読者は顧客だ、それとも顧客が読者?

簡単な「顧客関係管理(CRM)」(顧客のデータベースを基に、個々のニーズに即した対応を実施して、顧客の満足度を高め、会社の収益性を向上させる仕組み)ツールを使えば、収入は何百倍にも増える可能性がある。ベゾスはこれを良く知っている。彼のメッセージはシンプルだ。どの消費者も特異な顔を持つ読者だ。だから、よく理解し、特異な読者として扱われるべきなのだ。

英国の彫刻家で書体デザイナーのエリック・ギル(1882-1940年)は、かつてこう言った。「アーチストとは特異な人間ではない。どんな人も特異なアーチストなのだ」と。

米アマゾンのジェフ・ベゾスによるワシントン・ポスト紙の買収話が報道され、ベゾスがポストのスタッフにあることを語ったそうだ。読みながら、ギルの言葉を思い出していた。

ベゾスはスタッフにこう言ったという。「『読者』を『顧客』に置き換えてみてほしい。この考え方はポスト紙でも成功するのではないか」。

こんなに本質を突いた表現にぶつかったのは久しぶりだ(だからベゾスが金持ちで、自分はそうではないのだろう)。

ギルの言葉を若干変えれば、読者とは特異な消費者ではなく、すべての消費者が特異な読者なのだ。

例えば、読者はデジタル情報の読み手であったり、社会的な活動家であったり、親だったり、車の買い手だったり、年金生活者、若者だったりする。ものやサービスを売ろうとする側にとっては、顧客になる。

読者と顧客を並べたベゾスの発言で、新聞業界が抱える悩みが改めてはっきりしたように思った。

新聞を制作する側はオンラインの自社サイトに、顧客つまり読者をひきつけようとするもの、客は長時間サイト上に滞在してくれない。これが悩みだ。どうしたらいいのだろう。

ベゾスやアマゾン・キンドルの世界では、顧客は本をダウンロード購入してくれる。買った後で全頁読むかどうかは別の話だ。私自身が、買った本すべてを最初から最後まで読んだかというと、そうではない。紙の新聞でも、読者が読むのは全体の4分の1と言われている。ネット上ではこの比率はさらに減少する。

ウェブサイトに来た読者は2-3分はサイトにとどまって、2-3ページぐらいは読んでくれるかもしれないが、その後でほかに面白いものを読むために移動してしまう。新聞業界はいかに読者に長くサイト上に滞在してもらうかで知恵を絞っているところだ。

もう何十年か前の話になるが、ある新聞のやや傲慢な編集長が私に「新聞を『製品』と呼んではいけない」と言ったことがある。

この発言の前に開かれた会議の席で、私はその新聞の読者40人に他紙を読んでもらい、感想を比較してはどうかと提案した。編集長の反応は「そんなことをしたら、読者40人を失ってしまう」だった。本当の話である。

次の会議で、私は新聞を「製品」と呼んだ。編集長は「部屋から出て行ってくれ」と私に言った。

あの時、私が読者を「顧客」とか「利用者」と呼んだら、一体どんなことになっていただろう!時代はずいぶんと変わったものである(変わった「はず」だ)。

米マーケティング学者フィリップ・コトラーは、「製品」には3つの層があるという。

1つ目は製品としての本質、「核」だ。新聞業ではニュース、影響力、情報を届けることに相当する。

2つ目は形態だ。製品のブランディング、スタイル、パッケージ、イメージなど。

3つ目は付随部分で、配信、設定、価格付けなど。

最初のニュース、情報を届けるという点は明快だろう。しかし、2つ目や3つ目はどうだろう。

その製品(=新聞)を利用しているとき、ブランドは顧客の頭に上るだろうか?

紙媒体のあるいはデジタル版の配信は最高水準を維持しているだろうか?

ごく少数の例外を除いて、新聞は自分たちのブランドやコンテンツを広めることに努める一方で、印刷版とオンライン版との間の真の会話や双方向の関係を築こうとしてはいないようだ。コトラーの言う基本原理がどこかで失われてしまったように見える。

前向きの部分に注目してみよう。

新聞は世界でも最も可能性があり、影響力がある媒体であることは確かだ。これを改めて思い出させてくれたのが、スコットランドでBBCの時事番組に出演したときだった。スコットランドでは英国からの独立を目指す動きがあるが(実現はしないと思う)、この問題を議論するために新聞はもはや適していないという主張に反論するために、番組に出た。

「出演中のBBCの番組の視聴者は平均で7万5000人だが、スコットランドの住民の75%(約300万人)が新聞を読んでいる」、と私は指摘した。スコットランド最大の都市グラスゴーでは16紙が発行され、互いに部数を競っている。「このグラスゴーよりも競争が激しく、活発な新聞文化を持っている場所はほかにないのではないか」―。

最初のギルの言葉に戻ると、どんな人も特異な種類の読者なのだとすれば、どんな読者も特異な顧客になる。この点の活用が新聞業界の挑戦であり、成功につながる機会にもなる。

インターネットが新聞の顧客を自由にしたのは事実だと思う。ネットで情報が取れるので、紙の新聞を読まずに生活を続けても良くなった、という意味においてだ。

ネットでニュースを読む人と紙の新聞でニュースを読む人の読み方に注目してみよう。

米コムスコア社によれば、ニュースサイトへの訪問数は月に平均8.4回。1回の訪問につき、閲覧するのは6ページ、1ページを読むのに42秒が費やされる。私自身が集めた資料では、紙の新聞を読む人は月に平均24回新聞を手に取り、1回ごとに22ページに目を通す。1ページを読む時間は85秒だ。

デジタル版からの収入は滞在の長さと相関関係があるが、紙媒体の販売や購読収入の数パーセントだ。ほとんどのメディア所有者にとって、オンライン版からの広告収入の比率はまだ小さい。例外はグーグルぐらいだろう。

しかし、簡単な「顧客関係管理(CRM)」(顧客のデータベースを基に、個々のニーズに即した対応を実施して、顧客の満足度を高め、会社の収益性を向上させる仕組み)ツールを使えば、収入は何百倍にも増える可能性がある。

ベゾスはこれを良く知っている。彼のメッセージはシンプルだ。どの消費者も特異な顔を持つ読者だ。だから、よく理解し、特異な読者として扱われるべきなのだ。

(翻訳:小林恭子

注目記事