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南スーダンに先発隊出発〜「駆けつけ警護」と、「最悪」の想定〜

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2016年11月18日、稲田防衛大臣は、南スーダンPKOに参加する陸上自衛隊部隊に、「駆けつけ警護」など新たな任務を与える行動命令を出した。

その2日後の11月20日、先発隊の約130人は青森空港から南スーダンに向けて出発した。部隊は順次出発し、12月中旬までに約350人が現地入り。現在活動中の部隊と交代するという。派遣部隊は青森、宮城、岩手、秋田県の部隊などから選ばれた。

「安保法」は、こうして運用段階に突入したというわけだ。

安倍首相は、南スーダンの状況について、「比較的落ち着いている」「武力紛争とは考えていない」と述べている。

しかし、自らがPKO職員としてアフガンなどで武装解除を進めてきた伊勢崎賢治氏は、現在の南スーダンについて「あそこは国際法で定義される”交戦”が行われているところ」と指摘。「武力紛争とは考えていない」という安倍首相の弁を「とうの昔にその前提はあり得ない」と一蹴した(TBSテレビ「報道特集」11月19日)。

今年7月、南スーダンで激しい戦闘があったことは報道されている通りだ。銃撃戦の果てに多くの死者が出ただけでなく、政府軍兵士が国連職員などを襲撃したことも報じられている。

何をどうしてどうやったら、この状況が「比較的落ち着いている」と言えるのだろうか?

そんな場所に、自衛隊員たちが「駆けつけ警護」という危険すぎる任務を背負わされ、派遣されたのである。

今、私の脳裏に過るのは、04年、自衛隊がイラクに派遣された際のことだ。この派遣に際して、自衛隊は様々な「最悪」に備えていた。

以下、『自衛隊のリアル』(瀧野隆浩著 河出書房新社)からの引用である。

さて、イラク派遣部隊の宿営地に積まれたコンテナの中には、一切開けられることのなかったコンテナがひとつだけあった。そこに棺桶が入っていたことを知っていたのは、各次群群長と幕僚数名だった。派遣経験のある高級幹部は私にこう告げた。

「隊員たちの士気が下がるから、特にその存在を知らせる必要はないのは当然だろう。だが、一方で、もしものときに備えておく必要もあった」

また、本書の「自衛隊は『死の制度化』を完了した」と題された章では、以下のような記述もある。

派遣から半年をすぎたころ、日本人の選挙監視ボランティアと文民警察官が相次いで殺害された。一方、自衛隊派遣をめぐって国会では、武器使用の是非でもめにもめた。

その議論とは別のところで、陸自は極秘裏に、死者が出た場合の遺体収容方法などの検討を開始していた。具体的には「遺体袋」の購入など。予算上、どう処理すべきかも検討された。陸自部隊が派遣されるのに、攻撃を受けないと考えるほうが非現実的だった。

国会対策上、表沙汰にはできない。だが、リアリスト集団としてはやらざるをえなかった。

カンボジア派遣から10年余。イラクは「戦地」派遣である。私は、陸自は隊員の「死」に対する部内の準備をほぼ終えたと考えている。

前述の「開かずのコンテナ」は当然として、検討項目は多岐にわたった。現場から中継地、そして帰国までに遺体を後方の安全な場所に搬送する方法。羽田空港での出迎え態勢。その参列者リスト。首相は無理か。だが最低でも、官房長官の出迎えは欲しい。

「国葬級」の葬儀が可能かどうか。場所は東京・九段の武道館でいいのかどうか。空いている日程は絶えず掌握された。武道館というのは、意外にも「仮押さえ」が多くて、融通が利くことを担当者は初めて知った。

そして医官・衛生隊員は順次、「エンバーミング」と呼ばれる遺体保存・修復の技術を関西の葬儀社で研修させた。傷んだままの遺体では、帰国させられるはずもなかった。部内ではそれらのことを「R検討」と呼んでいた。

このタイミングで何を不吉な、と思うかもしれない。しかし、自衛隊が海外に派遣されるとは、こういうことなのである。そして既にイラク派遣の時点で、ここまでの想定・準備がなされていたのだ。

ここで蘇るのは、インド洋やイラクに派遣された自衛隊員のうち、54人が自殺していたという事実だ。

今年6月、高遠菜穂子さんと週刊金曜日で対談した。「自衛隊は子ども兵を撃つのか」というタイトルの対談だ。そこで高遠さんは以下のように述べている。

ISだけでなく世界中どこの民兵も子ども兵が当たり前です。いま、自衛隊が武装した子どもたちと対峙して、かりに子ども兵を殺したことを正当化されたとして、精神を保つことができるでしょうか。民間人を殺す場合もあります。百戦錬磨の兵士でさえも恐怖心で銃を撃ちまくってしまうことも。

「駆けつけ警護」という言葉の現実は、このようなものなのである。混乱状態で、誰が味方で、誰が敵かもわからない。民間人かどうかもわからない。

自衛隊はこれまで、一発の弾も撃たず、ただの一人も殺していない。それでも、海外派遣のストレスは多くの自殺者を生み出すほどに過酷なものである。もし、誰かを殺してしまったら。そして隊員の誰かが殺されてしまったら。

前述した伊勢崎氏は、自衛隊員が誤って住民を撃ってしまった場合についても触れている(朝日新聞11月15日)。

憲法9条は交戦権を認めていませんから、日本には軍人の活動を律する軍法も軍事法廷もありません。自衛隊員の責任をどう問うのか、国際問題になるでしょう。

この程度のことも不透明なままに、派遣された自衛隊。なんだかイラク派遣の時の小泉元首相の「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」というメチャクチャな答弁を思い出す。

そして、そんなイラク派遣について、日本では、国レベルでの検証などまったく行われていないのである。それなのに、「比較的落ち着いている」などといった現実とかけ離れた認識に基づいて、自衛隊が派遣された。南スーダンに行くのは、当たり前だが生身の、誰かの家族であり大切な人である、一人の人間だ。

イラク戦争検証については、今年7月、イギリスである報告書がまとめられた。数年間にわたってイラク戦争を検証してきたチルコット委員会が、イラク戦争に突き進んだ当時の政府の判断の誤りを認めたのだ。

しかし、真っ先にイラク戦争を支持したこの国では、イラク戦争を支持したこと、そして自衛隊派遣について検証しようとする動きは皆無と言っていい。

そんな中、唯一ある動きは、今年5月、民間有志によって「イラク戦争を検証する公聴会」が初めて開催されたことだ(公聴会の全文はこちら。動画はこちら)。

第一回の公聴会に「証人」として出席したのは、元内閣官房副長官補の柳澤協二氏。私も参加したのだが、氏の勇気ある証言によって、様々な舞台裏が明らかとなった。

そんな中、私がもっとも衝撃だったのは、戦争を支持することも、自衛隊派遣も、大いなる思考停止のもと、誰も責任をとらないで済むシステムが作られた組織の中で淡々と進んでいくということだった。

それぞれが空気を読み合い、「なんか、やんないといけないよね?」という空気の中、重大なことが決められていく。そこでは、個人の命や人生が顧みられることはほぼない。

今回派遣される自衛隊員は、20〜40代が中心だという。そのうち、女性隊員は過去最多の15人(「女性の活躍」?)。夫婦で派遣される隊員もいるという(毎日新聞11月19日)。

前述した『自衛隊のリアル』には、陸幕の式典担当者のこんな言葉が紹介されている。

以前は、隊員が亡くなった場合の想定で話すと、上司から「縁起でもない! そんな話をするな!」と怒られたが、いまは、それが当たり前となった。決済が必要な文章も、すぐ見てもらえるようになった。

著者の瀧野氏は、自衛隊の「死の制度化」について、以下のように書いている。

80年代、つまり東西冷戦期まで、自衛隊は自国を守ることに徹した組織だった。自衛隊が本格的に出動を命じられる事態とは、他国からの侵攻対処のとき。そのとき、防衛の先頭に立つ隊員の死は国民の共感を間違いなく得られる。

ところが、90年代以降、海外派遣が常態化したとき、外国での死は国民にとって「非日常の死」になる可能性がある。

自衛隊さん、なぜ死んだの? 私たちにはわからない。で、意味あるの? 国民の無理解、無関心が怖いのである。

そこで、隊員の死は手厚く弔い、厳かなその様子を広く国民に知らせなくてはならなくなった。

海外派遣された自衛隊員の死。そんなこと、絶対にあってはならない。誰一人、棺桶で帰ってくるなんてことは、決して決してあってはならない。

が、この国は、「国際法で定義される”交戦”が行われているところ」へわざわざ自衛隊員を送り込み、「駆けつけ警護」までせよ、と命じているのである。

12月中旬までに、誰かの家族であり友人であり大切な人である約350人が、新任務を背負い、南スーダンに派遣される。というかもう、始まっている。

派遣実績を積み上げたい、という現政権の思惑で、多くの自衛隊員が送り込まれている。

この状況を作ったのもまた、多くの人々の「無関心」ではないのだろうか。

(2016年11月23日「雨宮処凛がゆく!」より転載)