今の日本に本当に必要なのは、誰に何の教育か?

製品には、プロダクト・ライフ・サイクルというのがあります。「導入期→成長期→成熟期→衰退期」という単純な流れなのですが、ご存知でしょうか?

あなたは、今の日本をどう思っていますか?

肯定的にとらえますか?

それとも、否定的にとらえますか?

2015年の今年、戦後70年を迎えました。

日本は戦後70年間、素晴らしい制度の下で、平和を謳歌しながら、繁栄してきました。しかし、時間の経過と共に、世の中は変わります。この70年で、外部環境や内部環境が大きく変わりました。

外部環境として、世界が変わりました。内部環境として、日本や日本人が変わりました。世の中が変われば、社会の枠組みである制度も変化させる必要があります。何ごとも、時代に合わせて変化させなければ機能しなくなります。

製品には、プロダクト・ライフ・サイクルというのがあります。「導入期→成長期→成熟期→衰退期」という単純な流れなのですが、ご存知でしょうか?

実は製品だけではなく、組織や制度にも寿命というものがあります。教育制度も、けっして例外ではありません。戦後70年間、現在の教育制度は素晴らしい機能を果たしました。しかし、今は変化が必要なのです。

しかし、どう変わればいいのでしょうか?

昨今、その議論が非常に多くなりました。あなたの身近でも、こんな議論はありませんか?

デンマークの教育がいい、オランダもいい、フィンランドだ、いやいやドイツだろ、最先端はアメリカだよ、なんて声はそこら中から聞こえます。そして、交渉力だ、ディスカッション力だ、プレゼンテーション力だ、ロジカルシンキングだ、なんて、技術の話もたくさん聞きます。はたまた、つめこみ授業で正解を導くのはうまいが、正解のないことには答えを出せない、だから反転授業だ、ワールドカフェだ、ICTを活用しようなんていう方法論もたくさん出てきます。

すべて大切な議論だと思います。しかし、残念ながら、方法論ばかりで目的論を聞くことが少ないと感じています。教育制度を変えてどうなりたいか、目的、ゴール、目標、ありたい姿についての議論が少ないと感じています。考える力、自分の意見を話す力を養うんだ、主体的に生きるんだ、ありのままを開示できるようにするんだと、みんな声高に言います。それは確かにそうです。その通りです。ですが、「だから何?」「で、どうなるの?」という目的、ゴールの話がありません。

今の日本に本当に必要なのは、誰に何の教育か?

ここで、スタートラインに戻って、一緒に現状から考えてみませんか?

今の日本の何が問題なのでしょうか?

それを確認するために、教育先進国と言われる国と日本を比較してみました。

また、海外からみて日本の評価はどうでしょうか?

良い点は、誠実である、きちっと仕事をする、どんなときでもルールを守る、他人を思いやる、信用できるなどと比較的高い評価を受けています。

悪い点は、何を考えているか分からない、意思表示をしないなどでしょうか。

いかがでしょうか?

これらを踏まえて考えると、日本は何が問題で、何が優れているのでしょうか?

そして、何を(どんな日本人を)目指せばいいのでしょうか? 目指す日本人になったら、日本はどうなるのでしょうか?

100年とは言いませんが、50年後、いや10年後にどんな日本人が理想なのか、その目的やゴールを考えて、その上で教育制度の方法論をみんなで議論したいと思っています。

また、ちょっとここでひとつ、最近気になることがあります。

他国と日本は違うのです。人口や面積、文化や歴史、そして現在の教育制度が違うのです。他国の追随でもいいのですが、日本を日本人を見て考えてほしいと切に願っています。

そこで、私の提案の話をします。

現在の日本の子どもたちの受け身の姿勢は、確かに問題だと感じます。しかし、現在の学力や他人を思いやる心は素晴らしいと考えています。なので、これを維持したまま、今よりも「多様性を享受する社会」にすることを提案します。その結果、進化論の神髄である「適応強者」の国になり、未来永劫存在しうる国になることがゴールと考えています。日本人一人ひとりが自然体(の中の最大限の努力)で生きて、それを互いに認め合う国になることが理想です。他人と比較をしないで、自分自身と向き合い、その上で他人とコミュニケーションが取る。これにより他人の多様な価値観を受け入れられるようになる。これをゴールに考えています。

あなたは、映画「アナと雪の女王」をご覧になりましたか?

見ていない方は分かりにくいかもしれませんが、この映画は2つのクライマックスがあります。

1つ目が、雪の女王(エルサ)が人目に触れないように封印していた魔法を自由に使うシーン。自分は人々に嫌われる魔女でも、ありのままでいいんだ! と精神的に突き抜ける場面です。

2つ目は、エルサが人々の前で魔法を見せると、みな逃げまどいます。しかし、アナがそんなエルサを抱きしめ、魔女でも私の大切な姉です! とエルサのありのままを受け止めるシーン。

これは、ありのままの自分を出せること、それを周囲が受け止める意味で、相手の多様性を認める瞬間です。多様性とは、ありのままの自然体の開示とそれを周囲が認めてこそ活きるものなのです。ただ、ありのままの自然体の範囲で努力することは当たり前のことですので、全てがそのまま(ありのまま)でいいという意味ではありません。

別の話では、ピアノがうまい子供が、ある日、弾けなくなりました。すると今までちやほやしていた周囲の大人たちは、その子供から離れていきました。ピアノが弾けない自分(子供)はなんの価値も存在理由もないんだと感じた瞬間です。本来、ピアノができようが、魔法が使えようが、その人はその人なのです。全てを受け入れること、どんな状態でもその人はその人であるという多様性を享受すること、これこそが、これからの日本に必要なことだと感じています。

それでは、その方法論ですが、まず小中学校の教育に大きな変化は不要だと考えています。今の詰め込み教育と社会教育がいいと考えています。理由は、今の学力の維持、社会性の維持のためです。もちろん、思考力や発信力、また主体性は大切ですが、何より情報を頭の中(インターネットの中ではありません)に入れていないと、発想力や発信力が伴いません。パソコンで確認する情報なんて自分の情報ではありませんので、行動には結び付きません。人は情報と情報を組み合わせて発想力などの力が出せるのです。ぜひこのまま詰め込み教育を継続してほしいと考えています。

それでは、今よりも「多様性を享受する社会」にするには、どうすればいいのか。

多様性の享受には、実は大人の教育が必要なのです。ここで提案する教育改革、それは「大人への義務教育の実施」です。

大家族から核家族に変化し、且つ、地域との関係が薄れた現在では、大人が多様性にふれる機会が少ないのです。そのため、学習の機会を設けなければ身につかないので、大人の義務教育を提案します。1ヶ月に1日、これを1年間(計12日)実施することを提案します。テーマは、多様性の享受、その意味と方法、そして実践と効果確認です。例えば、25歳と30歳など、年齢で区切り義務として参加させるのです。地方自治体が独自で企画・運営してもいいでしょう。素晴らしい地域の特色になるでしょう。

多くの大人が多様性を享受することができれば、子どもにも大きな影響がでます。子どもたちは自由に伸びやかに生きていくことができるでしょう。自分の存在を他に求めることがなくなるので、いじめ問題が少なくなるでしょう。自殺率も下がるでしょう。自然と主体的な姿勢にもなるでしょう。社会進出をした時に、多様な職業につくことになるでしょう。子どもは大人の影響を大きく受けます。大人が多様性を享受することで、子どもたちは精神的に大きく育つことができるのです。

だって、そうではありませんか。自分の弱いところを含めて、全てを認めてくれる。これは大人だって嬉しいことです。そんな社会だと、間違いなく幸せ指数は上がります。幸せ指数は自分の中にしか評価基準がありませんから。

今の日本に本当に必要なのは、誰に何の教育か?

それは、大人の義務教育制度、これこそが日本が繁栄し続けるために必要な教育だと考えています。今後ますます、日本や世界には、多様な価値観が生まれるでしょう。多様性を享受する(受け入れる)ことこそが、幸せの一歩となります。なぜなら、世の中のスピードが速い現代社会は、まさに「適応強者」の時代なのです。

編者:飯森 祐

日本政策学校 第7期生

株式会社 グローステップ代表として、社会人教育に関わる。

人材育成ファシリテーター。

政策一つで、人の心は豊かになり、また貧しくもなる。

その策定に、自身がどのような関わりができ、また、何ができるかを考えるため日本政策学校に入学。

注目記事