人命が軽すぎるナイジェリア――警察や軍で日常的に拷問、司法も悪用

ナイジェリアの警察や軍では日常的に拘留した人を拷問しているとアムネスティ・インターナショナルが発表しています。

ナイジェリアの警察や軍では日常的に拘留した人を拷問しているとアムネスティ・インターナショナルが発表しています。大人だけではなく12才の子供まで、殴打、銃撃、性的暴行など様々な手段で行われており、国内法では拷問が犯罪とみなされないと。

彼らの横暴な態度は逮捕した人に限りません。警官がよく路上で通行人や車両から賄賂を徴収しているのですが、50ナイラ(30円)の賄賂を払わなかった人を射殺などという事件が時折あり、加害警察官は往々にして北部のイスラム系民族で、路上で射殺される被害者はまず油田地帯の人達(クリスチャン)です。

ナイジェリアの石油利権、警察や税関の幹部、裁判所判事などの大半をイスラム系が占めており、支配する側の驕りが一般市民への暴力につながっている面もあると考えられます。

私自身、ナイジェリア税関による窃盗から派生して放火などの犯罪被害に遭ってきたのですが、警察自ら捜査を妨害して事件を放置したり、偽造公文書に翻弄され、これも一種の拷問ではないかと感じました。

自宅への放火では警察署長が放火犯の証拠隠滅を容認し、明らかな放火の証拠を無視、「出火原因は電気系統かもしれない」という消防局の偽造文書を警察が持ち出しました。書類の不審点を指摘すると、警察署長はニセモノだと認めたにも拘らず、その文書に基づいて捜査報告書を出しました。

さらに、放火犯を保釈した際の保証人が、呼び出されてもいないのに警察とこちら(放火の被害者)を人権侵害で訴えたという偽の裁判書類が本物の職員によって配達されました。

裁判書類を見慣れた目には明らかな偽造で、職員も「気づいてくれて嬉しい」と戻って行きました。お金をもらえば偽造書類も配達するけれども、良心は残っていたようです。にも拘らず、収賄した刑事はその裁判があるので裁判所に出向けと何度も圧力をかけてきました。

2年近くそんな妨害を乗り越え、末端の放火犯を一人だけ起訴に持ち込めたのですが、警察は被告と被害者の氏名のスペルを変え、判事は管轄の裁判所を検事局に決めてもらうとして放火犯を保釈。半年ほど延期を重ねた後、検事局から「放火の証拠が不十分だ」として、公判棄却。

ナイジェリアでは司法も犯罪者のために悪用され、まるで拷問道具なのでした。

軍事政権時代の1995年、油田地帯の人権活動家ケン・サロ=ウィワを軍事裁判により処刑したため、ナイジェリアは英連邦から資格停止にされたのですが、その死刑宣告をしたイブラヒム・アウタ判事(写真)がまだ健在で、国の高等裁判所判事として人事権を握っています

Internationalinvestigativenews.comより

(彼は今も米国入国禁止)

窃盗犯の税関や管轄の財務相を訴えた裁判で、クリスチャンの判事が結審に入ろうとした所、アウタ判事により転任させられ、イスラム民族の判事が送り込まれました。

その判事は被告側の弁護士と裁判引き延ばしの茶番を2年近く続け、「判事会議のため欠席」、「弁護士が病気」、「弁護士が控訴裁判所で法廷があるため出廷できない」(その裁判所はその日閉まっていました!)、「弁護士に不幸があった」(誰が死んだか不明)、「イスラムの祝日」・・・。そして被告側の弁護士が全員出廷した日、買収されたこちらの弁護士が理由もなく欠席。

1年もあれば終わるはずの単純な裁判が8年目となり、裁判所に無駄足を運ぶことが続きました。

この不正をfacebookで加害勢力側に見えるように拡散し、いくつかの外国公館に書き送ったことでようやく判事の姿勢が改まり、結審に入ることになったのです。ネットは無力な個人が巨大な加害勢力と戦う武器にもなるのでした。

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