「地球市民」という考え方-戦場で戦うアフリカの子ども兵と早稲田大学に通う日本の私

沢山の人、特に周りの大学生の友人に「どうして世界の出来事にそこまで関心を抱けるの?」としばしば訊かれることがあります。この質問に対する私の一つの答えが「地球市民」という考え方です。

皆さんは日頃、世界の出来事にどれほど関心を持っているでしょうか。もしくは持ち続けているでしょうか。

例えば、

・バングラデシュの首都には路上で生きるストリートチルドレンが33万人以上いる。

・20年以上続いたウガンダ北部の内戦では多くの子供たちが強制的に徴兵され、「子ども兵」として搾取されている。

・1994年に起きたジェノサイド(大量虐殺)で、ルワンダでは80万人以上の命が失われた。

このような話を見聞きした時、皆さんはどう感じるでしょう。悲しいと思うでしょうか。何か自分にできる事をしようと考えるでしょうか。

それとも、例え一旦は何かを感じても、時間が経てば「どこか遠くの国の問題」と割り切り、何事も無いかのように生活を送っているでしょうか。

駅で働く子供たち。ペットボトルなどのゴミを集め、回収業者に渡すことで日銭を稼ぐ。一日の収入は約100円。ほとんどの子どもは学校に通っていない。(photo by 原貫太)

子ども兵。ある日突然誘拐された彼らは、洗脳を目的とし、最初の「任務」として親や兄弟を殺したり、または四肢を切り落としたりすることが強要される。(写真提供:認定NPO法人テラ・ルネッサンス

ルワンダ虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨。たった22年前に、100日間で80万人が虐殺された。国際社会は虐殺を止めようとはせず、その行方を何もせずにただ眺めているだけだった。(photo by 原貫太)

これまで私はフィリピン、バングラデシュ、ルワンダ、ウガンダ……と足を運び、「ストリートチルドレン」「児童労働」「物乞い」「孤児」「スラム」「虐殺」「HIV/AIDs」「子ども兵」など、学生という立場にも関わらず様々な不条理や社会的弱者と接する機会を得てきました。

そしてただ接するだけではなく、学生NGOのメンバーとしてその不条理に対する抗い方を考え、紆余曲折しながらも実行に移し、また一方では様々なメディアを通じて、自分が現地で見聞きした話を「伝える」ことにも力を入れてきました。

だからこそ、沢山の人、特に周りの大学生の友人にしばしば訊かれることがあります。

"どうして世界の出来事にそこまで関心を抱けるの?"

とても難しい質問です。ただ、この質問に対する私の一つの答えが、「地球市民」という考え方です。

これといった正式な定義は無いものの、「地球市民」とは、「人種や国籍、思想や宗教、文化などに囚われず、平和、環境、人権、貧困などの地球規模の課題の解決に向けて、地球に生きる一人の人間として、日々の生活の中で考え、行動を起こしていく人。」のことを指します。

私は、日本人です。日本の社会システムの下で、様々な恩恵を受けていることも自覚しています。

ただそのことと同じように、グローバル化がますます進展し、地球上のあらゆる事象が連関を強めている今日だからこそ、私はこの「地球市民」という一種のアイデンティティもまた忘れないように心がけています。

だからこそ、日本で起きている出来事のみならず、世界中の様々な出来事にも関心を持ち続けています。

そしてまた、世界の不条理を目の当たりにした時、そこに対してただ責任追及や悲しみを嘆くだけではなく、自分自身にもその責任の一端があるのではないか、自分はその出来事とどう繋がっているのか、彼ら彼女らを苦しめる「暴力」を産み出す構造に自分が関わってしまっていないか、自分の足で誰かを踏みつけていないか……そんなことを時として考えながら生活しています。

でも、この「地球市民」というアイデンティティを自分の中に取り込むことは、そんなに簡単な事ではありません。簡単ではないからこそ、"どうして世界の出来事にそこまで関心を抱けるの?"と訊かれます。

だから私は、自分と世界との繋がりを考えるために、二つの"気づき"を大切にしています。それは、「理解」「自覚」です。

ある日突然反政府軍に誘拐され、軍事訓練を受けさせられたウガンダの子ども兵は、なぜ最初の任務として親を殺さなければならないのか。なぜ「子ども兵」と呼ばれる人々は世界に25万人以上もいるのか。

なぜこの地球という惑星には、不条理な苦痛が溢れているのか。

自分にはまだまだ知らない事が山ほどあるからこそ、自分が生きている世界の事を知り、そして「理解」したい。日々勉強をすることや、世界中のニュースにアンテナを張ることで、世界に対する自分の「理解」を深めていく。

そしてもう一つ、ただ「理解」をするだけでなく、自分が今置かれた環境や立場に対して「自覚」を持つこと。

戦場で人殺しに従事するウガンダの子ども兵がいる一方で、自分は早稲田大学という恵まれた環境で毎日勉強することが出来る。友達と笑い合いながらご飯を食べることが出来る。家族と幸せな日々を送ることが出来る。

そして、この「理解」と「自覚」は相互に関係を持つと思うのです。他者に対する「理解」が自己に対する「自覚」を生み、また自己に対する「自覚」が他者に対する「理解」を生む。

この「理解」と「自覚」を同時に持った時、その両者の気の遠くなるような乖離こそ、私に「地球市民」という意識を喚起させます。

今月14日に熊本で地震が発生したすぐ後、アメリカの友人のみならず、バングラデシュやウガンダの友人から「お前の町は大丈夫か。」「友達は大丈夫か。」などと連絡を貰いました。

遠く離れた国の人々が日本のことを気にかけてくれている。その一方で、私たちは普段どれだけ他国の出来事に関心を持ち生活しているだろうか。

「地球市民」。この言葉の意味を改めて考えさせられます。

記事執筆者:原貫太

現在学生NGOバングラデシュ国際協力隊では新メンバーを募集しております。詳しくは当団体Webページをご覧ください。

(2016年4月18日 原貫太ブログ「拝啓 美しくも不条理な世界へ」より転載)

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