チャレンジャー号爆発事故から30年 当時の子供たちが乗組員の思いを受け継いでいる

1986年の誕生日、小学生だった私はチャレンジャー号の打ち上げ中継を学校のテレビで見ていた。

1986年の誕生日、小学生だった私はチャレンジャー号の打ち上げ中継を学校のテレビで見ていた。教師を宇宙に送る計画「ティーチャー・イン・スペース」で搭乗科学技術者に選ばれた、シャロン・クリスタ・マコーリフさんが乗船していたからだ。

1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャー号はケネディ宇宙センターから発射73秒後に空中で爆発した。乗組員7人全員が亡くなった。

2016年1月28日は、チャレンジャー号爆発事故からちょうど30年目にあたる。この日、小学校5年生の生徒たちがフロリダ州タラハシーにあるチャレンジャー・ラーニング・センターを社会見学で訪れる予定だ。彗星探査のプログラムで、生徒たちは私とテレビ会議をする。

私は現在NASAジョンソン宇宙センターの小惑星探査ミッションのシミュレーションに参加している。ミッションのクルーは全員女性で、科学、テクノロジー、エンジニア、数学の専門家たち。私の本業は医師、教師だ。

チャレンジャー・ラーニング・センターでは、フライト・ディレクターだった。3Dプリンター体験学習プログラムを作り、何台かの3Dプリンターをチャレンジャー・ラーニング・センターに寄付した。

チャレンジャー・ラーニング・センターは、チャレンジャー号の悲劇の後、犠牲になった宇宙飛行士の家族によってつくられた。宇宙飛行士の育成を続けて欲しいという彼らの願いからだ。

現在では、4カ国に40以上のセンターがある。これまでに、合計400万人以上の学生と教師たちが、最先端技術と宇宙探査のシミュレーションを体験してきた。

HERAは、3階建ての円柱型居住スペース。エア・ロック、作業場、医療ステーション、コックピット、ベッド4台、キッチン、そしてバスルームがある。

1月25日から、私はNASAジョンソン宇宙センターにあるリサーチ研究施設「HERA(Human Exploration Research Analog)」で行われる地球近傍小惑星探査のシミュレーション訓練に参加する。3人の女性飛行士と、30日間共に生活する予定だ。狭く、且つストレスがたまる状況での生活や仕事が、作業の能率やチームワークにどう影響するかを調べる。

HERAは国際宇宙ステーションに似せて作られている。訓練スケジュールも同じようにタイトだ。毎日のように、食事、運動、企画ミーティング、科学リサーチ、宇宙飛行シミュレーション、基本トレーニング、家事をこなす。家族や友人とは週に1度話ができ、教育や社会貢献活動に参加する。

レゴで作ったクルーメンバー。左上:HERAの船長。右上:ミッション・スペシャリスト1。左下:ミッション・スペシャリスト2。右下:フライト・エンジニア。

船長のミッシェル・コートニー氏は、ヴァージン・ギャラクティック社で働く航空宇宙エンジニアだ。1人目のミッション・スペシャリスト、ラシェル・スペンサー氏はNASAの科学者で、宇宙ステーション内で空気や水をきれいに保つ方法や、食べ物を育てる方法を研究する。2人目のリア・ハニー氏は、機械工学士でロボット研究家だ。彼女は、ジョンソン宇宙センター飛行管制センターの航空管制官だ。フライト・エンジニアの私は、医師、研究家、教師、パイロット、そして発明家だ。

私は、宇宙飛行と遠隔地で使うための医療器具を3Dプリンターで作っている。HERAでのミッションを終えた後は、国際宇宙ステーションで初となる、3Dプリント医療器具を作る実験を行う予定だ。

HERA訓練用に作られたバッジは、ギリシャの女神ヘーラーのシンボル、孔雀の羽を元にデザインされている。外側には全乗組員の名字がアルファベット順に並んでいる。球体が表しているのは地球。月、地球近傍小惑星、火星はそれぞれ、過去、現在、未来の有人探査ミッションの目的地だ。

私たちのHERAでの訓練は、チャレンジャー号爆発事故から30年目となる1月28日と重なった。バッジに描かれた7つの星は、チャレンジャーの乗組員7人を表している。

ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。

▼関連スライドショー(写真をクリック)▼

国際宇宙ステーション、船外活動の様子

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