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【実話。】ママ友からの"公開処刑"から学ぶ。 

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上の子が年長になった春、父母会で卒園アルバム制作委員を決めることになりました。保育園なので、当然、みんな仕事をしていて、わざわざプライベートなタスクを増やしたくはない、だけど、アルバムは必要。「誰かやってもらえませんか?」その視線は明らかにわたしの方に向けられ...。

2014-06-18-logo_mini.png委員に任命された。 「手伝うことがあったら言ってね」

委員ものは、だいたい上の子がいるママたちが過去の経験値から進めることが多いです。去年はこうだった、毎年だいたいこうする、などという風に。

その時も、上のお子さんがいるママが、「一緒にやろう、大丈夫だから。」とわたしに言い寄り、断れない性格が災いして、「じゃあ...」と引き受けることに。なんというか、この時点で、「有志」というよりは、笑顔の裏での押し付け合い。

「手伝うことがあったら言ってね」

の一斉コール。ですが、作るからにはいいものを作らなければ、という使命感も生まれました。

2014-06-18-logo_mini.png立場の弱い委員活動 「わが子より、全員の写真を」

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さて、アルバム制作にあたり、さっそく年度の始めから撮影が始まります。わが保育園では、年長組の生活の写真撮影はアルバム委員に一任されます。もちろん、掲示用の細かい写真は撮ってもらえますが、アルバムに使用する写真は一眼レフなどで高画質なものが必要だ、ということもあり、アルバム委員の有志により、定期的に撮影を行うことになっていました。

保育の時間内の撮影なので、当然、仕事の都合をつけながら足を運びます。わたしは何度か有給を取得しましたし、下の子にばれないように(ママがいることが分かると幼い下の子は泣いてしまうため、先生からも「変装してください」と言われます)細心の注意を払いながら。

運動会の写真も、卒園式の写真も、他のママたちはわが子を必死でとらえようとするその時も、クラス全員の子どもたちの写真を撮らなければいけません。集合写真も、全員こちらを見ているか、細心の注意が必要です。自分の子が前を向いてさえいればいい他のママとは背負う責任がまるで違います。

こうした撮影は、年間を通じ、何人かの有志で行ってきました。保育園とのやりとり、データの管理、これを、ビジネス人である以外の時間を使って行います。

2014-06-18-logo_mini.png特権もある 「特別枠の保育参観」

これらの活動は、一方で、普段見られない家庭以外でのわが子の表情、先生やお友達との関わり方を見ることができる点で、委員の特権でもあります。保育参観できる機会は限られているため、私自身は楽しみであったし、わが子も「ママが来た!」ととてもうれしそうにしていました。どうしてもわが子の写真が一番多くなるものです。

2014-06-18-logo_mini.png協力しづらい作業 「ひとりが背負う苦労」

卒園式の写真を撮り終えて、制作に入ります。おおよその見当はついていましたが、編集作業は複数人でやるものではありません。

特に、今どきのASPサービス、専用の編集ソフトを使用する場合、PCが1台あればよく、複数人で顔を突き合わせる必要はありません。保育園の思い出がなるべく温かいうちにと、休日の夜中の時間に黙々と作業を進めました。

全体のストーリーを決め、季節ごとにカット数を決め、個人ごとにアップ写真を何枚、グループ写真を何枚、集合写真に欠席している子は他のグループ写真で担保しようと考えます。写真を差し替えるたびに、「正」の字を書き換え、一番その子らしい笑顔の写真を選んでいきます。

楽しそうに聞こえるでしょうか。これが家族のフォトブックならいいのですが、クラス全員分を背負うとなると、胃が痛む作業です。なぜわたしだけこんな苦労をしているのだろうか...被害妄想と、後悔、そして、後にひけない現実。子どもたちの笑顔の写真に癒されながら、データ保有期間という非情な締切に負われながら...。

2014-06-18-logo_mini.pngぶつかり合う自己都合

なんとか完成し、メンバーに確認。実はこの間にも、

「例年のアルバムと仕立てはそろえるべき(上の子がいると揃えたい)」

「アルバムに親からのメッセージを入れたい(でも集めるのはやってね)」

「秋ごろに同窓会を兼ねて配布会をやりたい(卒園して間があかないうちに欲しい派も)」

など、とにかく議論が絶えず、みんな自分の都合であったり、過去の慣習からの見解であったり、なかなか意見もまとまらず。

結局編集を担当するわたしが、仕事の事情などで早くやってしまいたい、ということで春納品にしたのですが、「じゃあ、全員にお詫びのメールを送って」と言われ、謝罪もしました。

予算管理も大変でした。足りないのはもっての外、残ると返金する手間が発生します。募金に回せばどう?と提案しましたが、全員の承認が必要、ということで却下。去年は残金で委員の打ち上げをして大問題になったとか。

そんなことを乗り越え、なんとか完成したアルバム。気の合うメンバーからは労いと感謝の言葉をもらい、みんなで梱包作業をし、手分けして配りました。その時です。

2014-06-18-logo_mini.png衝撃の一言。 「こんなアルバム、目障り!」

これ、わたし受け取らないから。目障りだから持って帰って。

あるお母さんからの一言。聞けば、子どもの顔によその子の手がかかっている。これは間違いなく苛めである、と。愕然としました。いや、心の奥で何かが壊れた音がしました。同時に、(主に)自分がこのアルバムを作ってしまった、という恐怖の念。

彼女はとにかく激昂し、クラスメイトの保護者はもちろん、おそらく関係のない人にまでこの話を拡散し、自分の子どもは苛められたと豪語しました。大部分の、何もしなかった保護者の前で、公開処刑です。

みなさんならそんなメールを受け取ったらどうされるでしょうか。「有志で作ってくれた人たちに失礼だ」「何も手伝わず文句だけ言うのは人の道をはずれている」そう思ったとしても、発言はできないでしょう。そう発言して、矛先が自分に向くと怖いから。実のところ、「わたしは分かっているよ、気にすることないよ」と、個人的に慰めてくれた友人はたくさんいました。だけれども...。

子どもに、いじめはいけないのだと、正しく教えられる大人は果たしているのでしょうか。困っている子がいたら、見て見ぬふりをしてはいけないと、何の迷いもなく言えるのでしょうか。

2014-06-18-logo_mini.png子ども絡みの有志活動は「リスキー」でしかない。

話がそれましたが、とにかく言いたかったのが、「子ども絡みの有志活動は非常にリスキーである」ということ。会社や学校はまだしも、子ども絡みのコミュニティは実に厄介です。

仮に有志活動を引き受けてしまった場合は、とにかく考えうるリスクヘッジをするべきです。自分のこだわりよりも、最大公約数的な解決が不可欠です。

アルバムに関して例えると、この写真が一番雰囲気が出ている、と思っても、雰囲気は自分の感覚でしかありません。多少ピンボケしていても、正面を向いている子どもの数が一番多い写真を選ぶ必要があるようです。この子はこの顔が一番、と"となりのおばさん"が判断せず、どの顔がその子の一番なのか、判断をゆだねるなど...。

どうです?やりたくなくなりますよね(笑)

それでもなお、有志を引き受けてくれた人には、まずは感謝の気持ちを持つべきです。文句があるのはこだわりがある証拠、そういう人は、自分も積極的に関わっていくべきです。多少物言いをつけるくらいの方が、いいものができるに決まっていますから。

2014-06-18-logo_mini.png子どもの親として憂う。

さて、見事に公開処刑されてしまったわたしですが、この先、この手の有志活動に参加することはないでしょう。しばらくは地域の活動に参加するのも怖いくらいです。この体験を通してそのことを学び、そしてまた、心から頼れる友人ができました。

わたしにとっては曰くつきのアルバムも、子どもにとっては宝物らしく、毎日眺めては、大事そうに自分の机にしまってくれています。

わたしと同じような思いをされた方もいるでしょう。そして、これからそんな局面を迎える方もいるでしょう。自分の価値観を押し付けない、周りと協調し、同調しながら生きていく。お互いに支えあう。困ったら助け合う。わたしは、そんな当たり前のことが、当たり前にできるような子どもの親でありたい。

もはや怖いものなしで言うなれば、目障り発言をした彼女とは二度と関わりたくないし、そんな自分勝手な親に育てられる子どもが大人になった時、この国はどうなるのかと心配なくらいです。自分の価値観と違う価値観を持つ人を、コミュニケーションの余地なく非難するのでしょうか。国境を少しでも超えた時点で否応なく攻撃するのでしょうか。自分さえよければいいのでしょうか。謝る隙さえ与えず、他人を攻撃して、幸せになるのでしょうか。

2014-06-18-logo_mini.png「攻撃しない限り、攻撃してこない、蜂のような人種」と付き合う3か条。

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一つ。そもそも有志活動であり、自分を責める必要はない。

有志活動は、お金をもらってやる「仕事」とは違います。よほど悪意がある場合は別ですが、仕事をしながら、子どものため、クラスのために志をもって活動したことを責められることはありません。

今回のように、思いがけず「悪意」ととらえてしまった場合、有志活動であることを前提に、コミュニケーションするしかありません。それでも伝わらない場合も、自分を責める必要はありません。

一つ。逃げるのではなく、避けるべし。

自分とは価値観が違うな、と思う人とは、たとえ向こうから親しく話しかけられても軽く会釈程度にしておく、とか、不必要なまでも「ちょっと時間がなくてごめんね」と避ける、とか(笑)。攻撃しない限り、攻撃してこない、彼女たちは蜂のような存在なのです。

わたしの場合、例えばこうです。地域のイベントなどは逃げも隠れもせず参加し、楽しむ。"蜂"の姿が見えたら友人と会話してごまかす(楽しそうに見えると入って来られない)。学校のクラス編成のタイミングで、先生に"それとなく"相談する(ただし期待しすぎない)。

一つ。味方をつくるべし。

残念ながら、この手の問題に、夫は相談相手になりません。本当に困った時、自分と同じ価値観で議論でき、共感しあえる友人をみつけましょう。できれば、上の子がいる人や、PTAやサークル活動などで発信力のある人など、コミュニティに影響力のある人ならなお心強いことでしょう。無理に友達になる必要もありませんが、頼れる友人がそのような人ならどんなに安心か、という話です。

ちなみにわたしたちは、誰かに何かがあった時、お酒を持ち寄り集合です。結局バカ話をして終わるのですが、ああ、なんかいろいろあったけど、まあいいや、と思えるからいいのです。

さて、明日は地域のイベントで"蜂"に会うかもしれません。今から緊張で倒れそうです!

(注)この話は笑えないくらいにノンフィクションです。

元記事はこちら
【kashiko】http://www.bs-kashiko.com/1831/

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