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なぜ欧米諸国はルワンダ大統領ポール・カガメの「独裁」を黙認し続けるのか?

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東アフリカに位置するルワンダ共和国。「千の丘の国」という異名を持つほど美しい自然に恵まれたこの国の大統領は、1994年のルワンダ虐殺当時、旧反政府軍であるルワンダ愛国戦線の司令官を務めていた。

2000年に大統領に就任し、その後現在までの16年間その地位に留まり続けるポール・カガメ大統領(58歳)。「アフリカの大地で起きた20世紀最大の悲劇」とも呼ばれるルワンダ大虐殺から、僅か20年で奇跡的な復興と発展を遂げたその功績にカガメ大統領が大きく貢献していると評価される一方で、反体制派への弾圧や憲法改正による任期延長など、近年では独裁化傾向にあるとも批判を受けている。

このような事実があるにも関わらず、ルワンダへの開発援助の最大ドナーでもある欧米諸国は、カガメ大統領の「独裁」を黙認し続けている。

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1994年に起きたルワンダ虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨。100日間で約80万人が亡くなった。(写真:原貫太)

反政府軍の司令官として内戦に終止符を打ったカガメ氏

1994年、フツ族系の政府とそれに同調する過激派フツ族の手によって、100日間で少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された。4月にフツ族系のハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が何者かに撃墜され死亡したことをきっかけに、抗争が激化。

ツチ族系のルワンダ愛国戦線(Rwanda Patriotic Front / 以下RPF)が同国を制圧するまで虐殺は続いた(関連記事:なぜ「世界」は80万人の死を防ぐことが出来なかったのか?―ルワンダ虐殺から22年(前半)なぜ「世界」は80万人の死を防ぐことが出来なかったのか?―ルワンダ虐殺から22年(後半)100日間で起きた80万人の虐殺-ルワンダ虐殺から「学んだ」、国際社会3つの歩み)。

このジェノサイド(日本語では「大量虐殺」としばしば訳されるが、ジェノサイドの定義には殺害が伴わない事もあるため、「集団抹殺」という訳の方が好ましい)を鎮圧したRPFは、隣国のウガンダに逃れていたツチ族系の難民によって1987年に設立されたルワンダの旧反政府勢力であり、現在ではカガメ大統領が率いる政党になっている。

1990年、当時ウガンダに拠点を置いていたRPFがルワンダに侵攻した際、カガメ氏はアメリカ・カンザス州のレブンワース基地にて軍事訓練を受けていた。その後RPFの司令官となったカガメ氏は、1994年のジェノサイドが開始するとRPFを統率、最終的にルワンダ首都キガリを制圧し、内戦に終止符を打った。

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ルワンダ首都キガリの様子(写真:原貫太)

独裁化するカガメ政権

1994年7月に内戦が終結し、その後フツ族系のビジムング氏を大統領とする新政権が発足。カガメ氏は副大統領兼国防相に就任したが、事実上は政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。

その後ビジムング大統領が2000年3月に辞任したことを受けて、副大統領だったカガメ氏は同年4月に大統領に就任。2003年には複数候補者による初の大統領選挙で当選、2010年には再選した。

しかしながら、得票率も高く、国民からの信頼も厚いと言われている一方で、近年カガメ政権は独裁化傾向にあるとも批判されている

「自らの権力を維持し続けるために反対勢力への弾圧を行っている」と批判されているカガメ大統領。反体制派の人々の暗殺への関与も疑われている。また昨年には、同国の憲法172条の改正によって、カガメ氏が国会議員である限りは2034年まで大統領にいる事ができるという法律が制定されている。

加えて、隣国のコンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo / DRC)で殺戮や強盗、レイプなどを行っている民兵組織への支援も行っていると指摘されており、戦争犯罪の疑いもかけられている。

欧米諸国がカガメ大統領の「独裁」を黙認し続ける2つの理由

ではなぜ、戦争犯罪の疑いさえもかけられているカガメ大統領の「独裁」を欧米諸国は見逃し続けているのか。それどころか、なぜビル・クリントン元米大統領はカガメ大統領を「我々の時代における最も偉大なリーダーのうちの一人」と、またトニー・ブレア元英首相は「先見の明があるリーダー(Visionary Leader)」と称えているのか。これには大きく二つの理由がある。

一つ目は、ルワンダへの開発援助は非常に良い成功例と言えるからだ。大国による発展途上国への開発援助、特にアフリカ諸国への開発援助はしばしば批判を受けてきた。冷戦時代には、政治的意図からドナー国の国益に適う「支援」が行われてきたと批判されてきた。

また、過去60年間でアフリカ諸国は一兆ドル以上の開発援助を受けてきたにもかかわらず、貧困、紛争、病気、汚職、そして援助慣れという負の連鎖から抜け出せずにいる点も、「これまでのアフリカへの開発援助は無意味であった」と批判される大きな理由となっている。

しかしながら、ルワンダは「アフリカのシンガポール」とも呼ばれるほど経済成長著しい国であり、欧米諸国、特にアメリカやイギリスからの多額の開発援助が、これに貢献してきたと言われる。

批判されることの多い「アフリカへの開発援助」というアイデンティティそのものを保つために、ルワンダの成功事例は一つの弁護になるだろう。だから、欧米諸国はルワンダへの援助を続け、カガメ大統領の「独裁」には目を瞑る。大国のエゴイズムとも言えるかもしれない。

欧米諸国がカガメ政権の「独裁」を黙認するもう一つの理由は、「ジェノサイド時に欧米諸国は何もできなかった(何もしなかった)」という罪悪感のために、そのジェノサイドを鎮圧し、現在は国の最高地位に就くカガメ大統領を批判出来ないから、というものだ。

例えばアメリカの場合、ルワンダ虐殺の前年である1993年までは世界の平和維持活動を積極的に行ってきたが、映画『ブラックホーク・ダウン』でも描かれたように、ソマリア内戦へ平和維持軍として軍事介入を試みた結果、米兵18人が死亡。

以後、米国の世論は撤退や紛争地への介入に対する消極的な姿勢へと大きく傾き、その結果当時のアメリカ政府は、ルワンダ内戦への自国の関与にも消極的になった。ビル・クリントン大統領(当時)はルワンダ虐殺から5年後に行われたインタビューにおいて、「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいたとすれば、50万人の命を救う事が出来たと考えている。」と発言している。

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ルワンダの子ども達(写真:原貫太)

アフリカ諸国、特にサハラ砂漠以南の多くの国では、大統領が非常に強い権限を持つ独裁政権に加え、一度力を手に入れると長きに渡ってその地位に留まり続けるという長期政権も多く見られる。

アメリカ合衆国の国際政治学者サミュエル・ハンティントン(1927-2008)は、自身の論文『Political Development and Political Decay』の中で、Political Development(政治開発)の一要素として"generational age"、つまり「ある(政治)組織において、主導者の引き継ぎがしっかりと行われていればいるほど、その組織はより制度化(institutionalized)されたものになる」と唱えた。

安定した経済成長を見せ、その点ではアフリカ諸国にとってお手本にもなるであろうルワンダ。その優秀な経済開発に加え、政治開発においてもアフリカをリードする役割を担うべきではないか。

そして欧米諸国は、長期的な視座からルワンダが発展していくために、経済のみならず政治面での助言、ひいてはプレッシャーを与えていくべきではないだろうか。
 
 

記事執筆者:原貫太
1994年、神奈川県生まれ。
早稲田大学4年。2014年に学生NGOバングラデシュ国際協力隊を創設。第一期代表としてストリートチルドレン問題に取り組み、現在も活動を継続中。国内での講演多数。
派遣留学生として、カリフォルニア州立大学チコ校にて国際関係論を専攻。関心領域は国際政治全般。

Twitter:https://twitter.com/kantahara
Facebook:https://www.facebook.com/kanta0422
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(2016年8月13日 政治解説メディアPlatnews「なぜ欧米諸国はルワンダ大統領の「独裁」を黙認し続けるのか?」より転載)