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震災から5年、老いの衰えと闘う毎日。しかし命ある限り、座して嘆いてはいられない

2016年03月12日 02時25分 JST | 更新 2016年03月12日 02時25分 JST

あの日から5年の歳月が流れました。

私が住む福島県相馬市の、泥の中の黄色い菜の花に希望を託したあの日の大地は見事に緑に蘇り、変わらぬ実りを与えてくれます。海には豊かな恵みが、大地には黄金色の波が見られ、風評被害に負けることなく、農家の方も、漁業の方も、酪農家の方も、懸命な努力と研究で生きるすべを見出しています。

震災から5年を迎えて、何が変わり、何が変わらなかったのかと良く聞かれます。

あの日、東日本大震災で被災した宮城・福島・岩手三県の被災者の皆様がある日突然家族を奪われ、住む家も生活の手段さえも失った当初の癒えぬ思いは、月日が流れたとしても全てを忘れられるものではありません。

復旧復興につきましては地域ごとに災害の事情もあり、一概に語れるものではないのです。

一方で、未来を見据えた若者たちは、被災当時は小・中・高校生であり、幼い心に刻まれた記憶をトラウマとして閉じ込めることなく、今置かれている現実を見極めるまでに成長し、復興への歩みを世界に発信しようとしています。

70年前、あの敗戦の灰燼の中から今日の繁栄を築いた日本人の精神は生きています。今度の震災にあたっては、国も自治体も国民も一体となって援助していただけたことは、ありがたい極みでしたが、特に自衛隊、消防団、警察関係者皆様の組織力は偉大でした。

5年経った今、さすがに瓦礫の惨状はなくなりましたが、まだ手付かずの見過ごされた地域も残っていることでしょう。震災遺構として残されるもの、解体されるものについても国や自治体、住民の皆様が協議のもとに定められるでしょう。

大自然の脅威と折り合って生きなければならない以上、今後もやって来るであろう災害に備えて多種多様の災害を知り、学ぶことも防災防備の意識に繋がることと思います。

私個人につきましては、生涯の晩年に不幸が重なり、一時は心も折れかけましたが、身近に住む家族に支えられ、寝食を得ました。国の援助や自治体の動きが早く、ボランティア様の協力や地域の皆様のご理解のもと、同じ敷地に今度はかさ上げをして復旧することができましたので、ご先祖様の根を下ろしたこの地に春夏秋冬を親しみ、体力があるうちは雑草の一本でも抜こうと、皆様に生かされた日常を感謝の気持ちで過ごさせていただいております。

いささかとはいえ、思わぬ被災で失ったものもありましたが、被災したことが縁となり、ありがたいこともございました。多くの方々との出会いがあり、今なお見知らぬ方からの応援のメッセージに身に余る幸せを感じております。

大勢の方々に見守られ、助けていただいた限りは、自分に出来ることなりに一歩でも踏み出す覚悟こそ、被災者の誇りであると信じました。

あの頃は70代後半とはいってもまだ体力もあり、気概もあったかと思います。しかし5年後の今では家の方は何とか落ち着きましたが、八十路となれば忍び寄る老いの衰えには勝てず、杖が友となり、歩みもおぼつかなくなりました。

しかし、これも現実。誰もが通る道と受け止めました。命ある限り、座して嘆いてばかりはいられません。私には私の寿命があるのでしょう。しかし自分に出来る限りの生きる努力はしなければならぬと改めて思います。

老災と闘う毎日ではありますが、今後は被災者としてではなく、貧者の一灯として応援のメッセージを送らせていただく側に立ちたいと心がけております。

体力もなく、財力もない私のような者が今後も何の訳にも立てないとは思いますが、人生の試練を乗り越えて生きていかなければならない時に、ありのままに生きてきた証を少しでも共感していただけることができましたなら幸せと存じます。

今更ながらではありますが、何の教養もない私など、決して強い人間でもなく、高邁な精神を培って生きてきたわけでもありません。名もなく貧しく慎ましくを信条として生きていきたいと願っております。

今までも、これからも、最高の応援メッセージを送ってくださった皆様、かけがえのないご縁を賜りました方々への心からの感謝の気持ちを伝えさせてください。

本当にありがとうございました。

災いの大地に緑蘇る

弥生の里に青菜摘むわれ

順子

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武澤順子の日記より

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生きてやろうじゃないの! 母と息子の震災日記

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2016年3月13日(日)午前11時55分~13時25分 BS日テレでOA「生きてやろうじゃないの! 母と僕の震災日記」