先日の記事「やはり、政策を論ずるヤジは必要!」はハフィントン・ポストやBLOGOSにも転載され、たくさんのご意見をいただきました。誠にありがとうございます。
炎上覚悟で書いた記事でしたが、思ったよりもご理解いただけたご意見も多く、まずは書いた甲斐があったと思っています。
ご意見にひと通り目を通させていただきまして、その上で、「なぜヤジが必要か」をもう一度整理したいと思います。
■「その場でのリアクション」を見せることで、言葉を別角度から見せる
「その場でのリアルタイムなリアクション」...言葉を変えれば「ツッコミ」は、非常に重要です。
ツッコミがなければ、言葉の本質(お笑いで言えば「ボケのおもしろさ」)が理解されないまま流れてしまうおそれがあります。
ツッコミという「合わせ鏡」があるからこそ、言葉を瞬間的に別角度から見ることができ、その言葉についての理解が深まる(お笑いで言えば「ウケる」)のです。
このリアクションは「その場」で行わなくてはなりません。
タイミングを外したら効果はありません。
自分の発言の機会に反論...とか、文書で反論...とか、やったっていいんですが、そういう方法をとってしまうと「その場でのリアクション」とは別物、別の効果を持つものに変質します。
これは「言葉とはそういうものである」と理解していただく他ありません。
「子どもには人の話を静かに聞けと教えているのに、この議会の有り様は何事か」
といったご意見もありましたが、議会は「学級会」ではないのです。
ルールは守るものであるという前提を知りつつ、自分を支持してくれた有権者のためにギリギリを狙い、使える手はすべて使って成果を追求する。
これが責任ある政治家の態度だと私は考えています。
おとなしく座って聞いてて、表決のときだけ立ったり座ったりするだけの議員に価値があるでしょうか。
議会がただそれだけの場になってしまったら、役所有利になります。
議会が何の波風も立たず粛々と進んでいくことほど、役所にとって都合のいいことはありません。
「格調高く」などと形式にこだわっていても、住民にとっていいことはないのです。
■別角度から見せて「先々の展開を変える」
「ヤジなんか飛ばしたって、賛否が変わるわけではない。無意味だ」というご意見もありました。
それは確かにそのとおりで、原稿も用意してきているわけですし、ヤジが飛んだからといって賛否を変えるということはありません。
しかし、ヤジはその場の賛否を変えることを狙っているのではありません。
その質問なり討論なりに適切なツッコミを入れることで「先々の展開を変える」のが目的です。
例えば、私の討論に対して、会派を超えて「そうだそうだ!」というヤジが轟々と巻き起こったら、役所にとっては強烈なプレッシャーです。後々、私の意見を採用するなり、妥協するなり、私と話し合うなり、何か対応を取らなければならないと感じるでしょう。
逆に、私が自信を持って準備した討論に対して、会派を超えて「何を言ってるんだ!」「ふざけるな!」というヤジがガンガン飛んできたら、さすがに私は考えます。あれっ、何か間違ったことを言っただろうか? 自分の意見は普遍的なものではなかったか? と。
以後、意識的にか無意識的にか、同じトーンで討論をすることは避けようとするのではないかと思います。
つまり、その場の賛否ではなく、先の展開が変わっていくわけです。
人間は字面で決断するわけではありません。最終的には、理詰めに加えて、感情も入って決断するのが人間です。
人間相手に自分と自分の支持者の思いを通そうとするのであれば、自分と相手の感情をどうコントロールするかが非常に重要であり、そのために使える方法は使っていくべきだと私は考えています。
なお、一問一答方式の応答であれば、ヤジによってその場で展開が変わることもあります。
板橋区議会では予算審査特別委員会・決算調査特別委員会の総括質問が一問一答方式です。
実際に、私の飛ばしたヤジで、登壇している議員の質問が微妙に変化したこともありました。
■「ヤジは議会の華」という言葉は、もう捨てよう
先人たちは、こういう機微を指して「ヤジは議会の華」という言葉を生んだのかもしれませんが、この言葉だけがひとり歩きし、とにかくヤジを飛ばしゃいい、おもしろいことを言えばいいみたいな誤解が広まってしまったのであれば、この「ヤジは議会の華」という言葉は、もう捨てたほうがいいのかもしれません。
最初にお笑いになぞらえた説明をしてしまいましたが、議会において「単なるおもしろヤジ」は不要です。
ヤジは議会の文化だから残せ、みたいな議論になってしまうと本筋を外します。
不規則発言と知りつつ、使えるものは使って有権者の負託に応えるという覚悟がヤジには必要だと思います。
■NGなヤジは何か?
ヤジは必要だというご説明をしてきていますが、言うまでもなく「それはNG」というヤジがあります。
政治家であれば、ヤジであれツイートであれ、すべての発言に責任を持つべきだと思います。
「今のヤジは誰だ」と聞かれて「私だ」と名乗れないようなヤジはすべきではないでしょう。
人格否定、ハラスメント、プライベートの攻撃は論外です。
社会人として当然のことです。
都議会はこの当たり前のことができてなかったのだから、叩かれても仕方ありません。
無関係のことを持ち出すのも、あまりいいとは思えません。
もうひとつ、とにかくでかい声を大勢で張り上げて「音量だけで登壇している発言者を妨害」、これもアウトでしょう。
こんなものはディベートではありませんから、これまた当然です。
■まずは自浄努力を、そして議長の存在感発揮を
今回の都議会ヤジの件は、国会から地方議会まで、議会運営のあり方を見直す契機になったのではないかと思います。
板橋区議会でも、25日の本会議に先立ち、あまりにひどいヤジは議長から注意すると申し渡されました。
国会については、正直申し上げて、あまりいい状態ではなかったと思います。「音量妨害」にあたるのではないか、と思われることが散見されます。
しかし今回の一件で、安倍首相が頭を下げる事態にまでなったことは大きいと思います。
国会運営もぜひ見直してほしいものです。
特に、我が民主党も、決して質のいいヤジばかりではなかったことは反省しなければならないでしょう。
まずはそれぞれの自浄努力を行うべきです。
その上で、各議会の議長が毅然とした対応をすべきでしょう。
どのヤジがNGでどのヤジが許されるかは、どうしてもグレーゾーンが残ります。極力、議長がその場で判断して注意すべきです。
議長の判断によっては「不規則発言は一切許さない」とすることだって可能です(そこまでする議長はほとんどいないと思いますが)。
議長は単なる当て職ではなく、民主主義の重要な担い手でありますので、議会の風土改革に大きく存在感を発揮していただければと願っています。
中妻じょうた 板橋区議会議員
(2014年6月27日「中妻じょうたブログ」より転載)