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頼まれてもいないのに新成人へのメッセージ。の巻

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1月11日は成人の日だった。

テレビでは晴れ着姿の「新成人」の姿や、毎年恒例の「荒れる新成人」の姿がメディアを騒がせた。ちなみに私は「荒れる新成人」報道は安易な若者バッシングに繋がるので、どうにかした方がいいと毎年思っているが、思っているだけで特に何もしていないという立場だ。だからちょっと書いてみた。
 
さて、そんな私が成人となったのは20年前。成人式からもう20年も経つのだ。

思い出すことと言えば、20歳のお正月、一通も年賀状が届かなかったこと。友達もなく、お金もなく、バイトをするだけで自分が何をしていいのかさっぱりわからずリストカットを繰り返すという、言わば「どん底」だったのが20歳だった。

なぜ、友達すらいなかったのかというと、必死で「キャラ変」をしていた頃だったからだ。私は高校を卒業した1993年に美大の予備校に入るため上京しているのだが、同時期、多くの友人が上京した。といっても「学校の友達」などではなく、バンギャ友達。高校時代、ともにヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れた友人たちである。

一人暮らしを始めて、そんな友達と毎日のように遊ぶことは、最初の頃は楽しかった。親元から解放されて、初めて手にした自由な日々。しかし、そのうちに、焦りばかりが募ってきた。遊んでいても、私はこんなことをするために東京に来たわけじゃないのに、何をしているのだろう、という焦燥感が消えることはない。当時の私は、自分が何になりたいのかもわからなかった。だけど、何かになりたいという思いだけを抱えてもがいていた。

美大の予備校は1年と少し通ったところでやめて、19歳の頃には球体関節人形を作る人形作家に弟子入りもしていた。人形作家が自分のなりたい道なのかはわからなかったけど、当時はその世界にどっぷりとハマっていた。人形を作っている時だけ、得体の知れない焦燥感から解放された。なのに、友達に誘われるとついライブに行ってしまう。ちなみに上京から1年も経つ頃には、ほとんどの友人が風俗嬢になっていた。上京直後は普通のバイトをしていたものの、それでは東京で生活できないことを知り、水商売を経て風俗の世界に入るというルートをほぼ全員が辿っていたのだ。そんな友人たちは、私を執拗に「一緒に働こう」と誘うのだった。

「人形作家」という、漠然とした目標を見つけた私は、それまで命がけでハマっていたヴィジュアル系に、急速に興味がなくなっていった。同時に、顔を合わせるたびに風俗勤めをすすめてくる友達と会うのが、だんだん苦痛になってきた。人形作りと生活費を稼ぐバイトで、時間もなかった。友人の誘いを断っているうちに、誰からも連絡がこなくなった。そうして迎えた20歳のお正月、一通の年賀状も届かなかったというわけだ。

「若い」と言われる時期、大抵の人間は周りの人間関係が生活・人生の「すべて」だ。友達がいないということは、恐ろしいことなのだと刷り込まれてきた。だけどその時、私は友達がいなくなっても全然困らない自分に気がついた。上京するまでは「同じバンドが好き」というだけで魂の同志だった友人たちは、東京で風俗嬢になって、どんどん変わっていった。彼女たちに頼まれて貸した服やお金が戻ってくることはなかったし、バンドの話より「仕事(風俗)の話」しかしなくなっていく彼女たちといることが苦痛だったのだと気がついた。

そうして気がつけば私はヴィジュアル系より「ガロ」などにハマるようになっていた。当時はヴィジュアル系が市民権を得始めた頃で、より日陰なガロ系の世界に惹かれていったのだ。同時にロフトプラスワンに通いまくるという、典型的な「青春サブカル地獄巡り」が始まった。

で、通っていたらロフトプラスワンで出会った作家の見沢知廉氏(殺人罪などで獄中12年)に「生きづらいなら革命家になるしかない」とワケのわからないことを言われて右翼団体にブチ込まれ、同じくロフトプラスワンで出会った元赤軍派議長の塩見孝也氏(獄中20年)に北朝鮮に誘われて、よど号グループの招待で訪朝、というふうに、何か人生がおかしな方向に変わっていったのだ。

そうして世間からは「危険」と言われ、「獄中10年以上」とかの人や変な大人とばかり関わり、彼らにどんな無謀な誘い(「イラクに行こう」とか)を受けても「断らない」ということを自分に課していたら、成人式から5年後には、自伝を出版し、物書きデビューしていた。当時、「ライターの職安」などと揶揄されることもあったロフトプラスワンだが、ある意味、私にとっても「職安」的な役割を果たしてくれたのである。

さて、ここまで書いたことは、おそらく新成人の皆さんにはなんの役にも立たないだろうが、私が得た教訓はふたつある。それは「友達とは無理して友達関係を維持しなくていい」ということ。もうひとつは、「ちっとも偉くなくていろいろマトモじゃなくて貧乏な大人と関わると人生が面白くなる」ということだ。

だいたい小さな頃から、「自分が偉くて正しいと思ってる大人」には散々苦しめられてきた。彼らは常に暑苦しい精神論で「そんなんじゃ社会に出てからやってけないぞ」などと強迫し、「何がなんでも歯を食いしばって耐えて努力しろ」という時代錯誤ワードをまき散らし、私を追いつめるのだ。しかし、そんな大人の言うことを聞いていたら、待っているのは最悪、過労死か自殺だ。実際、私が成人した90年代なかば頃から、若者を取り巻く労働環境はあまりにも過酷になっており、多くの者が心を病んでいった。そして状況は現在、より劣悪になっている。

同じ頃、私にもうひとつ、生きていく指針を与えてくれた人がいた。それはやはりサブカル系イベントで出会った、作家でミュージシャンのAKIRAさんだ。彼は、「堂々と間違えろ」という素晴らしいメッセージを与えてくれた。元ジャンキーで元ホームレスで元泥棒という彼の経歴は「正しくなさ」に満ちていて、私は一気に信頼したのだった。

ということで、私はいつも迷ったら、常に間違いそうな方向に進むことにしている。「正しさ」にこだわることは時に怖いからだ。なぜなら、多くの戦争や虐殺は常に「正義」の名のもとに行われてきた。正しさは、人を殺すことさえ時に正当化させてしまう。

さて、なんの役にも立たない教訓の数々だが、何かのヒントになればこれ以上嬉しいことはない。そして、新成人の皆さんが、日々を面白可笑しく愉快に生きていけることを願っている。政治のことなどは、興味がなければ無理して考える必要はないと思う。なぜなら、必ず、数年以内に「自分に起きた不条理な出来事」をきっかけとして、政治を考えざるを得ない時が来るからだ。そういう時代になったのだ。

前途多難で不透明な時代に成人となった彼らが、それぞれの形でそれなりに報われながら生きられる社会。20歳からの20年がきっちり「失われた20年」と重なり、就職や結婚や出産の機会を根こそぎ失った人々が多い私の世代より、彼らの世代が少しはマシになることを願っている。というか、「失われた時代」もとうとう成人式を迎えたのかと思うと、なんだか気が遠くなってくる。

(2016年1月13日「マガジン9」より転載)

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