日本人はソーシャルメディアで政治を語り合えるか

インターネットを活用した選挙運動の解禁をきっかけに、政治に関する情報がソーシャルメディア上で活発に流れるようになった。意見が異なるのは当たり前という米国と異なり、同質性を求めがちな日本で、ソーシャルメディアを活用した政治の議論は活発化するのだろうか。

インターネットを活用した選挙運動の解禁をきっかけに、政治に関する情報がソーシャルメディア上で活発に流れるようになった。しかし、ちょっとした発言をきっかけに、見ず知らずのアカウントから突然、批判や中傷のコメントを投げかけられる「爆撃」を受け、炎上してしまうケースもある。意見が異なるのは当たり前という米国と異なり、同質性を求めがちな日本で、ソーシャルメディアを活用した政治の議論は活発化するのだろうか。

■政治的分断を嫌う日本、当たり前のアメリカ

日常生活において、政治的なテーマを議論することが好きな人も一定数存在するが、必要以上に話したくないという人もいる。NTTコミュニケーション科学基礎研究所の木村昭悟氏は、そんな人たちの気持ちを代弁する。

ソーシャルメディアでの政策議論は非常に気持ち悪いですね。無為に対立して、いさかいになっている話にはあまり近づきたくないです。そのような話が自らのタイムラインで普段から流れてきますし、選挙期間中になるとすごく増えました。元々リアルな世界においても政治や政策の議論には関わりたくないと思っていますが、リアルな人間関係であればしばらく耐えれば何とかなります。ただ、ソーシャルではそう簡単に逃げられません。

この「政治の議論は気持ち悪い」というのは、お国柄もあるようだ。海外では路上デモへの参加が活発な国もあるが、日本では日常的なものではない。その背景にあるものを国立情報学研究所の生貝直人氏が解説する。

日本人はやはり基本的に同質意識が強く、身近な人の政治的信条が自分と大きく違うことを知ったら驚いてしまう人も多いと思います。アメリカのように政治的信条を表面に出すところは、ある意味で社会が歴史的に「分断慣れ」している部分があります。彼らは同じアメリカ人といっても、肌の色も違えば宗教も違う中で、それでも社会を成り立たせるための様々な努力をしてきました。そういう中で常日頃生活をしている人たちとは、やはり分断に対する価値観そのものが違います。

「人の和」を重んじる日本の社会では、過度の対立を避ける形で、合意形成を成り立たせてきた。その根本が変わらないままに、果たしてソーシャルメディアを活用した活発な政治議論は成り立つのだろうか。

■ネット自警団による突然の「爆撃」

ソーシャルメディアのフラット空間で意見をぶつけ合って、コンセンサスを得ることは、「直接民主制(ダイレクトデモクラシー)」に近いともいえるが、そんな綺麗事だけではない。もし不用意な発言をすると、フラットである以上、突然知らないアカウントから批判や中傷のコメントを投げかけられるようなこともある。法政大学の藤代裕之氏が解説する。

ソーシャルメディアでは、自警団や探偵のような人たちが、自分と異なる考えをいきなり批判したり、執拗に質問したりすることがあります。リアルの居酒屋で議論していても、隣のテーブルからいきなり議論をふっかけられることは少ないでしょうが、ソーシャルメディアだとキーワードで検索することもできます。わざわざ居酒屋を探して議論をふっかけてくるような状況が起きています。ただ、好きな事や気になる事を書いていただけかもしれないのに、いきなり批判を浴びせられる。それも防ぐ事が難しい。いきなり言葉の「爆撃」を受けるようなものです。

(討議の光景、左端は藤代裕之氏)

突然「爆撃」されて、弁解する余地もないまま炎上するといったことになりかねない。新たなリスクが生まれている。では、誰が「爆撃」されやすいのか。木村氏によると、

社会的立場がそれなりの人だと爆撃の標的として狙われやすく、受けるダメージも大きいので、どうしても慎重になってしまうように思います。一方で、爆撃をする側は、社会的地位が弱くてもできますし、そのことを逆に利用している面も見られます。自分の地位を失うことを痛いと思わないからです。ある意味で、社会的地位を逆転するために用いられた奇襲的な戦略だと思うことができます。建設的な議論を短時間で消費できる技術や仕組みを作っていく必要があるのかもしれません。

さらに、駒沢大学の山口浩教授は、日本におけるネットのコミュニケーションのあり方も、「爆撃」の激しさに影響していることを指摘する。

ネットの登場によって、言論のあり方はさらに変化しています。いわゆる匿名性に起因するのでしょうが、ヘイトスピーチが出やすくなっているかもしれません。また、ネットでのコミュニケーションスタイル自体、2ちゃんねるに代表されるような、比較的乱暴な言葉遣いが通例になっているということもあるでしょうし、口でいわれれば冗談ですむ内容がテキストではきつく見えるということもあるでしょう。

しかし、弁護士ドットコム編集長の亀松太郎氏は、匿名性の観点から異論を唱える。

匿名で発信できるのは、いい面もあります。原発問題でも、リアルでは原発反対と言いにくいけど、ネットでは「原発反対だ」と発信できます。リアルで人に言いづらいことも、ネットならば発信できる。社会への参加意識とか、世の中を動かしたいという気持ちを、昔はなかなか表に出せなかったけれど、ネットの仕組みで表に出せるようになりました。匿名なら人間関係も関係ありません。発信者にとって、「ネットの匿名性」は表現の可能性を広げてくれるというプラスの側面をもっています。

確かに、匿名性の広がりは、場が荒れる可能性がある反面、言い出しにくかったことを主張できるというポジティブな面もある。ただ、匿名発信者が「爆撃」する側になってしまう可能性もある。意見を出しやすくなるというメリットを維持しながら、不快なコミュニケーションを減らす環境は構築できないだろうか。

■「いま議論したくないボタン」を設置

そのためには、新たな技術や仕組みを考えることもできるだろう。木村氏は、情報発信のレベルによって差をつけることを提案する。

人間関係を壊さずにネットで政治を議論するという点に関しては、解決方法があるのではないかと考えています。ネット上で節度を持って建設的な議論ができる人を引き上げる仕組みを作れればいいのです。関連する一例として、スラッシュドットが挙げられます。そこでは、つまらないことを書くとスレッドから消えていきます。建設的で有用な意見を残せるプラットフォームを作ることは、技術側からでもできることだろうと思います。Kloutのようなスコアリングの仕組みを援用する方向性もあると思います。

つまり、場が荒れるような意見が出し続けていると、スコアが低くなり、議論に参加しにくくなるという方向性だ。そうすれば、「爆撃」もやりにくくなるだろう。これに対して藤代氏は、受信者側に選択権を与えることを提案する。

「いま議論したくない」ボタンを設置するのはどうでしょうか。チャットには「取り込み中」みたいなステータスありますよね。それと同じようなイメージです。逆に「議論したい奴はかかってこい」というステータスがあっても良いでしょう。

こちらは「爆撃」が来る前にガードする仕組みだ。同様に、Yahoo!ニュース編集部の伊藤儀雄氏も受信側の仕組みを提案する。

議論したくない人には議論そのものを見せない、ということはできるのではないでしょうか。例えば、フェイスブックのハイライトは何らかのアルゴリズムによって表示するものが選別されています。アクティビティのログを解析すれば、政治ニュースを見ないし、政治関連の投稿にいいね!を押したことがないということなどから「政治に興味がない人」というのを判定できる。政治の議論が不快なのであれば、そういう人には議論自体を見せにくくするという仕組みが可能なのではないでしょうか。

受信と発信の両面から対策は考えられる。しかし、技術や仕組みでカバーできない部分については、共通の規範やルール作りも必要になってくるだろう。ただ、生貝氏はその難しさを指摘する。

社会で共有される「規範」を新しく作るのは、法律を作ること以上に大変なことです。そのような「信条の違いを許容する規範」を日本社会が作り、共有することができなければ、ネット上での活発な政治議論が広がるのは難しいのではないかと思います。

フラットな空間が誕生したことによる影響や、突然の「爆撃」への対処については、政治だけなく、ソーシャルメディアでのコミュニケーション全般に言えることだ。これまで続いてきた意識を変えることが容易ではない中、仕組みづくりの試行錯誤が続いていくのだろう。

(編集・新志有裕)

※「誰もが情報発信者時代」の課題解決策や制度設計を提案する情報ネットワーク法学会の連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」の第4回討議(13年7月開催)を中心に、記事を構成しています。

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