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『華麗なるギャツビー』 - 宿輪純一のシネマ経済学(1)

2013年07月02日 17時31分 JST | 更新 2013年08月31日 18時12分 JST

『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby)

2013年(米)

米国の作家F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を映画化。実は本作は5回も映画化されている。3本目の74年の作品が特に名作で、ロバート・レッドフォードとミア・ファローの主演であった。

今回の出演しているレオナルド・ディカプリオは言わずと知れた大スターだが、不思議なことにアカデミー賞主演男優賞を受賞していない。彼は「しかめっ面」が特に魅力。それに加えて、『17歳の肖像』の英国人キャリー・マリガン、そして『スパイダーマン』シリーズのトビー・マグワイア、『お買い物中毒の私』のアイラ・フィッシャーはなんと中東オマーン生まれで、オーストラリア育ち(両親はスコットランド出身)、といったキャスト。監督は、『ムーランルージュ』のバズ・ラーマンで、ラーマン映画特有の音楽でガンガン盛り上がる。この映画は豪邸もそうであるが、映像も豪華で見るものを豊かな気持ちにさせる。

今回の作品も、いままでの作品と基本的にストーリーは変わらない。株が上昇し好景気で盛り上がる1920年代の米国。貧しいニック(トビー・マグワイア)は証券会社で働いていた。ニックの家の隣に建つ宮殿のような豪邸に住み、毎日のように盛大なパーティを開催する若き大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)と友人になる。

彼と話すうちに、彼の過去、今の仕事、どうやって大富豪になったのかも良く分からない。そして、その盛大なパーティは過去の彼女一人との再会のためのものと知る。その後、ギャツビーと彼女は再び恋仲になる。しかし、悲劇的な最期が訪れる。

「大恐慌」は1929年に発生したが、20年代は、その直前のいわゆるバブルの様子が良く分かる。現在で言えば、リーマンショックの前という感じで、少し前の状況とも似ている。この映画で最も感じるのは、ギャツビーの"寂しそうな表情"である。現代の一般的なマクロ経済学では、GDP(Gross Domestic Product:国内総生産)、ひとことで荒っぽく言えば、どれだけ「国内でモノが買われたか」つまり、国内の売上高が伸びていれば良い。とする考え方である。さらには、モノがたくさんあったほうがいい、おカネ持ちのほうがいいというのが根本的な考え方がではないか。それは、現在の経済学がモノのない時代にできた体系だからではないかとも考える。

ギャツビーはおカネ持ちどころか、大富豪である。しかし、少しも幸せそうではない。(彼女と再会できて幸せそうな時間もあったが)このような状況は現代の日本にも似てはいないか。日本は一人当たりのGDPも世界上位にランキングされるようになり、ある程度の生活水準は達成できた。しかし、全体としてみると一年で3万人近い自殺者も見て、あまり幸せそうではない。人口対比の自殺者でみると、旧社会主義国や韓国に続いて第5位ぐらいと、こちらも上位にランキングされている。

一方、ブータンの「幸せ指数」が話題になっている。それはGross National Happiness(GNH:国民総幸福感)といい、約95%の国民が幸せと思っているそうである。もちろん、ブータンはチベット仏教が社会に浸透しており、考え方のベースが違うが。

経済学における"幸せ"の再定義が必要な時期に来ているような気もする。