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パレスチナ:終わりの見えない紛争と人道援助のジレンマ

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パレスチナ・ガザ地区で51日間に及んだ紛争の勃発から1年が経過した。ヨルダン川西岸地区とガザ地区ではいまも人道危機が深刻化している。国境なき医師団(MSF)は、占領状態の助長につながらない形で、人びとの傷を癒やそうと努めている。

「スカンク」の漂う街


ヨルダン川西岸のカフル・カッドゥム。車から降り立つと、糞尿と焼けたタイヤの臭いが鼻をついた。不快さとともに、この地域で対立が常態化していることを改めて認識する。一方はイスラエル人入植者とイスラエル兵、もう一方はパレスチナ人だ。

アブー・エナブさんの自宅は2階建てで、1階を住居スペース、2階を鶏小屋として暮らしている。自宅は対立の最前線に面しているが、家の外壁は、催涙ガス、燃えるタイヤ、投石などへの“防壁”としては役に立たない。イスラエル軍の部隊がたびたび敷地に侵入し、夜間に“捜査活動”を行う。ときには家の中にまで入ってくる。

家の中にまで漂う下水のような刺激臭の正体は「スカンク」と呼ばれる液体だ。家の近くでは、パレスチナ人や外国人運動家のデモや集会が毎週開かれるのだが、その集団にイスラエル軍が「スカンク」を浴びせかける。異臭が原因で、エナブさんの長男は食べ物を目にしただけで吐くようになってしまった。

イスラエル軍はさらに、「スタン手りゅう弾」を鎮圧に使用している。ある日、家のすぐ近くでこれが爆発し、長女は片方の聴覚を失った。母親は、長女が被害を受けた後、何か話そうとするたびに泣き出してしまうようになったとMSFの心理療法士に相談していた。長女は最近ようやく、泣き崩れずに自身の恐怖を話せるようになってきたという。

MSF心理ケアスタッフの苦悩


MSFは、パレスチナで医療・人道援助を必要としている人びとに向き合い、その気持ちに寄り添うことで、彼らを見守ってきた。特に、ヨルダン川西岸とガザの両地区での活動では、ここ15年、主に心理ケアを重視している。

ただ、MSFのスタッフはときに、自分たちの限界を感じている。人びとは、日々の生活の中で痛ましい出来事に直面している。MSFとしてできることは、その現実につぶされてしまわないように心のよろいを鍛えることぐらいだからだ。

MSFの心理ケアを受けている患者は、イスラエルやパレスチナの刑務所に勾留されている子どもの親、または勾留されている親の子ども、イスラエル人入植者とパレスチナ人住民の抗争の最前線で生活している一家、またはパレスチナ人の住民同士の抗争の最前線で生活している一家、イスラエル軍の夜間捜査活動や軍事活動に巻き込まれている人びとなどだ。

苦しみの根底にあるもの


MSFのスタッフは日々、占領状態がもたらす健康問題を目にしている。しかし、患者の症状の一部を治療することはできても、苦しみの根底にある原因を取り除くことはできない。

患者の苦しみが彼らの中で“日常”となっている現状を前に、MSFは自らの存在意義を問うてきた。どうすれば彼らの苦しみをやわらげることができるのか。苦痛の原因となっている勢力を助長することなく、人びとを助けるにはどうすれば……。この問いかけこそが、人道援助活動のジレンマなのだ。

ガザで起きた直近の紛争(2014年7月)から1年。MSFが抱えるジレンマは、人道援助団体だけの悩みではないのだと、もっと理解されてよいはずだ。

米国もEUも、そしてすべての国がパレスチナでの占領拡大を黙認し、人道支援や軍事支援を通じて占領を後押しし、さらには占領政策を政治的に擁護してきた。こうしたすべての国は、パレスチナ人を苦しめている責任に向き合わなければならない。

「あの子たちには希望がないのです」


MSFがパレスチナで15年以上にわたって続けてきた活動は、パレスチナ人の現実を映し出す窓だ。この15年は、封鎖、爆撃、分離壁、夜襲、その他の占領政策がもたらしてきた“破滅”の道筋をもあらわにした。

パレスチナで暮らす人びとには、大切な人が理由なく突然拘束され、無期勾留されることへの不安が常につきまとっている。

マジュダル・バニ・ファドゥルの町には、子どもたち6人だけで生活している家がある。2015年4月下旬、心理ケア調査チームと一緒にこの子どもたちを訪ねた。おじの話では、子どもたちの両親は2014年に逮捕された。母親は真夜中に連れて行かれ、判決が出されないまま勾留が続いているのだという。

子どもたちは、母親が無理やり引きずられていった姿を目撃した。いつ帰ってくるのか、誰にもわからない。長女は勉強が手につかず、二男はキレやすくなり、次女は両親の居室だった部屋で泣いていることが多くなった。「あの子たちには希望がないのです」。おじはそう語った。

心理ケアの患者数、5割が15歳未満という現実


行政措置の一環として無期限の未決勾留が行われている現状が、パレスチナの子どもたちに与えている心理的な悪影響を増大させている。イスラエルから治安違反の嫌疑で拘束されたパレスチナ人は2014年中に24%増加した。これは、さらに多くの家族が引き裂かれたことを意味する。パレスチナ人受刑者研究所(The Palestinian Prisoners’ Center for Studies)によると、イスラエル軍事裁判所がヨルダン川西岸で発令する行政勾留の件数は、2014年の51件に対し、2015年は既に319件と急増している。

イスラエル軍の存在とその武力行使が、ヨルダン川西岸で心の傷を抱える患者の病気の主因となっている。心理ケアを必要としている原因を探ると、患者の52%がイスラエル軍の乱暴な家宅捜査、42%が家族の未決勾留、35%がイスラエル軍による威嚇射撃や家宅侵入などを挙げた。

なかでも、子どもたちへの影響が最も深刻だ。2014年にMSFが対応した心理ケアの患者254人のうち、10歳未満が25%を占めていた。15歳未満まで含めると全体の半数に達した。この子どもたちの50%が睡眠障害、34%が不安感、28%が注意散漫、21%が夜尿症に悩まされていた。MSFのベテランの心理療法士たちでも、子どもたちの心の傷のひどさに衝撃を受けている。

自由を奪われた丘で


ヨルダン川西岸の一部には、根深い暴力がある。4月23日、地区南部のヘブロン市を訪れた。この日は、イスラエル人にとっては独立記念日であり、パレスチナ人にとってはイスラエルに追放されて難民となった「ナクバ」(大災厄)の日だ。イスラエル人入植者たちが中央モスクを国旗で覆っていた。翌日、パレスチナ人の若者がイスラエル人警官を刺し、その後、殺害された。

旧市街を望む丘で、1人の女性に出会った。MSFの心理ケアプログラムの患者だ。彼女は糖尿病、高血圧、血行障害に悩まされ、公立病院での入退院を何年も繰り返している。彼女は、丘の上で70年以上も続いた一家の暮らしについて語ってくれた。1984年、自宅入口の門だった場所の向かい側にイスラエル人の入植地がつくられた後も、一家はその地にとどまった。しかし、2003年以降はその門の使用さえも禁じられてしまった。

彼女は通院に限らず、外出の際はいつも裏口から出て、入植地から出るごみが散乱する未舗装の小道を抜け、救急車か、彼女のぼろぼろの車にたどりつくしかない。この車は6台目で、それまでの5台はすべて入植者に壊されてしまったのだという。かつて5分だった市場までの移動時間は、現在30分。雨で小道が冠水するが、彼女はイスラエル軍から町の下水道への排水を禁じられてしまった。

ヨルダン川西岸に迫る分断の固定化


彼女のようなケースは決して例外ではない。約17万人のパレスチナ人が住むヘブロンを、数千人のイスラエル軍に守られた約500人の入植者が取り囲んでいる。市内には18の検問所や、120ヵ所以上の物理的な障害物がある。イスラエル軍がパレスチナ人の移動の自由を全面規制すると定めた場所は市全体の20%にあたる。

入植地、間道、検問、イスラエル軍の配備などで、パレスチナ人が住める面積はヨルダン川西岸の40%に満たなくなっている。パレスチナ人の居住と移動の自由は制限されていくばかりだ。

ベドウィン(遊牧民)を東エルサレムから死海に至る一帯から立ち退かせ、エリコ市の北部に移住させようという計画も進んでいる。そうなると、この一帯へのパレスチナ人の立ち入りは禁じられ、ヨルダン川西岸地区は実質的に分断されるだろう。

丘の上に住む女性が去り際に、ますます説明がつかない事態となっているパレスチナ自治区の生活をこう表現した。「遠く離れたシカゴに行ったことはあるのに……対岸のガザには行ったことがないんですよ」

2014年夏の戦争は何をもたらしたのか


ヨルダン川西岸のパレスチナ人が、ガザへの移動を認められることはまれだ。ガザに漂う強権と包囲の雰囲気が、ヨルダン川西岸よりもましだと感じるとは思えないが。ガザに行ったとしても、2014年夏の紛争直後のような光景を目にするだけだろう。イスラエル軍の50日間におよぶ作戦で破壊された建物は、まだ1つも再建されていない。

2014年夏の紛争が話題にされるとき、世論や、国連、ヒューマン・ライツ・ウォッチなどからたびたびだされる報告書の大部分は、イスラエル軍とガザ地区を実効支配しているハマスの戦闘員の運用や戦闘の性質に焦点をあてている。重要な問題ではあるが、ガザの民間人の悲惨な現状から注意をそらすものであってはならないだろう。

戦争の被害は数字からも見て取れる。イスラエル政府の発表では、民間人5人を含む71人のイスラエル人が亡くなった。国連の2014年ガザ紛争に関する独立調査委員会によると、パレスチナでは民間人1462人を含む2251人が亡くなっている。民間人のうち、551人が子ども、299人が女性だった。負傷者は1万1231人で、そのうち3436人が子ども、3540人が女性だったという。

戦闘で家が倒壊し、パレスチナ人の142世帯のそれぞれで少なくとも1度に3人の家族が亡くなった。ガザの医療施設、交通機関、公務員が繰り返し攻撃を受け、17病院、56の1次診療所、45台の救急車が全半壊した。勤務中だったパレスチナ人の保健医療従事者も16人が亡くなった。

8月の停戦後も紛争に関連する事故が起きている。2015年5月15日、ベイト・ラヒヤ市で不発弾が爆発し、50人以上が負傷した。ガザ地区には両陣営が7000個もの不発弾を残しており、同様の事件が再発しかねない。

再建外科の待機リストに300人


パレスチナ人たちは、崩れかけた建物の上によじ登り、鉄筋や銅線など使えそうなものをがれきの山から掘り出している。イスラエルのガザ封鎖は、2014年10月にさらに厳しくなった。エジプト政府がガザ地区南部のラファフ国境検問所を、その下を通っていた密輸用のトンネルを破壊したのだ。このトンネルはガザの人びとにとって経済のライフラインだった。

エジプト政府は2015年6月に国境封鎖を解除したが、わずか3日後に再び閉鎖した。セメント、鉄筋、木材など「軍民両用」品は、イスラエルが軍事利用を警戒しており、イスラエル側の特別な許可がなければ輸入できない。そのため、ガザ地区での土木作業には、貴重なセメントに必要量以上の砂を加えて“水増し”したものが使われていることが多い。

紛争に巻き込まれて重傷を負った人を対象とした再建手術と理学療法も求められている。ガザの術後ケア診療所で出会った8歳の女の子は、イスラエル軍のミサイルの破片が背中に突き刺さり、手足の機能をほとんど失ってしまった。

2014年夏の紛争の死傷者数はいまだにはっきりとした数字がない。ただ1つ確実に言えるのは、MSFが治療している紛争被害を受けた子どもたちの圧倒的多数に、外科治療と理学療法が必要だということだ。再建外科の患者の待機リストには300人もの名前が記載されている。

外傷の手術、特に手足の切除手術を受けた人には理学療法も大切だ。徒歩や車いすで破壊された建物の合間を縫う穴だらけの道路を移動しなければならない。傷を消毒してガーゼなどで覆うときに、診療所内に響き渡るほど泣き叫ぶ子どもたち。患者たちは術後も、ひどい痛みをやり過ごす術を見つけなければならない。ハマスは、ガザ地区で鎮痛剤の依存症となっている患者が多いとの理由で、鎮痛薬の多くを使用禁止にしている。

人口の4割が貧困に


ガザの人びとは現状にめげず、打たれ強さを見せている。2015年5月、一部の住民が、がれきに囲まれたこの地区で、世界各地の人道危機を主題とした縮小版「カンヌ映画祭」を開催した。

ただ、ガザでは10歳の子どもでさえ4回もの戦争を経験している。新たな戦争も避けられないものと考えられている。紛争のたびに破壊は激化している。2014年に全壊した住居は1万2410戸。5年前の2009年は3425戸だった。

悲惨な日常が定着しているガザの失業率は44%に上昇している。人口の80%が何らかの支援を受けているが、それでも40%が貧困状態にある。

ガザ地区でロケット弾の実験が再開され、ガザからイスラエルへ発射されたことが、嵐のような応戦を引き起こした。こうした暴力行為は、一方で“抵抗”と呼ばれ、他方で“テロリズム”と呼ばれながら、結果的にイスラエル人とパレスチナ人の分離政策を推し進めてしまっている。

飲料水の取水源に海水が?


ガザ地区では軽犯罪も増加している。人為的な束縛に加え、自然の変化もガザを追い詰める。1年以内には、ガザで唯一の帯水層に地中海の水が流れ込み、飲めなくなるという。その地中海に出て行くガザの漁師たちは、イスラエルの沿岸警備隊からたびたび砲撃を受けている。

悲しいことに政治には進展がみられない。結果的に、MSFを含む世界の援助関係者は、占領コストの一部を支え、占領戦術を普及させてしまっている。国際基金で支えられている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)や民間NGOが社会的セーフティーネットを提供していることによって、人びとの苦しみが容認可能な程度に保たれているようにも思えてしまう。

だが、そうした支援さえ危機的状況にある。世界銀行の統計を参考に、2015年4月に戦後支援の実施状況分析が行われた。その際、ガザ復興のために35億ドル(約4340億円)の拠出が約束されたが、そのうち9億6700万ドル(約1200億円)しか実行されていないことが明らかになったのだ。

「イスラエル人の安全のため」は正しいか


ナブルス市近郊の夜間の住居侵入、未決勾留、ヘブロンの分離壁と検問所、パレスチナ人と医療を隔てるエルサレムの壁、ガザへの爆撃と封鎖。占領はさまざまな形態をとり、その全てが例外なく、「イスラエル人の安全のため」という言説で正当化されている。

この言説は和平プロセスには貢献していない。しかし、国際援助が結果的に、この言説を受け入れ、助長し、後押ししてしまっている。

泣かずに話し終えられるようになった少女のこと、ガザに運ばれるセメント量の少なさ、ガザとイスラエルの間にあるエレズ国境検問所を抜けてパレスチナ人の患者の搬送に関する問題などを考えたとき、「イスラエル人の安全のため」という言説は、イスラエル人とパレスチナ人の紛争の解決を阻むものとなってきた。

イスラエル人は、ガザからのロケット弾攻撃におびえ、空襲警報が心の傷となっている。住宅の建築基準には対爆撃シェルターの設置が必要条件として盛り込まれている。トンネルからパレスチナ人が攻撃を仕掛けてくるという不安も根強く残っている。

しかし、イスラエル人のそうした不安も、分離壁、検問、爆撃作戦、封鎖、住居侵入がパレスチナ人の心身にもたらす壊滅的な影響を正当化するものではない。イスラエル人の保護策は、今こそ、人道上の観点から吟味されるべきだ。

イスラエルとその支持者は、イスラエル人保護のための政策がもたらしている人的損失に向き合わなければならない。政策を陰に陽に支持してきた各国政府や国際機関も、その判断がもたらした被害に目を向けることが求められる。

人道援助も共犯なのか……?


パレスチナ自治区をはじめ、世界の紛争地に派遣されたMSFのチームは常に、援助が「害」になってしまわないよう目配りし、活動を見直している。イスラエルとの新たな紛争が遠い将来ではないかもしれず、現状で既に非常に多くの人が援助を必要としていることも念頭に、当面はパレスチナ人の心身の傷を癒していくことに注力する。

それこそが私たちの役目だからだ。実は、この役目には現場から繰り返し疑問が投げかけられている。チームのスタッフは、援助が占領を助長しているのではないかとの思いと、占領下で起きていることから目をそらしたくなる気持ちとの間で、常にもがいているのだ。しかしながら、終わりのない紛争に捕らわれたパレスチナ人の援助ニーズに応える活動として、MSFの医療・人道援助はそのつど「正当」との評価が与えられてきた。

MSFがパレスチナで活動してきた15年が示しているように、この地域でのMSFの存在は、半永久的な性質を獲得した占領状態への抵抗でもある。ガザとヨルダン川西岸の苦しみは限界に達している。しかし、この許されざる占領を国際社会が容認しているために、パレスチナ人にとって致命的な事態となっている。そして、その終わりは見えない。

本稿はForeignpolicy.comで初公開された。

◆国境なき医師団日本
国際NGO
国境なき医師団(MSF)は、紛争や災害、貧困などによって命の危機に直面している人びとに医療を届ける国際的な民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供する。医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約3万6000人が、世界の約70ヵ国・地域で活動している。1999年、ノーベル平和賞受賞。

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プロフィール

国境なき医師団(MSF)米国事務局長
ジェイソン・コーン

ジェイソン・コーンは国境なき医師団(MSF)に11年間在籍、世界の人道危機に関する広報やアドボカシー活動に従事してきた。2015年6月より現職に就任する以前は、MSF-USAのコミュニケーション・ディレクターを6年半務め、ハイチ地震などの自然災害や、小児の栄養失調、HIV・エイズ、西アフリカにおけるエボラ出血熱など多岐に渡る人道危機に関するMSFの証言活動に携わってきた。国際的な会合で人道危機、危機管理広報についての講演も多く行い、人道援助従事者に対する暴力、人道援助におけるソーシャルメディアの役割といった幅広いテーマで、国際問題の学会誌などへの寄稿も多い。

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