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ソーシャルパトロールが都市の創造性を奪う?

2014年04月24日 18時43分 JST | 更新 2014年06月23日 18時12分 JST

戦後の日本社会は、地方から都市へと人材が流動化することによって、新たな活力が生まれ、発展の原動力となってきた。人に気付かれない「匿名性」が都市に担保されることで、多様な人材がしがらみなく結びつくことができたのだ。ただ、最近はソーシャルメディアの普及で、つながりが強化され、「匿名」で自由に動きまわることが難しくなっている。ソーシャル監視網とも言える状況の中で、都市の創造性を維持することができるのだろうか。

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白鴎大学の小笠原伸教授(左)と法政大学の藤代裕之准教授

■姿が見えない心地よさが都市を発展させた

そもそも都市はどのようにして形成されたのか。白鴎大学の小笠原伸教授が解説する。

基本的にはその都市の産業、食い扶持をどうするのかという話です。モノが動き交易が始まり集積地が形成されますが、都市の人口を支える食糧生産は多くの都市自体にはできません。別な価値を生み出さないと都市に食料が集まらないのです。それは商工業でも門前でもそう。都市が自由であり都市に多様な人が集まることによって新たな産業が生まれていったのです。

都市が地方と異なっているのは、そこに「匿名性」があることだ。例えば、農村などの地方では、道端で出会うのが全員知り合いで、誰がどういう行動をとっているのかが把握できるケースも珍しくない。逆に、都市では「匿名性」が担保されてきた。

都市住民のルーツの多くは農村や地方にあります。都市では、会いたい人に会うことが出来る一方で、街中で知り合いに会うこともなく互いに存在はしているけれど、相互に姿が見えない心地よさを経験することがあります。都市とは本来自由な場所で、その匿名性ゆえに、新たな人材や可能性が集まり、再生産が行われてきたのです。

特に、都市の自由を象徴する言葉として、「アジール」を挙げる。

無縁や聖域、避難所といった権力の及ばない場所という意味で、「アジール」と呼べるものが存在してきました。都市のキーワードになっています。1970、80年代には、歴史学や都市研究の分野で日本社会と「アジール」の関係性が話題になりました。

匿名性が高いがゆえに、様々なしがらみから解放される。この「アジール」については、歴史学者の網野善彦氏らが紹介したもので、網野氏は日本の中世社会から「アジール」が存在していたことを主張している。

■街中で知人に出会わないのは人口何万人の都市?

では、「アジール」が存在する「都市」をどうイメージすればいいのか。小笠原氏によると、具体的にはこんな感覚で想像してみるといいという。

よく言われることですが、例えば人口30万人や40万人の都市で街中に出て行って、知り合いに会うかどうかで線が引けるのではないでしょうか。街中で会うということは、他の場所でもいつ誰に見られているか分かりません。誰にも確認されない生活をしようとすると人口10万人以下の都市では辛いでしょう。様々な隙間や隠れ家がそこに内包されているのがある程度の規模の都市の魅力でもあります。

確かに、知り合いに色々な行動が予期することなくバレてしまうのであれば、匿名性が確保されているとは言い難い。人に言えない趣味を持った人などは、うかつに行動できない。駒沢大学の山口浩教授は、別の見方として、

そこでクリエイティビティが育つのか育たないのかという観点で考えた方がいいのではないでしょうか。知り合いと会わないからというより、予想しなかった人やものごととの出会いが、新しいものを生み出すのではないかと思います。人口規模とか交通機関よりも、人とのつながりがどう形成されるのかを見た方がいいでしょう。

法政大学の藤代裕之准教授は、均質化した地方都市の現状を指摘する。

都市の自由や寛容性、多様性によって、クリエイティブな活動が生まれるのだと思うのですが地方都市はどうでしょうか。郊外の大型ショッピングモールによって均質化されている地方都市は創造的であり得るのでしょうか。

一方で、立命館大学の西田亮介・特別招聘准教授は、匿名性や創造性とは別の見方から都市を語る。

都市はメディアでもあります。たとえば国民国家を形成して、国威を発揚する際にシンボルとして扱われてきました。明治維新の時には、明治天皇が行幸しています。物理的な都市論だけでなく、メディア論、イマジネーションとしての都市論も存在しています。

都市の中でも、特に首都である東京は、国の権威を象徴する存在ととらえることもできる。他の地方都市と同じ観点でとらえることはできないだろう。

■ソーシャルパトロールで消える「アジール」

都市は匿名性をバックに「アジール」を内包し、新たな縁を結ぶ場所になってきたが、小笠原氏は、ソーシャルメディアの影響で、その存在が脅かされつつあるという。

有名人が来店した際の画像が店員や客により無断でツイッター上で拡散するなど、突然自由であった空間が打ち壊されることが起きるかもしれません。いわゆる「バカッター」で明らかになった行為自体は昔からあったことでしょうが、ソーシャルメディアなどにより顕在化することで悪影響が出ています。また、フェイスブックで勝手に人からタグを付けられることで、当人だけの秘密だった情報が外部にばれてしまうかもしれません。すべての情報が集約されることにより、創造性ある自由な場、居心地の良い場としての都市の匿名性が暴かれてしまうのです。

これらはある種の監視網として、「ソーシャルパトロール」と呼ぶこともできるだろう。さらに、テクノロジーが進化すればするほど、その監視網は強まってしまう。小笠原氏は、都市論の立場からロボット研究に携わった経験をベースに解説する。

ソーシャルメディアとロボット技術を使えば、ばれることなく個人の追跡ができる可能性があります。画像解析技術や街中の監視カメラも大きな課題になるでしょう。これは常時撮影可能なウェアラブル端末の話にもつながってきます。技術でできること、便利であることが優先され、その使い方や社会的課題の整理や解決は後回しになっています。

では、今後、都市の自由とどう向き合っていけばいいのだろうか。

現在の社会の我々が新たな自由空間を作ることを志向しないと、ソーシャルメディアなどの存在によりどんどんと危なっかしい社会を創出することになってしまいます。「アジール」の意味をどう都市に復活させ現代的にその場をデザインできるのかを考えないといけません。結果的にソーシャルメディアやITが都市の相互監視社会を創出してしまわないための方策が求められています。

ソーシャルメディアの普及により、都市の自由が失われつつあることは徐々に浮き彫りになりつつある。「匿名性」を維持するためには、様々な工夫が必要になってくるだろう。次回は、「匿名性」を担保するために、人との縁を断ち切る「無縁」の社会を作り出すことについて考えてみたい。(編集:新志有裕)

※「誰もが情報発信者時代」の課題解決策や制度設計を提案する情報ネットワーク法学会の連続討議「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」の第9回討議(14年2月開催)を中心に、記事を構成しています。