使うことを断念した。実際、今大会の3試合を見ても、指揮官が強くこだわったこのシステムにチャレンジする場面は全くなかった。これについて、ザッケローニ監督の最後の会見で質問したかったのだが、残念ながらチャンスを得られないまま、指揮官は日本を離れてしまった。恐らく彼としては「思った以上に選手たちの飲みこみが悪く、勝負のかかったゲームでは怖くて使えない」と感じたのではないだろうか。

代表の活動は限られているから、できないことをしつこくやり続けていても時間の浪費になってしまう。何処かで見切りをつけないといけないのも分かる。ただ約2年も時間をかけて取り組んできた戦術を本番で全く使わないというのは、どうしても割り切れない部分がある。もっと早く3-4-3を諦めて、違った戦い方や選手起用にトライすべきだったという意見が浮上しても不思議ではない。メディアの間でもそういう話題は度々出ている。

昨年のコンフェデレーションズカップ(ブラジル)以降、ザッケローニ監督はアジアカップから固定し続けてきたメンバーをいったん白紙に戻し、柿谷曜一朗や山口蛍(ともにC大阪)、大迫勇也(ケルン)、青山敏弘(広島)ら新戦力を加えながら戦うようになった。そして本番前には、大久保嘉人(川崎)も抜擢。さらにこれまで積み上げてきた戦術に関係なく、選手たちの自己判断に任せた攻撃を認めるようになった。最終的にそうなるのであれば、3-4-3に固執していた時期を短縮して、新たな陣容や組み合わせをテストしていた方が有益だったはず。

全ては結果論という見方もできるが、ザッケローニ監督自身、ワールドカップ本番でのチームの最終形をしっかりとイメージしきれていなかったのかもしれない。そこが代表監督未経験者の難しさだったと言ってもいいだろう。ザッケローニ監督が3-4-3を諦めずにやり続けていたら、果たして選手たちはこの戦術を確実にモノに出来ていたのか...。それも気になる所だ。ザッケローニ監督が「伝家の宝刀」と言われるシステムを封印する決心をしたのがいつなのか、そのきっかけが何だったのかを確かめるという宿題が、我々メディアに残されたのは確かだ。

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元川 悦子
もとかわえつこ1967年、長野県生まれ。夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターに。Jリーグ、日本代表から海外まで幅広くフォロー。ワールドカップは94年アメリカ大会から4回連続で現地取材した。中村俊輔らシドニー世代も10年以上見続けている。そして最近は「日本代表ウォッチャー」として練習から試合まで欠かさず取材している。著書に「U-22」(小学館)「初めてでも楽しめる欧州サッカーの旅」(NHK出版)ほか。

(2014年7月2日「元川悦子コラム」より転載)

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