都市の論理と地方の非論理。衰退する地方を助けないといけない理由

人が減り続ける村の住民を支えるために、各自治体は、国は、税金を使って道路を整備し、水道管を更新し、ゴミ収集に向かい、診療所を整える。住む場所は自由だ。その地域に住む住民たちの税金ですべてが賄えているわけではない。我々の所得税の一部やたばこ税、酒税などが原資の地方交付税がその一部に含まれている。「この村を維持するために、私たちの税金を使って何のメリットがあるのですか?」

2040年には896自治体が消滅か」。5月8日のYahooニュースで取り上げられた。時事通信の記事で内容は次の通りだ。

『民間の有識者らでつくる「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也元総務相)は8日、独自に推計した2040年時点の全国の市区町村別人口を発表した。10年から40年までの間に若年女性が大幅に減少する896自治体を「消滅可能性都市」と位置付けた上で、このうち40年時点で人口が1万人を切る523自治体は「消滅可能性が高いと言わざるを得ない」と指摘した。』(2014年5月8日、時事通信

総務省によると、全国の自治体の総数は1716(2014年4月現在)。この推計では市区町村1800自治体を対象にしたそうだ。半数を超える自治体に消滅可能性がある、としている。

今回はこの推計に関して分析するわけではない。これだけの自治体を「消滅可能性が高い」と指摘されたことが関係している。

普段は地方紙で記者をしている私は、常にこの「消滅する可能性」と向き合わざるをえなかった。全国あらゆる自治体に消滅の可能性があって、すべての市町村やそれを構成する地区、山村、集落で今と同様に人が生活する場として残り続けることは、おそらくあり得ない未来だ。

人が減り続ける村の住民を支えるために、各自治体は、国は、税金を使って道路を整備し、水道管を更新し、ゴミ収集に向かい、診療所を整える。住む場所は自由だ。その地域に住む住民たちの税金ですべてが賄えているわけではない。我々の所得税の一部やたばこ税、酒税などが原資の地方交付税がその一部に含まれている。

「この村を維持するために、私たちの税金を使って何のメリットがあるのですか?」

取材していこの疑問がどうしてもぬぐえなかった。だから、今回、「この地域を人が住む場所として残していかないといけない理由はありますか?」と聞いてみた。

高台から土佐山村を望む。険しい山地に家が点在している

舞台は高知市から車で約30分かかる土佐山地域だ。2009年に高知市に合併するまでは土佐山村だった。地域人口は約1000人。合併前は1300人ほどだったから、5年間で約20パーセントが減少した計算になる。全国に数多ある山村地域。ジャーナリストキャンプのメイン会場になったという理由だけで、私はこの失礼とも思える質問を、住民たちにぶつけた。

中川をよくする会の懇親会。乾杯のかけ声で紙コップを掲げるメンバーたち

◆消滅可能性を受け入れる土佐山の住民たち

乾杯のかけ声とともに場がにぎわう。4月27日、土佐山の西側にある中川地区の住民団体「中川をよくする会」の懇親会に赴いた。テーブルには大きな漆塗りの器に刺身が盛られて弁当が並んだ。「草刈りやっても飲み会、蛍まつりやっても、何かことがあれば飲む」とメンバーの女性が赤い顔で笑った。

中川地区は久万川・中切・東川の3地区の総称だ。1966年まで3地区を校区とする小学校が統合された。じわじわと人口が減少していき、離村を考える住民もでてきたという。衰退を食い止めようと、地区の拠点となる施設を立ち上げようとして住民たちが立ち上げたのが「中川をよくする会」だった。

「みんなが一緒にならないと、という意識が強いな」と語るのは元村議会議長の鎌倉寛光さん(73)だった。取材を申し込むとビールを片手に別室に案内された。

-この村がなくなるかもしれないと考えることはありますか?

「時代の流れとしてやむを得ないかなと思えるな。ただ、目が黒いうちは残しておきたいし。先のことはわからんけど、存在するのであれば、今を一生懸命生きるだけや」

-離村を考えたことはありませんか?

「いろいろな事情で出た人もおる。現実やもん。若者が出て行って悲観することもない。若者も若者なりにがんばっとる。戻るの強制しても楽しくないやろうし」

一番の思い出を訪ねると、オーベルジュ土佐山の話になった。中川地区にあるホテルだ。学校に代わる地域の拠点施設と位置付け、中川をよくする会と当時の土佐山村、地元ホテルなどが共同で、10年がかりで協議を進めて1998年に完成した。客室数16室の小さなホテルに現在でも年間1万人近い宿泊客が全国から訪れる。

「楽しかったな。ワークショップやって。老人、青年、女性とグループ作ってわかれて、どんな施設がいいか話した。やりはじめたら一番の励みになって、地域ぐるみで突っ走った。過疎で高齢化だから、マイナスからの出発みたいなもん。失敗しても失うものはなかったっちゃ」

当時を思い出しながらしみじみと語る。公民館の扉の上にかけられた賞状を指さした。「大臣賞をな、もらった。評価された。それがこの村の最後の思い出やな」

大臣賞とは2004年度に受賞した「地域づくり表彰国土交通大臣賞」のことだ。最後の思い出とあっさり語った。「あきらめてるんですか?」と尋ねると「そういうわけではないけどな」と小さく笑った。

宴会場に戻ると酔いが回った参加者の声はさらに大きくなっていた。座は乱れて、テーブルの上に醤油がこぼれていた。

「記者さんも食べえや」と声をかけられて、再び座った。

「どこからきたんやっけかな」と話しかけられて振り向いた。短い髪にがっしりとした体つきでにこやかな笑顔をした鎌倉聡さん(57)だった。有機作物を栽培して販売する夢産地とさやま開発公社の研修生として、1カ月前から農業に従事しているという。

「有機は収入が低いき。理想を追いすぎてる気もするな。でも、求める方向は間違ってない。産地と消費者をどうつなぐかや」

父は土佐山村の村長だったという。有機農業の旗を振った人だった。昔はよく激論を交わした。「どうにかして儲けなあかん。人は食っていかんと生きていけんき。お金をとらんとどうやって生きていくんき。現実は現実っちゅうて。お金だけでもあかんし、夢だけでもあかん」

-そのバランスをどうやって整えるんですか。

「難しい話。それをやらんと人は生きていけん」

-土佐山で生活できないと過疎化は止まりません

「人口は減っていく。日本中で。全部ノーマルに日本全国が残っていくっていうのは無理だよね。それはどうしようもないよね。たとえば、草津温泉とか、富士山のふもとの町は残ってく。人の熱意か特産か特徴がないと。

そんじゃきよ。なんもなくても人はおる。最初は人や。だから、子供が育てられる地域じゃないとあかん。子供がおらんといかん」

-若者がで出て行っている状態で子供は増えませんよ。

「大都市に人口集中するのは避けられないから」

-じゃあ、やっぱりこの地域はなくなるかもしれませんよ

「難しい話だ」

-離村される方もでるかもしれません。それについてはどう思いますか?

「離村を選ぶことは悪いとはいえん」

-この地域を残す必然性ってあるのでしょうか?

「ここで生きていきたいき。福島の人も一緒やろ。生まれたところで、知ったところで、居心地がいいところで生きたいき。」

-では、今住んでいるみなさんが亡くなったあとは、この地域から誰もいなくなっても構わないということでしょうか?

意地悪な質問の連続だった。

鎌倉さんは一つ息をはいて視線を外した。「永続してほしいがやね。誰かが住んでてほしい。この地区は続いてほしい」

土佐山が、中川地区がなくなるかもしれないという思いを抱いていた。だが、それがいつかはわからない。この地域が残る必然性はありますか?という質問に「そんなもんわからん」と答える人もいた。

うなずくしかない。高知市から車で約30分。辛口のジンジャーエールが有名だ。全国から客が来るホテルがある。だから、この地域は残す、という選択にはならない。だが、それは住人たちも十分理解していた。

◆人が減り続ける集落を維持する必要性

私は兵庫県北部の人口1万人程度の地方都市で生まれ育った。平成の大合併で、町の名前はなくなった。喪失感があった。同じ小学校で学んだ約70人の同級生のほとんどは故郷から離れている。地元に残ったのは10人ほどか。故郷の住民が減り続けている。このままでは誰も住まなくなってしまう。だから、戻ってきてほしい、と懇願されたとしても、私は戻らない。自治体として立ち行かなくなり、地図から故郷の町の名が消えてしまったとしたら、それは寂しいが、それだけだ。

山奥の集落で取材するのは楽しい。土佐山と同様に一緒にご飯を食べて、酒を飲んだりした。ベストセラーになった「里山資本主義」でも、著者のNHKディレクターが、地域の人と交流に魅力を感じている描写がある。この本の内容全体を言い表す描写ではないが、「ああ、一緒だな」と印象に残った。

どれだけ魅力を感じても、それが補助金を与える理由、税金を投じる理由にならない。本当にその村がなくなったところで、村に縁もゆかりもない人が心を痛めることはない。

「そんなの許せませんね」。高橋光代さん(77)はきっぱりと言った。土佐山で生まれ育った。小学校2年生で養女に出て、土佐山を離れた。炭火焼きを手伝いながら定時制高校に通ったが3年生で中退した。19歳で帰ってきた。実家が恋しくなって、という。村にあった和裁の学校に通い、20歳で嫁いだ。1男1女をもうけた。まだ道は舗装されていない。街に用事があるときは、オートバイの前と後ろに子どもを乗せて、獣道のような道をくだった。

息子は50歳近くになるがまだ結婚はしていない。娘は結婚したが、孫が4歳のときに他界した。母親代わりに孫を育てた。ドッジボールの大会で愛知まで行って若い親たちと一緒に声援を送った。卒業式に出た。成長した孫。今ではひ孫がいる。5月3日には顔を見せにくる。

毎日のように土佐山の旧村役場近くのBALに顔を出す。地元の野菜の販売と、カフェコーナーがある。友達と他愛もないおしゃべりをする。

全然、出て行こうと思ったことはない。空気がいい。地域のみんなの仲がいい。住んでいる集落は10年ほど前は60戸あったが、今では43戸になった。人が減っているのはわかる。

あー時代かー、時代の流れかー、と友達と口をそろえる。

でも、「土佐山を捨てたらいかん」。田舎あっての都会だと思う。土佐山はいい、ていうてる人もいる。「そういえば、京都から移住を考えてる人が今日来てるらしいんですよ」とBALの店員が声をかける。ほらね、とにこりと笑う。「希望は捨てたらいかん」

◆都会と田舎の間にある溝

私の考えと土佐山の住民たちの思いの隔たりは埋まらなかった。私のような考え方は合理性を求める都市的な考え方と思っている。土佐山で出会った人たちは、人とのつながりや故郷への思いに大きく重心が傾いている。都市の論理で田舎の人は説得できず、同時に田舎の論理で都市を説得はできない。

この溝を埋めずに放置してもいいのか?放置したら、消えていくのは田舎だけだ。だが、田舎が消えると、地方から人口を吸い上げてきた都会自体も、いずれは立ち行かなくなるだろう。もし地方が生き残りたいと願うなら、その現実を都市住民にわからせることが必要だ。そのためには、「日本の原風景を守る」「ふるさとを守る」という心に響かない抽象的なキャッチフレーズはやめるべきだ。高橋さんの「田舎あっての都会でしょ」。この言葉に現実味をもたせることが一つの道筋だろう。

(この記事はジャーナリストキャンプ2014高知の作品です。執筆:中尾悠希、デスク:島洋子)

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