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カヨンセ Headshot

「オネエ」が笑われることの何が不快か

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僕はアメトーークが大好きです。先日のアメトーークのテーマは「絵心ない芸人」でした。

絵心がない、つまり絵が上手くない芸人が絵を披露し笑うというのが番組の趣旨でした。

番組中に松山さんという野球選手のライオンの絵がスタジオで披露されると、スタジオ内は絵の下手さに騒然となりました。

最初に宮迫さんが絵について「口紅がスゴイ」と笑いを取りました。次に陣内さんが「(このライオンは)二丁目のオネエだ」といいスタジオが爆笑に包まれました。宮迫さんも陣内さんの発言に「だいぶ時間経ってるから髭生えてもうてる」と被せ、さらに爆笑。続いて竹山さんが「朝四時のオネエ」と発言し爆笑。最後にメジャーリーガーの前健さんが「キモい」と締めくくり爆笑でした。

よくテレビ番組でオネエは笑いのネタにされてますが、今回の笑いの取り方はオネエが面白い理由を物凄く分かりやすく表していると思いました。

つまりオネエが面白いのは「キモい」からということです。

エンターテイメントにおいてセクシュアルマイノリティの人たちは、日々笑いのネタとして消費されてます。制作者の大多数が非セクシュアルマイノリティならば笑って消費する大多数も非セクシュアルマイノリティです。

番組を作る側としてセクシュアルマイノリティの芸能人が出演することもありますが、制作者やそのほかの芸能人など、制作に関わる人たちの大多数はやはり非セクシュアルマイノリティです。そのためヘテロセクシュアル男性とオネエの恋愛マッチング企画「オネマゲドン」など、結局オネエはキモい笑いの対象として消費されるのです。

なんでこんなことが起きてしまっているかと言えば、セクシュアルマイノリティについて最低限の理解もないままに番組が制作され消費され続けてしまっているからなのでしょう。

例えば「ウザいコンビニ店員」というコントが面白かったとします。でも「そのコントに出ているコンビニ店員がウザい」のであって、「コンビニ店員全員がウザい」訳では決してありませんよね。なぜ制作者や視聴者がそれを知っているかと言えば、僕たちは今までの人生で多くのコンビニ店員に出会い、「コンビニ店員というのは人を構成する1つの特徴だ」と理解できているからです。人にはいろんな人がいて、ウザいコンビニ店員もいれば優しいコンビニ店員もいる。そういう意味で僕たちはコンビニ店員を理解しています。

一方で「オネエ」はどうでしょうか。テレビ番組に出演しているセクシュアルマイノリティのタレントは「オネエ」としてまとめられていますが、実は心と体の性に違和感を感じているトランスジェンダーのタレントから心と体の性は男性で男性が好きなゲイのタレントまで色々います。主にトランスジェンダーとゲイのタレントが番組に出演していることが多い印象ですが、他にも多くの心の性と体の性と好きになる性のカタチがあります。

でもエンターテイメントはそれを「オネエ」と一括りにし笑いとして消費します。そして、その番組を観る多くの人は実生活で「オネエ」に出会ってません。なので、人々はそもそも「オネエ」がエンターテイメント用語であり一般に生活するセクシュアルマイノリティの多くはそのような呼ばれ方に否定的なことはおろか、セクシュアルマイノリティであることを人のある1つの特徴として捉えられていないために、セクシュアルマイノリティがキモくないこと、人であることが理解されていないのです。

ただひたすらに僕の目の前を人でなしの笑える化け物として制作・消費され通過して行く僕の特徴の一部。

僕はそんなシーンに遭遇する度に頭に来て、そして物凄く虚しくなります。

なぜなら、「オネエ」を笑いにしているのは番組の出演者や制作者だけでなく、視聴者を含む社会全体だからです。社会全体がセクシュアリティは1つの特徴だと心から理解できるまでこれが続くのかと思うと、途方もなく感じられて虚しいのです。

僕は「オネエ」を笑っちゃいけないのではないと思います。「ウザいコンビニ店員」の笑いが成立するように「こういうセクシュアルマイノリティいるいる」とセクシュアルマイノリティの笑いも成立する社会であって欲しいのです。そのために、より多くのセクシュアルマイノリティに出会って欲しいです。

セクシュアルマイノリティの友人が多くいれば、セクシュアルマイノリティについての笑いもより健全で質が高いものになるでしょう。

なぜなら、セクシュアルマイノリティの友人が多くいればセクシュアルマイノリティが笑いのネタとして番組で扱われる時、制作者も視聴者もきっとセクシュアルマイノリティの友人を頭に思い浮かべるはずです。そして、それでも笑えればその笑いは面白くて、笑えなければそれはやり過ぎだということになるからです。

今のセクシュアルマイノリティについての「笑い」では、誰かは笑い、誰かは苦しんでいます。

これは、社会のいじめです。

メキシコとの国境への壁の建設、ムスリムへの差別発言、障がい者への差別的な身振り、女性蔑視な言動...程度や対象は違いますが、起きていることはどこの国でも同じことです。

対岸に燃え盛る火は、よく見てみると鏡に映ったあなたの岸の火かもしれません。

(2017年1月23日付Facebookの投稿を転載)