アメリカで暮らす日本人が、ひとりで居づらい母国に思うこと

「自分は他の人と随分違う」という認識の度合いが大きいのであれば、周囲と同じことをしても幸せな充実した人生は得られないと覚悟を決め、周囲の人たちと違う方向へ一歩踏み出すことが必要だろう。

ひとりを意識した高校時代「集団行動にプレッシャー感じた」

1970年代は、小さな島国の日本が日米安全保障条約によってアメリカに守られ、高度経済成長、受験と就職、終身雇用と絵に描いたような家庭生活や、「明るい未来」に執心できた時代。日本人口一億総中流層と言われた社会だ。

そんな中で私は貧しい母子家庭で中高時代を過ごした。

当時は、自営業でも大卒のサラリーマンでも安定した収入に恵まれた若者たちが大半で、貧困層はごくマイナーな存在だった。少なくともそう見えた。貧困の中で育った私は、ひとりで読書と音楽を楽しむ子供だった。

かと言っていつも内向的だったわけではなく、同級生たちと自分を比べて経済面では劣等感を感じてはいたものの、彼らとは取り立てて問題も無く楽しく付き合っていた。特に孤独は感じず、社交的な場面とひとりの時間を無意識に交互に使い分けていた。

ひとりであること、ひとりの人間として独立した考えを持って行動することを意識したのは、高校時代。自分が日本のサラリーマンには全く向いていないと認識し始めた時だ。

まずアルコールアレルギーで酒が飲めない。周囲の大人や同級生からは「酒飲めなかったら出世出来ないぞ」とよく言われた。当時のサラリーマンにとって、酒席は重要な仕事の場であったからあの物言いは正論であっただろう。(もっとも、コンプライアンスが一般化したとは言え、仕事における酒席の重要性は、40年後の今も大して変わったとは思えない)

逆に言えば、アルコールアレルギー体質の男性は、日本の企業風土では受け入れられにくく、大した出世は望めないのが現実だった。

また、数人の同級生たちと行動するのは問題が無かったが、学校のクラス単位や集団で行動する、あるいはそれを強要されることに関しては、嫌悪感や精神的なプレッシャーを感じた。

加えて日本には年功序列、先輩・後輩という自分には理解のできない制度と習慣が定着しており、それらが日本人の国民性と密着して存在することを考えると今後も変化を期待することは出来ない。

年長者というだけで国や企業の重要なポストを占めたり、たまたま数カ月早く生まれたために学年が一つ上になった人たちが偉そうに行動したりする。

その逆にほんの数カ月遅く生まれた人たちから「先輩、先輩」と表面的には擦り寄られる一方で、年長者の責任を押し付けられるといった環境は私には全く合わず、苦痛とストレスでしかない。

酒が飲めないだけで、あるいは先輩・後輩の対人関係を上手く維持出来ないだけで成功出来ないような社会なら出て行ってやる。そういう事で自分の価値を判断されず、別のもっと重要な要素で評価される社会で生きる。そう考えて高校卒業後無謀にも単身でアメリカへ渡った。

アメリカでの移民生活、自分だけが頼りだった

アメリカでは、見知らぬ土地、知らない言語で苦労しながらなんとか田舎の州立大学に入った。最初の1年は母から貰った金で賄い、その後5年間の学費と生活費は自分ひとりで稼いだ。崖っぷちだったから良い成績を取ることを最優先とした。

貧しかったが現地の文化にも慣れ、言語も習得し、当時はまだ未開地的な分野だったコンピュータ科学を学んだ。金が無くて食料もままならず、3日飲まず食わずで気を失って倒れたこともあった。

大学在学中、母親が再婚するというのでお金を送ってもらい、渡米後初めて日本へ帰省した。当時日本はバブルの絶頂期。高校時代の同級生と東京で会うと、ダブルスーツ姿の立派な社会人になっていた。沖縄へスキューバダイビングに行った、車で彼女と湘南をデートした、ロレックスの時計を買った…彼らの話は全て夢物語のようで自分の居場所は無かった。

今思い返してもあれほど惨めな思いをしたことは無い。彼らだけでなく、東京の街を歩くほとんどの男性たちが同じようなファッションに身を固め、同じようなメイクをしたきらびやかに見える女性たちを連れ、同じように楽しそうな生活をしているように見えた。惨めな思いをしたが、私は自分の生き方を変えるという選択はしなかった。

私は4年制の大学を6年かけて卒業した。アメリカの大学制度では年齢や在籍年数などを心配する必要は全くない。何年かかっても働いて学費を納め、可能な限り良い成績で単位を取って専攻学科を習得するだけだ。

アメリカでは企業が入社希望者を年齢を理由に拒むのは非合法だから、それで就職に困ることはない。成績が悪ければ退学を余儀なくされる。大学を卒業する時点で学生は皆専攻学科の知識とスキルは一応備えた状態で就職先を探す。

就職しお金にはなんとか困らなくなった。それでもアメリカという広い国で移民が生きていくには自分ひとりが頼りだった。自分の意志と責任で転職し、給料や待遇、仕事内容のレベルを徐々に上げていった。転職の機会に、住みやすくIT産業が盛んな西海岸へ家を移した。

30代半ばでアメリカ人女性と結婚し、仕事も順調で家も買った。子供は意図的につくらなかった。アメリカ人の素晴らしい友人たちとも出会えた。日本へ帰省して「日本再発見」をしようとしたり、日本の文化の素晴らしさを認識したり、日本人としての自覚を感じ始めたりしたのはようやくこの頃になってからだ。

40代半ばで仕事を辞め、妻と二人で念願だった世界一周の旅(北半球だけだが)に出かけた。終身雇用しか知らない自分と同年代の日本のサラリーマンには出来ないことだろう。大小二つのバックパックだけで2年間旅をして生きると、世界観も価値観も変わる。素晴らしい体験だった。

ひとりになった自分から見た、日本に感じたギャップ

旅を終えて2年間のブランクがある中、社会復帰するため再就職したのはアメリカの大手IT企業だった。どんな能力や仕事経験を持っていても35歳以上では再就職が困難難な日本では、このようなケースは極めて稀だろう。この仕事は今も毎日楽しく続けている。

思い出の多い15年の結婚生活が破綻し、離婚したのが8年前。今は中年独身男性としてやはりひとりで生きている。今のところひとりで生活していて困ることや嫌なこと、寂しいことは全く無い。

日本人やアメリカ人の友人と集い、カメラを手に出かけ、音楽ライブやフェスを楽しみ、読書や音楽、美術鑑賞への情熱は今も変わらず持っている。仕事はこの年齢になるまで10回転職したが、現在の仕事には満足している。周囲の環境や同僚、上司も素晴らしい。

ひとりになってから、日本へ帰省し家族や友人に会う機会が多くなっている。日本とアメリカ双方の文化をそれぞれの言語で理解しているからだろうか、ギャップを感じている。

かつてバブル時代に飛ぶ鳥を落とす勢いだった同級生たちは年功序列の「一生一社」のシステムに未だ居るが、リストラを恐れ、家庭内離婚同然の生活を悔やみ、子供とはコミュニケーションを取れず、年衰えた親の面倒を見ながら自らの健康を心配する…平均的に皆そういう毎日を送っているように見える。

周りがそうだから自分も…そうして彼らは大した疑問も抱かず生きてきたのだろう。彼らの現在は彼ら自身の選択の結果である。もっとも、彼らはそのように認識しているわけではないようだ。

ひとりで過ごすプライベート、「変わっている」とは思わない。

一方、アメリカも住んでみれば酷い国で、治安が悪くて階層格差が存在し、税金や物価もやたら高い。医療保険はあるが、盲腸で一夜入院すれば2万ドル(約200万円)かかる。アメリカの永住権を取得したが、私は日本国籍を維持しているため、退職後の生活は日本になるのだろうか。これは私の個人的な今後の課題である。

私はひとりで毎日楽しく充実した仕事をこなし、プライベートな時間もひとりで過ごすことが多い。日本の同世代の人たちとは随分違う人間だろうし、生活も異なる。ただし、この生活が「変わっている」とは思わない。

中年になって自分の死を考え始めたが、死ぬ時だって人間はひとりだ。自分には情熱を注ぐ趣味があるからリタイアしてもやりたいことはたくさんある。体や頭が衰えてきたら自分で施設を探してそこでケアしてもらうだけだ。

60年近いこれまでの人生、試行錯誤しながらもほぼひとりで、また、ひとりだからこれだけ面白く生きることが出来た。若さゆえの無謀、あるいは言葉では表現できない本能的な直感があったからなのか自分でも分からないが、高校生時代の貧しさと将来への不安の中でひとりで生きることを恐れていたら今の自分は無かった。

また、その時の周囲の状況、自分の考えや精神の状態に応じて「さて、どうする?」と考え、意図的に生活を変えていくのもひとりだからできたことではないだろうか。あのまま日本のサラリーマンの世界に踏み込んでいたら、ストレスで心が病んでいたに違いない。自殺という選択肢すら選んでいたかもしれない。

人と違う一歩、踏み出してみては

日本は変わらない国だ。太平洋戦争・大東亜戦争でも根本的には変わらなかった。日本が変わった最も近い例は明治維新であろう。企業文化も日本に住む日本人からは「変わっている、随分変わっている」と聞くが外から見れば何ら変わりはない。私が言っているのは「クールビズ」が当たり前になったなどという(日本の夏の現状を考えればスーツとネクタイが必須ではないというのはむしろ当たり前だ)次元での変化の話ではない。

外的なプレッシャー無しでは変化を期待できない日本の社会。周りが皆そうだから、一般常識がこうだからという考えでは自分本来の生き方は出来ない。逆に自分はこうだから世界とどのように付き合っていけば良い一生を過ごせるのか、と考えることはできないのだろうか。日本人が最も不得意とすることだろう。

ひとりで人生を謳歌するのは、日本人の国民性、日本の社会や文化的に今後も困難だろうし、そのような人が多く居るとは思えない。しかし、「自分は他の人と随分違う」という認識の度合いが大きいのであれば、周囲と同じことをしても幸せな充実した人生は得られないと覚悟を決め、周囲の人たちと違う方向へ一歩踏み出すことが必要だろう。

そんな人が居たら是非お会いしてじっくり話をしてみたい。

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