【8/15】もう謝罪したくないなら、政府として戦争を総括するのです!

安倍談話に現れた歴史認識の本質的な問題を指摘したいと思います。

8月15日になりました。

昨日は「安倍談話」が発表されました。いわゆる「4つのキーワード」が盛り込まれましたが、やはり言葉とは恐ろしい。本心は隠せないものです。

Wikipediaより転載した、玉音放送の原稿です。

昭和天皇陛下のご署名と印が、重いですね...。

昨日発表された「安倍談話」について、既に様々な議論があります。私はNHKのニュースを見ましたが、「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」といういわゆる「4つのキーワード」がすべて入っており、評価できる内容だというような論調でした。

この安倍談話が、今年初頭に想定されたよりもだいぶマイルドなものであったことは一定の評価ができます。安倍首相にここまで殊勝な談話を出させたのは、広範な世論の力でありましょう。

ただ本来、言葉とは「ある単語が入っているかいないか」で評価されるものではないはずですよね?全体の文脈を捉える必要があります。そうしたとき、国会質疑において何度質問されても断固として「国策の誤り」を認めなかった安倍首相の本心は、やはり浮き上がって見えてきます。様々な指摘が既にされていますが、私としては、安倍談話に現れた歴史認識の本質的な問題を指摘したいと思います。

安倍談話の全文および談話発表後の記者との質疑応答については、ハフィントン・ポストの記事を参考にしています。

「あいつらも同じことをやってたじゃないか」

安倍談話を冒頭から読んでいって、最初に引っかかったのは次の部分です。

『100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が日本にとって近代化の原動力となったことは間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は植民地支配のもとになった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。世界を巻き込んだ第一次大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。』

まるで、日本が西洋から押し寄せる植民地支配の波を食い止めたリーダーであるかのような表現です。「植民地支配」って単語、そういう使い方するんですか??

私たちが勉強してきた、歴史の教科書をもう一回ひもときましょう。

歴史的事実をすっ飛ばして日露戦争のことを言っていますが、その前の「日清戦争」はどう説明するんでしょうか?日本は朝鮮半島での権益を守るために出兵して清国と衝突、日本と清は戦争となり、8ヶ月に渡る戦争に日本が勝利。下関条約によって、日本は台湾や遼東半島を清から譲り受けました。

そしてこの遼東半島がロシア・ドイツ・フランスの三国干渉によって清に返還され、遼東半島でのロシアの権益が増す中で、日露戦争が起こったわけです。日露戦争に辛くも勝利した日本は、ポーツマス条約によって、朝鮮半島における優越権、南満州鉄道の一部、南樺太を獲得することになります。

これのどこがアジア解放のリーダーなのでしょうか。まさしく日本も植民地政策によって国力伸長を図っていたのでしょう?それが明らかな歴史的事実というものです。日露戦争に勝利した日本をアジアやアフリカの国々が「西洋列強に勝利した日本!」と評価してくれるのは、言ってみれば「ありがたい誤解」にすぎません。

まさにここをごまかしたいのが、安倍首相の思想の背後に横たわる「歴史修正主義」です。安倍首相は談話発表後の質疑応答で「具体的にどのような行為が侵略になるか否かについては、歴史家の議論にゆだねるべきと考えます」と答えています。日本のやってきたことが「侵略」であったと、決して自ら認めようとはしないわけです。

「何も日本だけが悪いわけじゃない。植民地政策は当時の列強の常識であって、日本はそれにならったにすぎない」という意見もあるかと思います。それはそのとおりではあります。しかし、植民地政策の反省は当該各国それぞれで行うべきであって、他の国が植民地政策をやっていたから日本もそれにならっただけだ...などという主張を繰り広げたら、無責任の誹りを免れません。

たとえて言うなら、スピード違反でパトカーに捕まって切符切られている最中に「ほらあの車も、あの車も明らかにスピード違反じゃないか。あいつらは捕まえないのか」とごねるようなものです。他人のことをとやかくいう前に、自分のやったことに責任を取らなくてどうするのですか。

その上、いつのまにか自分を「アジア解放のリーダー」にすり替えるなど、盗人猛々しいというものです。

「差別」と「自惚れ」を根底に持つアジア主義など、受け入れられるはずがなかった

「西洋から押し寄せる植民地支配の波」に対し、アジア諸国で力を合わせてそれを弾き返そう、という主張が当時ありました。興亜論、八紘一宇、大東亜共栄圏...。こうした主張は、なぜ他のアジア諸国に受け入れられなかったのでしょうか?

それは上述のとおり、日本が中国や朝鮮半島に対して武力での権益獲得を推し進める「押し売りアジア主義」を行ってきたからです。「アジアの同胞」と言いながら武力制圧を是とする背景には、「あいつらは俺たちがやってやらなきゃだめなんだ」という見下した態度...すなわち「差別」と「自惚れ」の心が、抜きがたく存在していたのではないかと思われます。

8/11の記事でご紹介した佐藤忠男「草の根の軍国主義」には、当時の日本政府のみならず、庶民に至るまで日本人全体に、このような差別意識が蔓延していたことが示唆されています。

『いったいわれわれ日本人は本当にアメリカを憎んでいたのか。実は憎んでなどはいなかった。中国人も憎んではいなかった。ただ、中国人や朝鮮人に対してはひどい差別意識を持っていた。戦争というのはいつも中国大陸でするものだと思っていましたし、そこは日本軍が自由に動きまわってかまわない場だと思っていて、抵抗する奴はこらしめてやればいいのだと思っていた。それをアメリカに止められたとき、われわれは逆上しました。アメリカに戦争をいどんだのは、中国人や朝鮮人を軽蔑することでやっと手に入れた世界の一等国民という自惚れをとりあげられようとしたことへの愚かな意地だった。』

ここにこそ、私たち日本人の真の反省点の一端があるのではないでしょうか。そして、この反省点は、いまは解消されているものなのでしょうか。

政府として戦争総括を行い、「行動」によって示すのです!

安倍談話の中には、議論を呼ぶであろう、以下の一文があります。

『日本では戦後生まれの世代が今や人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちを、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかしそれでもなお私たち日本人は、世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。』

安倍首相が本気で「次の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と考えているなら、戦争の責任を他に転嫁したり、「何が侵略かは歴史家の判断に委ねる」などと逃げている場合ではありません。

大変恥ずべきことに、日本政府はこの70年にわたって、政府としての戦争総括を行っていません。過去の首相答弁では「様々な論点があるから」などと逃げまわっています。

いくら謝罪しても納得してもらえない原因は、ここにあるのではないでしょうか?

いくら口先での謝罪をしたところで、「なぜそうなったのか」「どうすればそうならないのか」を明らかにしなければ、「いずれまたやるんじゃないか?」と思われてもしかたがないのではないでしょうか。

相当遅きに失しましたが、それでもやるべきです。この70周年を期に、政府として、戦争の総括を行うべきです。

「なぜそうなったのか」「どうすればそうならないのか」という総括から「アクションプラン」を作り、日本がそのアクションプラン通りに改革を進めているかどうかを諸外国から見てもらうことで、日本が本当に戦争の反省の上に立って、二度と戦争をしない国をめざしているのだということを「行動」によって示すことができるのではないでしょうか。

(2015年8月15日「中妻じょうた公式ブログ」より転載)

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