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東日本大震災を忘れない--石巻復興支援ネットワーク代表に聞く、被災地の現状と課題

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2011年3月11日、東北地方をマグニチュード9.0の地震と大規模な津波が襲った。宮城県東部に位置する石巻市では、震災関連死を含めて3,549人が犠牲となり、425人の行方が未だに分かっていない。

東日本大震災による全体の犠牲者のうち、約20%が石巻で犠牲となり、被災面積も広く、最も被害の大きかった市のひとつとなった。

震災から5年。仮設住宅から公営住宅への移動が進んでいく中、経済的な理由や移動後の生活の不安から仮設住宅へ留まり続ける人も多く、特に高齢者の健康状態の悪化や交流機会の減少など、5年という月日が流れた現在、被災地では新しい課題も生まれている。

特定非営利活動法人「石巻復興支援ネットワーク(通称やっぺす!)」の代表理事の兼子佳恵氏に、被災地の現状と課題、また活動に携わる想いなどを聞いた。
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兼子氏へのインタビュー中の様子(写真:原貫太)

--石巻復興支援ネットワーク、通称「やっぺす!」は、2011年5月に兼子さんが仲間と共に設立したとお聞きしました。設立に至った経緯や当時の心境を聞かせてください。

震災後3日間、私の家は水の中でした。3日目に家から出て、外の様子を初めて目にして今回の被害の大きさを知ったのですが、その家にいた3日間でも出来たことがあったのではないかと思いました。

震災前も活動を12年ほどやっていて、友人知人やそのご家族たちが沢山亡くなったという現状を目の当たりにして、何か自分にできることからやろうと思ったのです。

ただ、やり始めようと思った時に、色々な制約がありました。ボランティアセンターは出来たかもしれないけれど、一般の私たち、地元の人間たちが活動するベースが無かったというのが一番大きかった。

なぜかというと、情報を得るためにはボランティアセンターのある会場まで自分で足を運ばないといけないとか、子供を置いてできることは限られていたから。

だから、拠点を石巻駅前におくと決めて、PTAの仲間たちで組織していた「環境と子供を考える会」と「つなプロ」とで立ち上げスタートしたのが「やっぺす!(石巻復興支援ネットワーク)」でした。

しかし、やらなければいけないことが沢山見えてきた中で、ボランティアという形で活動を続けていくのは難しいだろうなと思いました。私たち自身全員が被災しているので、まず自分たちが仕事をしないといけないという状況で、法人化を決意しました。

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震災後の石巻市内の様子(写真提供:石巻復興支援ネットワーク)
 
 
--そうなのですね。私自身も学生NGOを立ち上げて、バングラデシュでボランティアという形で国際協力活動に携わっているのですが、自分の生活を考えるとこの形で続けていくことは厳しいです。将来的に考えると、プロとしてやっていく必要があると強く感じています。

「やっぺす!」の具体的な取り組み、また活動してきて苦労した事や良かった事を聞かせてください。

2011年5月に活動が始まり、元になっていたのは、子供たちを元気にしようという活動や、非難所にいる特別なニーズをもっている方々とNPOを繋ぐドライバーとして雇用して頂いての活動でした。

活動していく中で仮設住宅が少しずつ建ち始め、その後市内でも大きな大橋仮設住宅に手伝いに行くと、そこの住民さんたちにコミュニティが全く存在しないことがわかりました。隣の人と挨拶をしたこともないし、話したこともないという状況だったのです。

だけど、「ここに数年間住むのであったら、住んで良かったと思える数年間にしたい。自分たちは沢山のものを失ったけれども、ここで生活していたことが良かったことだと思いたい。」という話を聞いて、仮設のコミュニティ支援に取り組もうと思い、「やっぺす隊がやってくる!!」が始まりました(2011年8月)。

当初は支援慣れし過ぎていて、"やってもらうのが当たり前"という感じがあったのですが、私は「その人がやれることまで削いでしまう支援の在り方は良くない」と思っていました。

私たち(兼子さんたち)にも自分たちの生活がある中で活動しているという事実を知った住民の人たちが、「自分たちにもできることをやりたい」と思い始めるようになって、お互いに支援する人・支援される人という関係ではなくなっていきました。

"やっぺす"というのは、地元の方言で"一緒にやろう"という意味です。

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「やっぺす隊がやってくる!!」の様子(写真提供:石巻復興支援ネットワーク)

私たちは自立支援にも力をいれており、仕事が無いということが一番の問題であったので、内職仕事の提供を始めました。

働いて賃金を得て何か自分の好きなことをする、という小さな成功体験から、喜びや感謝の関係性を作っていくことが一番大事であると考えたのです。その中で、"おうち仕事"と呼んでいる内職仕事を提供するようになりました。

しかし、内職したい人は増えるけれど、ストラップなどの復興支援グッズはある時期を過ぎると売れなくなってしまう。支援はいつまでも続くものではなく、いずれ無くなってしまうものだと思っていましたが、それでも仕事が欲しい人は沢山いた。

そこで、Amanecer(アマネセール)というママたちの作るアクセサリーブランドを立ち上げました。

「復興支援」という面を大きく打ち出すのではなく、「綺麗でかわいいものを購入したら、実は被災地のお母さんたちの雇用の応援を自分たちもできていた、自分にできることで応援できていた」という形を取ろうと思い、発足させました。

このAmanecerは、辺見エミリさんがご自身のブログで紹介してくれたこともあり、爆発的に売れ、活動の土台をある程度築くことが出来ました。

「内職だから大変だけどお金にならない」ではなく、本当に仕事を欲している人たちだから、家で作業して下さったものも、外で働いた時と同じくらいの時給になるように心がけています。

これだけだと一方的な支援になってしまうので、内職するお母さんたちの中で優秀な人を講師の先生にして、新商品が出来た時に別に賃金を支払い講習をしてもらうようにしています。

そうすると、教わっている人の中からも講師になりたいと思う人が出てきたり、より良い商品が出来るという相乗効果が生まれました。

一方で、地元の人材育成にも力を入れています。当時は仕事が欲しいのに見つからない人が多くいたので、2012年には起業家支援を始めました。

私は震災から半年間近く、声が全く出なくなってしまったんです。一緒に頑張ってきた仲間を失った中で、自分はなんで生きているのか、その人たちが生きていた方が良かったのではないかと、すごく悩んだ時期がありました。

助かったけれど、「もういいや。生きていくのがしんどいな。」と思うことがありました。自分たちがやらなければいけないことが沢山あるのに、それを全部先に始められてしまう。それは、不安でしかなかった。

だからこそ、大きな波が来た時に、そこに飲み込まれない人の育成が大切だと感じた。特に若い人たちは、夢が描けないような状態だった。昨日まで普通に明るかった町が灰色に見える。ちょうど上京する時期だった長男は、「自分の人生は終わった。」と言いました。

そういう若者が多かった。一方で大人たちは、支援物資が送られてくると、黙ってそれを受け取るために何時間も並んでいた。そういう姿を子供たちが見て、「大人って本当にあさましい」と言っていました。

並んでいれば物がもらえるから、子どもたちは「自分たちも働かなくても大丈夫なんだ」というようなり、私は、それは違うと思いました。大人たちもしっかり学びながら、周りの雰囲気に巻き込まれないような地域を作り直さないといけないと、強く感じていました。

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現在の石巻市内の様子(写真:原貫太)
 
 
--震災前から若者の流出は問題になっていたようですが、震災を期に若者の流出は更に増えたのでしょうか。

増えたのだと思います。県外まではいかなくても、仕事が無いので仙台などの大都市に行く人が多かった。また、若い人たちが働きたいと思える仕事が石巻には無かった。(石巻の)外から見た時に、自分がやれる仕事が無かったら戻ってくることもない。

若いからやりたいことを潰されるような場所ではなく、若い人たちが自分たちで声を上げられる社会・地域でありたい。それから、石巻は若いお母さんたちが多いからこそ、彼女たちが子供を持っているから我慢するのではく、学べる環境を作りたいと思いました。

--仮設住宅でのコミュニティ作りに関してお聞きします。私自身、福島の仮設住宅を訪問した際、女性よりも男性の方がコミュニティに入りにくい、部屋から出てこないなどの話を聞きました。それに関して、何か困難はあったのでしょうか。

もちろんありました。だからこそ、「自分がやったことが実になる」という考えの下、男性が好きなモノづくり、例えば仮設住宅での棚を作るだとかベンチを作るだとか、そういう場所では男性が出てきてくれました。

しかし、時間が経てばモノづくりなどの活動は減っていきます。だから、絵手紙や書道など、男性でも参加してくれるものを実施しました。

それから、畑作りは継続して続けています。仮設住宅に住んでいると家の中に閉じこもっている時間が多いので、体調を崩されるのですよね。でも、畑って生き物なので、毎日通うようになる。高血圧の方が、お薬飲むのを止めて大丈夫なくらい健康になった話などを聞いています。

仮設住宅って、本当に特別な場所なんです。仮設住宅が建つ場所は安全な場所です。ただ、そこに元々住んでいる方々もいるわけじゃないですか。彼らとの軋轢と言うか、見えない壁のようなものを取り払わないといけないというのは、当初から感じていました。

仮設住宅には物資は来る、芸能人は来る...。外の人から見たら、お祭り騒ぎだとも感じられてしまう。だから、ワークショップを積み重ね、彼らが交流できるような広場を作りました。

畑の活動も一緒で、そこに元々住んでいた農家の方を講師に呼び、仮設住宅の方々が教わる。お互いが交流する中で、より良い関係を築いていく。これは、本当にやって良かったと思います。

--仮設住宅の中だけでのコミュニティ作りでは無く、それを越えた、仮設住宅の周りも含んだ上でのコミュニティ作りというのが大切だったという事ですね。

そうですね。

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市民農園運営の様子(写真提供:石巻復興支援ネットワーク)

仮設住宅で大切なのは、スタートだと思います。今も熊本で仮設住宅が建ち始め、被災した方々が移動されているとは思うのですが、仮設住宅の建物も散々「これではダメ」という話をされてきても、全く同じ形の仮設住宅が建てられている。

それを見ると、ガッカリしますね。ちょっとした物音でも、隣の部屋に聞こえてしまう。神経質になっているからこそ、そのストレスで病気になってしまう人もいます。

--建物の構造という意味で、現在建てられている仮設住宅は良くないのですね。

はい。そうですね。一部ハウスメーカーさんの建てられたものは別ですが。
 
--震災から5年3か月が経った現状、そして課題を聞かせてください。

仮設住宅から復興公営住宅へと移動される方が沢山増えてきて、それ自体は良い事なのですけど、移動できない人たちの健康状態や交流する機会の減少は課題ですね。

ボランティアの目が公営住宅へと移っていて、支援の形もそっち側の方が予算が付きやすかったりする。仮設住宅で暮らしている方々が、自分たちが忘れられていくという不安を抱えているのは感じます。

そして、ある日突然大切な人を亡くして、自分は彼らに何もすることが出来なかったという想いを抱えた人の多くが今改めて、「自分は今何でここにいるんだろう」と苦しい思いをされているのは、関わっていて感じます。

高齢の方々の中には、「物資ではなく、会話が必要。」とおっしゃる方もいます。若い人のボランティアを心待ちにしていて、「何もしなくてもいいから、来てくれること自体が嬉しい。」とおっしゃる方も沢山います。

また、寂しさやこれから先どうしていけば良いのかという不安を抱え、どうしようもない人も中には存在するかもしれません。

--仮設住宅から公営住宅へと移れる人・移れない人の違いというのは、経済的な理由が大きいのでしょうか。

経済的なものが一番大きいのかもしれませんね。あとは、公営住宅に移った後の不安もあると思います。

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福島市内の仮設住宅の様子(写真:原貫太)
 
 
--仮設住宅であっても、そこの生活に慣れ、やっと落ち着いたという所でまた公営住宅へと移り住むというのは、心身共に負担になるのかなと感じます。

そうですね。また知らない人と一から関係を作ることは、私たちでも大変な事じゃないですか。それが高齢の方であれば、尚更大変な事だと思います。だから、家の中に籠り、外へ一歩も出ない生活になる。そして健康を害していくことに繋がると思います。

それから、仮設住宅に残っている人、彼らを支える団体も含めて、「今何が必要なのか」をもっとしっかりと考えるべき時期だと思います。

どうしても支援の偏りというものが出てきてしまっている。大きくクローズアップされている所ではお金も人も流れ込むけれど、そうではなく、草の根的に活動している人たちをもっと底上げし、応援していかなければならない。

結局現場に来てもらって見てもらわないと、伝えられることって限られてしまうんですよ。原さんのこれまで書いてきた世界の諸問題に関する記事を読んでいても凄いなと感じるのですが、私たちにはあれは出来ないじゃないですか。
 
 
--そうですね。私も現地に足を運んでいる人間として、出来る限り分かり易く伝えるということは心がけているのですが、それを見て突き動かされる人というのは本当に一握りの人たちで...。

ほとんどの場合、日本の現状であっても世界の現状であっても、それを読んだ人がその後のアクションにまで繋がるというのは、なかなか無い事ですね。そこは難しさを感じます。

そうですね。それを専門的にやろうとしている人であっても、「伝える」ことは難しいと思います。
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現在の石巻市内の様子(写真:原貫太)
 
 
--今年4月に熊本地震が発生し、また最近では南海トラフ沖地震も危惧されていますが、被災者でありかつこれまで様々な活動に取り組んできた兼子さんから見て、日本の人々の防災意識はどう映っているのでしょうか。

やはり、自分事として捉えている人が少ないと強く感じています。

例えば、防災セットって売っているじゃないですか。あれさえ買っていれば十分だと思っている人が多いのですよね。例え準備しておいても、津波で流されてしまったら何も残らないですから。

「防災グッズはいつも携帯しておく。いつも持って歩く。」というのは、本当に大事だと思っています。

震災が起きて何が一番助けになったかと考えると、私は人との繋がりでした。震災前のある研修会で出来た全国の人との繋がり、その人たちが本当に応援して下さった。

被災した地域って、行政職員の人も同じ地域に住んでいるから同じように被災するんですよ。それをどこか忘れてしまうのです。

だから、自分たちの自助努力でどこまでできるのか。お互い助け合って仲間を作り、彼らとどこまで助け合えるのか。その後自分がどうしようもなくなった時に、どのように行政に助けを求めればよいのか。そういった事は、もっと学び考えておいてほしいですね。

それから、災害が起きると色々な人たち、色々な情報が入ってくるんです。それを如何にして、「自分に必要な人なのか、必要な情報なのか」を見極めるのか、如何にして人との繋がりを作っておくのか。それらを平時から考えておくことが凄く大切だと思います。
 
--阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時も、例えば震災発生後すぐにボランティアが現地入りしてしまうとそれが迷惑になるケースもあるとお聞きしました。また、近年ではSNSの発達により、誤情報の広がりも大きな問題になっているかと思います。こういう時代だからこそ、「自分で情報を取捨選択する力」というのは、大切になってくると私も思います。  

--「やっぺす!」という言葉にも込められていると思うのですが、兼子さんは一人の母親であり、一人の主婦であり、一人の市民であるからこそ、同じ市民である私たちにも「伝わる」ものがあるのかなと感じます。最後に、日本の人たちへのメッセージをお願いします。

出来ない事って無いと思っています。「出来ない」と決めているのは自分なんだし、それは「やらない」のと同じだと思います。

「やる」ことも同じ。「やる」って決めたなら、やり続ける。声を出し続ければ、必ず誰かと繋がって、私みたいな普通の主婦でも大きな企業とコラボして仕事が出来る。そこには学生だからとか、主婦だからとか、肩書なんて関係ないものが必ず生まれる。

一方的に自分が入っていく「共鳴」じゃダメなんです。「共感」して、「自分だったらこうだ」というものを創り上げてほしい。

「私には出来ません」というのは、「出来ない」のではなくて、「やらない」と自分の中に決めてしまっているから出来ないだけ。だけど、「一歩踏み出してみようかな」と声を出してみれば、きっと誰かが手伝ってくれて、必ず形になる。

だから、ずっと声に出し続ける。ホラ吹きって言われようが、「絶対やってやる!」みたいな感じですかね(笑)。

--兼子さんはこれまで様々な活動を実現しているから説得力があるし、決して届かない存在ではなく、僕らと同じような人だからこそ、共感するものがあります。

ありがとうございます。本当に、「出来ないこと」なんて無いですよ。「出来ない」のではなくて、「やらない」と決断しているだけ。

人生って本当にシンプル。「やりたい」「やろう」と思ったことには、必ず協力者が出るから。声を出して、繋がる。一人じゃないって事です。

あとは、皆さんぜひ石巻に来てください。(笑)

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兼子さん、ありがとうございました。

(聞き手:早稲田大学4年 原貫太)

記事執筆者:原貫太
Twitter:https://twitter.com/kantahara
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(2016年6月30日 Platnews「東日本大震災を忘れない--石巻復興支援ネットワーク代表に聞く、被災地の現状と課題」より転載)