映画『家族の軌跡 3.11の記憶から』の大西暢夫(のぶお)監督に、今後の東日本大震災の応援の方向性について聞く

他者からはゴミにしか見えないその瓦礫が、被災した人たちにとっては大切な生活品であり、家族との思い出の品々だった。

ハワイから日本への思いを綴るシリーズ。何度か当サイトでも書いてきたが、ハワイでは東日本大震災から5年以上経過した今でも、その記憶を忘れまいと様々な企画が行われている。

去る9月NPO Club Casa Della Dolce Vitaの主催により、ドキュメンタリー映画『家族の軌跡 3.11の記憶から』が上映され、監督の大西暢夫さんをはじめ、実際に被災された方々も来布し、貴重な話を聞くことができた。

映画は宮城県東松島市の人々のインタビューが中心になっている。『残された家族は、亡くなった家族をいつも軸にし、その軌跡を追いかけ続けている』とパンフレットに書かれている。

映像の中で、市民たちが山と積まれた瓦礫の前に座り、一つ一つを丁寧に分けているシーンがある。他者からはゴミにしか見えないその瓦礫が、被災した人たちにとっては大切な生活品であり、家族との思い出の品々だった。それを大事に選り分けていく。東北の復興は、そうした一人一人の労力から成り立っている。

今回は大西暢夫監督の被災地の人々への思いと、支援のあり方についての課題を伺った。

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震災後多くの映像が流れ、その悲惨さは誰もが知っていますが、現実ははるかに超える被害です。津波で東日本の海岸700kmが壊滅的な被害を受けたといっても、その長さはなかなかイメージできません。700kmといえば、東京から岡山までの距離に等しい。「東京から岡山に行くまでの、海に面している町がほぼ全滅した」というと、初めて皆さん驚きます。

僕は商業ベースの映画も作りましたが、今回は自主上映にこだわりました。自主上映だと、上映を準備してくれる人、わざわざその日に都合を合わせて来てくれる人など、映画を観た後の現地への思いが違います。映画終了後、直接感想を聞いたり、質問を受けたり、そうした事によって、気持ちの寄り添い方が違う気がします。この映画は自主上映が必要なんだと思います。

映画の中で、お母さんを亡くした8歳の男の子が出てきます。その子が18歳になるまで、あと10年は自主上映会を続けます。集まったお金の半分を、東松島市東日本大震災義援金(遺児/孤児)に充てます。

支援のあり方

意識の共有が大切だと思っています。映画が製作されてから3年、街並みは変わりましたが、人々の心の傷は、変わっていません。その変わっていない部分を、いかに他の人に伝えるかだと思います。

大企業から補助金をもらえば、一時の支援にはなるかもしれませんが、僕は別の支援の形を模索しました。企業から補助金をもらうのではなく、その分の料金で一冊300円の僕の本(「東北沿岸600キロ震災報告」「3.11の証言」)を買ってもらいます。すると企業は社員に本を配る。読んでくれた社員たちも、東北の人たちの事が近く感じられると思います。また支援を続けるには黒字でいる事が大切です。

全ての写真提供:大西暢夫

僕の住んでいる町は、東北から800キロ離れた岐阜県揖斐郡(いびぐん)池田町。そこで毎回報告会をしていて、20分ほどの映像を流していました。全部で16回行い、お金を払って見てもらって、ほぼ満員。その黒字を映画製作資金にあてました。映画ができた時、エンディングロールに、池田町の人たちの名前を入れさせてもらいました。

未来への思い

福島の原発問題は終わっていません。僕たちの代では解決できない問題です。それにもかかわらず、日本の原発は再稼働の方向に動いています。世界常識から見れば、「日本はどうなっているんだ」となっています。

5年以上経過し、東日本大震災を取り上げるのは、震災時期だけになりつつあります。今のお父さんたちは、我が子に震災の話をする時、マスコミが伝えた事をいうと思います。でもお父さんたちに「自分だったらこう思う」という意見を持って欲しいんです。「20000人の方が亡くなった、この東日本大震災をいつまでも同じ日本人として共有しよう」。その事を伝えていくのが、現場を見た人間の責任だと思っています。

大西暢夫監督

Hawaii Web TVより転載

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