「死んじゃだめだ。辛いなら、逃げればいい。」--9月1日は18歳以下の子供が最も多く自殺する日

どんなに親不孝と言われても、どんなに問題児と言われても、辛いなら今は逃げればいい。後から絶対に取り返せるから。

多くの学校で夏休みが終わり、新学期が始まる今日9月1日。この日は、18歳以下の子供が一年間で最も多く自殺をする日だそうだ。

大きなことを言うつもりは無い。専門的なことを言うつもりも無い。ただ、いじめや担任との不仲から小学生時代約2年間不登校だった人間として、高校生時代には極度な心配性を患い苦しんだ人間として、自分の経験を少しだけ書かせてほしい。

そして、もし仮に自殺を考えている「後輩」がこの記事を読んでいたら、一言だけ君に伝えたい。

"死んじゃだめだ。どんなに親不孝と言われても、どんなに問題児と言われても、辛いなら今は逃げればいい。後から絶対に取り返せるから。"

僕は小学生だった頃、約2年間不登校だった。自分が納得いかないことが許せない性格で、先生の言う事、友達の言う事、あらゆる事に対して反発していた。そして担任との折り合いが悪くなり、周囲の友達とも上手くいかなくなった。

上履きのまま学校を飛び出して、家まで帰ったことは数え切れない。そしていつの日か僕は、「不登校」になった。

親や先生からの説得もあり、頑張って学校へ行こうと思っても、大抵は教室に足を踏み入れることが出来なかった。周りの視線をとても気にしていた。普段学校に来ていない人間が、ある日いきなり教室に現れる。友達に何と思われてしまうのか、とても怖かった。

そんな僕は、教室ではなく、保健室に通うようになった。保健室では自分の好きな勉強をしたり、好きな本を読んだり、保健室の先生とお喋りしたりした。それでも、何かの機会にクラスメイトや担任と出会うと、上手く話せなかったり、言い合いになったりして、その場から逃げ出したことも何度かあった。

親や学校の先生など、数えきれないほど多くの方々に迷惑をかけた。小学生ながら、「消えたい」「死にたい」などと繰り返し話していた。結局、最後の卒業式には出席せずに、後日校長室で「一人卒業式」を行ってもらった。

僕は、高校時代にも、「消えたい」「死にたい」と思うような経験をした。

高校3年の受験生の夏、私はいわゆる「強迫性障害」のような症状を患った。6年間続けた部活の引退後、1日17時間もの勉強を続けるうちに精神的におかしくなり、あらゆる事を不安がるようになった。

「もしかしたら自分は癌なのではないか」「公衆トイレに血が付いていたような気がする。病気が自分に移っていたらどうしよう...」とまさに疑心暗鬼になり、勉強に集中できなくなった。そして、「受験生なのに、なんでこんな不安なんかに時間を取られているんだ...!勉強しなくちゃだめだろう...!」と、自分を責め続けるその受験生としてのプレッシャーが、この症状に更に拍車をかけていった。

今では冷静にこのように書いていられるが、当時の自分は本当に気が狂っていた。自殺しようと、本気で何度か考えた。「自分は本当にダメな人間だ」「自分の人生はもう終わりだ」などとずっと考え続け、そしてそれが思い込みに変わっていった。

小学生時代に不登校だったこと、そして受験生時代に気が狂ってしまったことを今改めて思い返してみると、何というか、逃げ道が全く無い暗闇の底に自分がいるようで、その状態が永遠に続くんだと感じていた。

周りで普通に日々を送れている人が羨ましい、いや、妬ましい誰も自分の苦しみになんか気づけない。助けてくれない。助けられない。仲間はいない。一人だ。そんな事を、感じていたように思える。

だけど、今なら自信を持って言える。そんなことは、絶対に無い

小学校で「一人卒業式」を終えた後、当たり前だが両親には中学以降の生活を心配された。僕自身も心配していた。また教室に入れなくなってしまったらどうしよう。また不登校になってしまったらどうしよう。

しかし、これは本当にたまたまなのかもしれないが、入学した中高一貫私立学校(地元の公立には通わず、環境を変えた)の雰囲気が自分には合い、学校生活に溶け込むことが出来た。男子校という環境が自分には良かったのかもしれないが、小学校高学年時にほとんど「学校生活」というものを体験しなかった割には、上手いこと新しい生活に馴染むことが出来た。

高校3年生時に患った極度心配性も、受験が終わった途端、不思議な事に症状は消えた。今考えれば、受験のプレッシャーから逃げていたのかもしれない。結果として僕は第一志望の国立大学には合格することができず、親や先生、先輩や後輩、友人など、応援してくれていた方々に恩返しはできなかった。それでも、入学した早稲田大学では「国際協力」という素晴らしい世界に出会う事が出来て、様々な活動に取り組み、充実した日々を送ることが出来ている。

辛いこと、言葉にならないくらい辛いことに直面している時、人は、周りが見えなくなってしまっているように思う。自分の目の前の「壁」にばかり気を取られ、広い視野で物事を考えられなくなってしまっている。僕もそうだった。逃げ道は無いと思っていた。この暗闇がずっと続くと、本気で思っていた。

でも、そんな事は絶対に無い。時間の経過や環境の変化が、きっと今の「壁」を壊してくれる時が来る。一歩視線を引いてみると、目の前の「壁」が実はそんなに大した物ではない事に気づくかもしれない。目の前だけではなく、左や右にも道は続いているかもしれない。

例えば、自分の3年後、5年後、10年後の姿を想像してみたり、世界中の子ども達は今どんな暮らしをしているのか考えてみたり、宇宙の彼方ってどうなっているのか考えてみたりすることも、良いかもしれない。そんな事を、教室ではなくて、保健室や図書室で考えてみるのも良いかもしれない。

誰も自分の苦しみになんか気づけない。助けてくれない。助けられない。仲間はいない。一人だ。そんな事もない。どんな小さなことだって、親に相談してみればいい。

親がダメなら担任の先生、担任の先生でもダメなら相談室や保健室の先生、相談室や保健室の先生でもダメなら相談窓口の人だっていい。自分の悩みを話すだけでも、心の整理が付いて、ふっと気持ちが軽くなるかもしれない。

クラスメイトだって、悪い奴ばっかじゃない。例えば君がいじめられていたら、君は「誰も助けてくれない。味方はいない。」って思うかもしれない。そんなことはない。「いじめは良くない」と思っている子がきっといる。何とかして君に話しかけてみたいと思っている子がきっといる。僕も小学生の頃、体育館の裏で泣いていた所に一人で駆けつけてくれた子がいた。世の中、敵ばかりじゃない。

いつか、Appleの創業者スティーブ=ジョブズは言っていた。「点は繋がる」と。

自分も、小学校時代の不登校だった経験や、高校時代の挫折の経験が、今の自分に繋がっている。今の自分を支えてくれている。強くしてくれている。

最後に、もう一度、一言だけ。

死んじゃだめだ。それは、答えにはならない。

どんなに親不孝と言われても、どんなに問題児と言われても、辛いなら今は逃げればいい。そう、逃げていいんだ。後から絶対に取り返せるから。

記事執筆者:原貫太(早稲田大学4年)

(2016年9月1日 原貫太ブログ「拝啓 美しくも不条理な世界へ」より転載)

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