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起業して中退して世界中回って宇宙を目指すまでの7年間を振り返ってみた:「社会の視点」と「テクノロジーの視点」

2014年10月31日 00時09分 JST | 更新 2014年12月30日 19時12分 JST
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■まるで将来像と違う展開に感じる不思議

少し前からリサーチしていた『宇宙』✕『IT』の融合を長期で模索していこう、ということで少しずつ動いていくことにしました(繋いで頂いた小笠原さんに感謝です)。純粋なWebサービスと違ってハードルが超高いなぁと感じる場面に多く出くわします。

世界展開も宇宙展開もやっていかなければならないと思って意思決定するわけですが、7年前はこれをやってる将来像がまったくイメージできなかったのです。ただ、実際にはこうして日常でミーティングをして議題として上げていることをいつも不思議に感じていました。

大学入学後に六法全書を眺めていた時にはその4年後にシンガポールで事業を始めるとはまったく想像つかなかったですし、世界中に拠点を立ち上げていた時にはその2年後に数億人規模のネットワークを運営することになるとも、人工衛星やロケットに関わるともまったく想像できませんでした。

その時々で言うと、まるで最初から決まっていることに導かれているように意思決定をしていただけでした。客観的に振り返ってみると非連続的に見える選択が、主観的にはまるで一本の糸でつながっているような感覚をいつも感じていました。

つい最近になってそれがどういう事なのか分かった気がしたので、忘れないうちに文章に残しておこうと思います。

■それぞれが異なるフィルターで世界を眺めている

Skyland Ventures木下さんのイベントでクラウドワークス吉田さんと対談した時に、自分と吉田さんが違う視点が世の中を見ていたことにはっとしました。吉田さんは下記のようにつぶやかれていました

昨日のメタップスの佐藤さんとの対談の中で、佐藤さんの言葉で「いいねボタンによる共感の伝達も、決済サービスでお金を送金するのも、デジタル上では同じ信号の一つの処理でしか無い」というのが痺れた。

対談を通して感じたのは、佐藤さんはテクノロジーによって世界がどう変わるか、という視点で考えていて、私は人間の感情やエゴによって世界がどう変わるか、という視点で事業を見ているという気づきがあった。結論は同じようなところに行くんですが、アプローチが全然違う。

個人的にはメッセンジャーも決済も広告もコンピュータの構造的は同じデータの処理でしかないと考えていて、それを『広告』や『決済』や『メッセンジャー』と区別しているのは「社会」だと考えていました。

例えば、外から見ると右手を動かすのと瞬きをするのはまったく別の動きのように見えるけど脳からすれば信号処理のひとつとして扱われる、という事に近いかもしれません。

同じ事を語っていても違う角度から見れば別物に見えるという事を、実体験として感じられたことに驚きました(当たり前の事なんですが、これが自分には新鮮でした)。

■「社会の視点」と 「テクノロジーの視点」

これは吉田さんの言うように、「テクノロジーの視点」の世界を見つめるか、人間の感情やエゴ、つまり「社会の視点」で世界を見つめるか、という「視点」の話になります。

例えば『社会の視点』でITビジネスを見た時に、最近だと色々な変化が並列で発生しているように見えるかと思います。それぞれの産業にはトレンドや変化があり、競争環境は常に変化するため、ビジネスをする場合は変化に合わせて変わっていく必要があります。

最近で言えば、バイラルメディア、キュレーション、メッセンジャーアプリ、クラウドソーシング、ネイティブアド、C2Cなど様々なトレンドが出ては消えを繰り返しているように見えます。

一方で、『テクノロジーの視点』で捉えると、これらは同時並行ではなく1本の大きな流れの派生系であり、1つの現象を指していることになります。あくまで個々の名称や定義は「社会」で議論する際に必要になるものであり、明確に線引きすることはできないでしょう。相互依存的に様々な変化が起きており全体で1つの潮流を作っているためです。

例えば、ウェアラブルデバイスによる情報の管理が進めば(クラウドコンピューティング)、膨大なデータが溢れ(ビッグデータ)、コンピュータの学習精度が上がり(人工知能)、それらがインターネットを介してハードウェアとつながり(IoT)自動制御できるようになり(ロボット)、とこんな感じで永遠に続いていきます。トレンドはこの流れに影響を受けた副次的な変化のように見えます。

上記の話は、現象が重なりすぎていて、言葉で表現しようと思うほど不正確さも高まっていきます。全部で1つの現象と捉えたほうがスッキリするでしょう。ITビジネスという同じ領域の話をしても、視点によってまるで違う捉え方をすることになります。

■自身の将来像が全く当たらない理由

この異なる視点の話は、冒頭で不思議に思っていた感覚を説明するヒントになりました。例えば、今自分がやってる事業は「社会の視点」で見れば、共通点はほぼ無いように見えます。「広告」も「決済」も「宇宙」も、別産業・別業界として区別されているからです。

技術的な視点で見れば、広告も、決済も、宇宙もどれも同じ基盤に依存し、膨大なデータを処理し、最適化して価値につなげるプロセスと言えます。デバイスが、「スマホ」か「デスクトップ」か「人工衛星」かの違いはありますが、技術的には横展開に過ぎないことになります。

そこでよく考えてみると、私は自分自身の過去の振り返りと将来像の予想は「社会の視点」に立っておこなっていましたが、意思決定はいつも「テクノロジーの視点」で行なっていました

これが冒頭の「客観的に振り返ってみると非連続的に見える選択が、主観的にはまるで一本の糸でつながっているような不思議な感覚」の正体だと勝手に腹落ちした感じがしてスッキリしました。

つまり、起業して中退して世界中を回って宇宙を目指すまでの7年間は、テクノロジーの流れを追っかけていた7年間であったという事でした。「社会の視点」から想像していた自身の将来像がことごとく外れるのは、当然だったのかもしれません。

■イノベーションの正体

そして吉田さんと話をした時に改めて感じたのは、「社会の視点」と「テクノロジーの視点」の両方がうまく噛み合わないと機能しない、という点です。例えば技術の流れだけを追って言っても、社会がまったく必要としていないものは結果として普及することはないでしょう。人材も資金も投下されないからです。逆に社会のニーズが高まっていても、それを解決する技術が発明されていなければ意味がありません。

急激に普及する概念は、テクノロジーの視点と社会の視点の両方が重なった地点にある、と言えます。どちらのアプローチからでもOKなんですが、片方だけでは意味をなさない。

例えば、「社会」というのフィルタを通してみた時に、イノベーションとは強烈な天才のひらめきによって起こるという印象があります。

これにテクノロジーの視点を加えると、イノベーションとは『適切なタイミングで適切なことをする』行為と言えます。現在の技術的な限界地点を見決めて、それと社会の需要が重なる瞬間に適切なプロダクトを投下します。そのためには資金・人材・ノウハウなど複数の要素がこの時に揃ってることが必須になります。これは針の穴を通すような作業で、必要な要素をすべて揃えていることは確率的にはまずないでしょう。

イノベーターと呼ばれる連中が強烈な個性の持ち主である事が多いのは、不足な要素を「無理やりなんとかする」能力の持ち主だからだと思います。イノベーションが難しいとされるのは、技術的な限界地点の見極めと社会の需要の両方を読み切り、適切なタイミングでプロダクトを投下する嗅覚が求められるからなのでしょうね。

■技術的進歩と社会的変化にパターンはあるか?

もう少し突っ込んでみて、もしテクノロジーの進歩が川のような連続した1つの流れだと考えると、その技術の進歩と社会の変化には一定の規則性・法則性、パターンが存在するのではないか?と最近よく考えています。

直近でテクノロジーと言えばIT(Information technology)がしっくり来ますが、ITの始まりから最近の普及のプロセスを見ていると、電気の普及ぐあいとよく似ています。電気も最初は明かりを照らす電球から、様々なモノとつながっていきました。ちょうど今のIoTとそっくりです。

最初は一部のニーズを満たす便利ツールとして誕生し、やがてそのツールが人間のほうを教育し始めるという点もそっくりです。言葉、お金、書籍もこれによく当てはまります。普及して空気のようになると、それを中心に人の生活が組変わっていきます。こう考えるとテクノロジーの最初の出発点と、最後の到達点というのは意外に決まってるのではないか?と感じています。

こうしたパターンがもし解明される日が来ると、人類や社会がどのように進化していくかを予測できるようになってくるかもしれません。

■技術の視点:ITは人間にとっての "親指" ?

人間がテクノロジー(というか道具)を最初に使ったのはおそらく狩りの時でしょう。猿を人に進化させたきっかけに「親指」の働きがあったという話はよく聞きます。親指があったから複雑な道具を使いこなすようになり、狩りでの生存確率が高まり、急激に頭数を増やすことができたと。

今回のITは今までとは少し異なる性質のテクノロジーではないかと思うときがあります。ここ数百年ぐらいの "◯◯革命" は物理的な「動力」の拡張がメインでした(蒸気・電気)。しかしITは「知性」を拡張する性質があり、これは人間と他の動物を明確に分けている特徴でもあります。ITの発達はこの知性を無限に拡張したり繋げたりする技術ですので、その意味で「人間」という定義そのものを変える可能性を秘めています。

以前に「グローバル化とインターネットのその先にある世界:あらゆる境界線が見直される10年間」というブログを書きましたが、最後は「人間」を再定義するところがこのテクノロジーの到着点ではないかと思うことがあります。

既に、私達は検索やソーシャルメディアを使いこなすことで発達する能力が変わってきています。例えば検索のおかげで記憶力の重要性がどんどん落ちてきていますし、一方でバラバラな情報を収集して組み合わせる力は昔の人よりも確実に発達しているはずです。

スマホとソーシャルの普及で常時他人とつながってるのは普通になりましたが、ウェアラブルのメガネやコンタクトなどが普及しリアルタイムで視覚や聴覚や場合によって味覚などが共有できるようになると、「自分」と「他人」の境界はさらに曖昧になって来ることが予想されます。

猿は「親指」によって人間に進化しましたが、ITは人間が "何か" に進化するための「親指」なのかもしれません。

■社会の視点:進化には "必要性" が必要

一方で、人間の感情やエゴといった「社会の視点」から進化を捉えた場合に、イスラエルでとっても印象に残ったことがありました。イスラエルは人口800万人程度の小さい国ですが、ナスダックに上場する企業はUSの次に多いという国です。

政府・民間・大学・軍が連携しながらイノベーションを推進しており、強力なエコシステムを作り上げています。第2のシリコンバレーとも言われています。

現地のベンチャーキャピタリストに「どうしてこんなにうまく継続的にイノベーションを生み出す仕組みが作れるのか?」と聞いたら、「"Necessity(必要性)"」と答えていました。

中東は政治的な緊張関係があり、周辺の国ともいざこざが絶えないです。そのため政府・民間・大学・軍は争いなどしてる余裕はなく、全員が強力して国家がうまく回るような仕組みを創りださなければいけなかったようです。つまり「必要に駆られているから」というシンプルな理由でした。

エルサレム(イスラエル東部にあるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地)まで行くとこの「"Necessity(必要性)"」の話はさらに納得できました。ご存知の通り、イスラエルはユダヤ人の国です。ユダヤ人は世界人口の1%に過ぎないのですが、ノーベル賞受賞者の20%を占めるという驚異的な賢さで有名です。実際に知識産業とも言える金融の領域ではユダヤ人のプレゼンスは圧倒的です。

ただ、これは先天的なものではないという事を現地を見てひしひし感じました。日本人は(実質)無宗教なので理解しにくいですが、彼らの賢さは数千年の長い迫害から生き延びるために身につけた「知恵」であり、それが受け継がれて能力にまで進化したものだと感じられました。金融などの技術はそれらの「必要性」が生み出した副産物であり、それは迫害や差別と言った人間の理不尽さが引き金にあったのだろうなと感じました(少し悲しいこと?