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【後編】ドイツはなぜ難民を受け入れるのか?政治的リーダーシップと強靭な市民社会

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本記事は前編中編に続きます。


――ドイツの市民社会はどのように成熟していったのでしょうか?

1. 移民労働者(ガストアルバイター)受け入れからの学び


戦後すぐの時期の戦争難民や被追放民受け入れの際にも、犯罪者が増えるなどの反対論が一部にありました。やはりドイツ社会にも未熟な部分はあったと思います。

キリスト教民主同盟などの保守的な勢力がある一方で、緑の党や社会民主党、左翼党などを支持するリベラル、ないしは左翼的な勢力があり、この二つの勢力がせめぎ合いながら社会が動いてきているといえます。

例えば、スウェーデンなどは社会民主主義政党が第一党で何十年も続くような国ですので、政治的地図が全然違うわけですが、ドイツの場合は二つの勢力がせめぎ合う中で、難民受け入れに対して賛成する人と反対する人が拮抗してきたと考えるのが正しいのではないかと思います。

ドイツでは各地の外国人局が、1980年代に在留資格の期限が切れる外国人労働者とその家族を出身国に返そうと、在留資格を更新しない措置をとりました。最終的に裁判で訴えることになり、家族を引き離してはならないとの判決が最高裁で出るなど司法や世論の力もあって、外国人労働者の定住が可能になっていった過去があります。他方で、移民や難民への排斥が一部のドイツ人たちの間で吹き荒れた90年代の10年間に、ネオナチや極右団体に襲撃されて殺された移民、障がい者、ホームレスの人は100人を超えます。

ドイツでは、50年代~60年代の移民労働者(ガストアルバイター)の時代から80年代~90年代の苦い体験を経て、外国人、難民とともに生きていくという意識が、時に苦闘しながら、失敗しながら着々と社会に浸透してきたといえます。

メディアも彼らを支持するようになってきましたし、反対していた市民も難民を保護する運動を認知するようになってきました。こういったかたちで市民の理解が深まってきたといえます。

2. 「連邦ボランティア制度」を通じたボランティア精神の芽生え


もう一つ付け加えておきたいことがあります。

ドイツはかつて徴兵制でしたが、兵役拒否者は学校や福祉施設等でボランティア活動をして代替する制度がありました。この制度を利用する人が圧倒的に多く、2011年に徴兵制が廃止されてからは、この制度は、月に5万程度の給料をもらい衣食住の世話を受けながら活動する「連邦ボランティア制度」として存続しています。

今回の難民受け入れでも、ボランティア希望の市民が多く、市民にボランティア精神が芽生えています。

3. 移民・難民とともに勉強した世代が社会の中核へ


また、80年代~90年代に移民、難民の子どもたちと学校で机を並べた人たち、あるいは地域で交流があった人たちが今、社会の中核を担う30代~50代になっています。難民や移民の人と共有体験の多い彼らが難民受け入れにおけるぶれない軸になってきていて、それがドイツ社会の強みであると思います。


――最近、ドイツに到着した難民たちは、いまどのような状態でいるのでしょうか?(ドイツ語学習中?生活は?)

現在はドイツ語学習をしている人が圧倒的に多いです。

職業訓練を始めた人もいますが、2~3年はかかります。ドイツでは大企業も競って、ドイツ語学習と職業訓練をセットにしたプロジェクトを難民の人たちに提供しています。このプログラムを成功して修了すれば、その企業で働けます。

自治体の中には独自に、難民申請者全員に100時間のドイツ語学習を含む難民統合プログラムを提供するところも現れてきています。2、3年経った時点でドイツ語を身に着け、職業訓練した人たちがドイツ社会に速やかに労働市場統合されるどうかが、今後の最大の課題になるのではないかと思います。


――難民申請者中の方に対するドイツ語教育は以前からも行われていたのでしょうか?

さきほどお話ししたように、これまで長い間、難民認定された人たちはドイツ語学習を受けることができましたが、申請者は対象外でした。そのためNGOや福祉団体が代ってドイツ語学習の機会を提供していたものの、社会統合から取り残されることがありました。

2015年の秋に法改正を行い、難民として定住の可能性が高いシリア、イラク、イラン、エルトエリアの4か国の出身者に限っては申請者も統合講習を受けられるようになりましたので、一部は改善されてきてはいます。

また、私が自治体で聞き取りをしたところ、自治体で、福祉団体によるものに加えて、市民が自主的に集まってドイツ語教室を開いていて、なかには定員割れの教室もありました。

社会統合政策の枠組みから外されがちな難民申請者であっても、こういったところでドイツ語の講習を受けられるようです。


――今後予想される社会統合における課題と日本がドイツから学ぶべきことは?

1. 市民がもつ「コンパッション」‐人の痛みや喜びを感じる力


一つ目は、ドイツ市民社会のもつ強靭さです。

ドイツを含めたヨーロッパと日本の難民政策の違いは、市民一人ひとりのもつ、コンパッションの力にあると私は思います。日本語では「共感」「同情」と訳されることが多いですが、もっと対等なニュアンスがあると思っています。

10年以上前にドーバー海峡を渡るトラックの中で多くの中国人移民が遺体で見つかったとき、ヨーロッパの世論は憤慨に沸き立ち、政府に行動を求める声が強まりました。メルケル首相の難民受け入れの決断も、オーストリアで放置された冷凍トラックの中から多くの難民の遺体が見つかった事件が深く影響しているとも言われています。

しかし、日本でも90年代に晴海ふ頭のコンテナの中で中国人移民が遺体となって見つかったとき、世論は沈黙を守り、人々も政府も無関心でした。

今回のドイツの難民受け入れで市民が示した行動力の背景、そして難民申請者として受け入れた以上は、人間として最低限の生活を保障するという制度の背景として、国籍や肌の色は違っていても、同じ空気を吸い、同じように痛みや喜びを感じる人間に対する深いコンパッションがあると私は感じます。

100万人を超える難民の受け入れは、ドイツでも20年前には考えられなかったことであったのに、パニックにならずに冷静に対応してきています。ケルンの事件で一時的にパニックになりましたが、そこから脱して、2016年5月の公共放送の調査では、54%の国民が難民を受け入れても大丈夫との意見表示をしています。

先ほどお話ししたように、このドイツ社会の強靱さは初めからあったものではありません。現在は、7月の難民の起こしたテロ事件で、世論には一時的に動揺が見られますが、私は今までの経験からみて、時とともに、徐々に収まると思います。先ほどあげたケルンの事件の時もそうでした。

2. 発想の転換‐難民は「恩恵」の対象ではなく、将来への「投資」


二つ目は、難民は恩恵の対象ではなく、社会にとって、将来に向けていい投資になると、発想を転換するということですね。

これは行き過ぎれば難民の人たちを利用する、ある種、新自由主義的な発想をはらむ危険もあります。難民の方はモノではありません。単純に労働力として見なすのは私も反対ですが、人口減少、少子高齢化の問題を抱えているなかで、広い意味で将来への投資であると意識する必要があると思います。

3. 摩擦や衝突を恐れない姿勢


最後は摩擦や衝突を恐れない姿勢です。

例えば難民が関わる事件が起きたらすぐにパニックになるのは、市民社会の脆弱さを表しています。偽装難民が多いと法務省がどれほど言っても、難民、移民の数は増え続けていくわけで、もう避けて通れません。

問題に向き合い、日本の市民社会もドイツのように強靱化していく必要があって、そのためには経験を積まなければならないということです。受け入れる準備ができていないと言う人がいますが、それではいつになったら準備ができるのでしょうか。

ドイツのように、まずはもっと難民の人たちを受け入れ、失敗を重ねながらも、ノウハウを蓄え、どのような受け入れ方や共生のしかたが望ましいのかを市民や行政が共有することです。それこそが「準備」です。

摩擦があるのは当たり前ですから、それを恐れず乗り越えた先に、よりよい社会統合のかたちが見えるのではないでしょうか。

久保山亮氏プロフィール


専修大学兼任講師、立教大学・津田塾大学・横浜薬科大学非常勤講師。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。ドイツ・ビーレフェルト大学大学院博士課程修了。専門は国際社会学・比較政治。取り組んでいるテーマは、ドイツ・ヨーロッパの移民・難民政策、ドイツの非正規移民及び難民への支援など。