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「ある意味で人が機械に操作される」これからの、人と機械の新しいあり方――鳴海拓志さんインタビュー(前編)

2015年11月26日 15時37分 JST | 更新 2016年11月24日 19時12分 JST

自動運転、ドローン、人工知能――。人が「使う」ものだった機械(コンピュータ)が「賢く」なりつつある中、自律的な機械と人との新たな関係が議論されている。人と機械の関係を考える上で欠かせないのが、そのインターフェースだ。東京大学助教の鳴海拓志さんはバーチャルリアリティ(VR)や拡張現実感など、私たちが現実と感じているものを編集し、新しい現実をつくる技術を研究する中で、人と機械の新しい関係をつくるためのインターフェースのあり方を提案している。

前編では、これからの「人と機械の関係」をつくるインターフェースのあり方、そのキーとなる「行為主体感」をつくりだす研究について聞いた。

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鳴海さんが所属する廣瀬・谷川研究室のサイトはこちら

人と機械の関係が変わっていく


――鳴海さんは以前、「人はすでに機械に支配されているとも言える」とおっしゃっていました。例えばメールの予測変換で、「お願いします」と書こうとしていたのが自動的に「お願いいたします」となることがありますが、これは気付かないうちに機械に支配されていると。

ささいな文面の違いかも知れませんが、ニュアンスが大きく変わることもありえますよね。ある意味ではわれわれが使う言葉や思考が予測変換という機械の機能にコントロールされてしまっているわけです。でもそういうことに対して普段のわれわれは無自覚で、「ちょっと最初に使おうとした言葉と違うけれどいいかな」とその瞬間その瞬間に受け入れて使っているし、最終的な文面は自分が決めたと思っている。

人と機械の関係において、人は機械をコントロール可能だと思いたい。心理学では「コントロール幻想」という概念があって、人は実際には自分ではコントロールできないことがらでも、あたかもコントロールできているように思い込んでしまう性質を持っています。コントロール幻想には良い効果もあることが知られています。

そうやって余計な不安を取り除いたり、現状を肯定できるからこそ幸せに生きていけるわけです。それができなくなると、うつ病になったりもするわけですから。客観的に見れば幻想かもしれないけれど、長い時間をかけて進化してきた人間の脳にそういう機能があるっていうことは、それがあるだけの意味があるってことですよね。

リアリティも同じようなものだと思うんですが、いろいろな辻褄を合わせて自分の生を肯定できる主観を作り出すというのは、脳の持つ重要な機能だと思います。そういう無意識の機能を増幅して、幸せに生きてもよいのではないでしょうか。

インターフェースは通常、AとBとの境界の部分です。でも、AとBの切れ目がわからないくらいに一緒になる、そういうものを僕はつくりたい。人と機械が融合してサイボーグが生まれるイメージでしょうか。

「インタフェースデザイン」というと異なるものをどうつなぐかがポイントになりますが、僕が目指しているところは「サイバネティクスデザイン」とでも言いましょうか、つなげることだけじゃなくて、つながったものの間でどんな情報のやりとりが生まれて、お互いがどのように変質していくかまで含めた設計論を考えたいと思っています。

人と機械が一緒に仕事をするとき、普通は機械が人に合わせてくれることを期待しますよね。だけど、機械が賢くなってくると、人よりも機械のほうが優れていることがたくさんでてきて、人が機械に合わせたほうがいい場面もうまれてきます。その場合、機械が人に合わせてくれるだけではなく、人が機械にあわせて変質していくことで、全体としてより良い状態を作っていけるわけです。

人は全てをコントロールしたいので、それが許せない。でも元々全てをコントロールしているという感覚も脳が生み出した幻想なのであれば、実際は人が機械に合わせているけれど、そのことに人は気づいていない、という状態を作ってあげることもできるはずです。

予測変換の例のように、そういう状態はすでに社会のあちこちに現れているわけで、それをどうやったら人や社会の役に立てることができるかを考えたいと思っています。

――人と機械の関係では、人工知能(AI)のあり方が話題になっています。

AIが話題になってきたからこそ、先に言ったようなことを真剣に考えなければならないと思っています。元々の研究の流れからいうと、AIに対して、IA(知能増幅、Intelligence Amplification)という考え方があり、そこを出発点として研究がスタートしています。

AIは自律的な機械がかしこさを発揮するというものであるのに対し、IAは人をよりかしこくするために機械が働くという考え方です。例えば、車を設計しようというときに、二次元の図面で議論していたものを、バーチャルリアリティを使ってあたかも目の前にあるように三次元で表示してあげることで、その設計で良いのか検証がしやすくなりますよね。IAでは、人が考えるためのツールとして機械が存在するわけで、バーチャルリアリティはまさにIAの研究といえます。

(東京大学教授の)稲見(昌彦)先生らが提唱されているAH(人間拡張、Augmented Human)はその先にあって、知的能力だけではなく人間の幅広い能力をも機械で拡張できるだろうという考え方です。僕の研究もAHの流れにあるものと言えます。僕が考えるに、AHにも2つの考え方があって、引き合いに出すのがアイアンマンとスパイダーマンです。

アイアンマンは、人が機械を身にまとって、普通の人には出せない力を出す、完璧な外力型アシストの形です。ただ、コストもかかるし、何より人そのものを強くしているわけではありません。一方、スパイダーマンは変身をしているわけではなく、いわばコスプレです。特殊な蜘蛛に噛まれて遺伝子が変わっているけれど、身体は生身のお兄ちゃん。でも遺伝子の変化によって内発的な能力が引き出されて普段から身体能力が変わっているわけです。

僕が研究をしているのは、スパイダーマンに近くて、人の持っている潜在的な能力をいかにして引き出すかということ。さすがに遺伝子操作はしないですけど、人と機械が融合した状態を作り出したとして、能力を引き出すきっかけは機械が作りだしているけれど、基本的には能力を発揮するのは人というものです。

コンピュータが人に寄り添って人を賢くする

ハードウェアとしての人、つまり肉体が進化するには時間がかかりますが、ソフトウェアとしての人、思考やメンタルは変えていくことができます。そのためにうまく技術を使えば、人はもっと賢く進化できるはずです。

例えば僕の研究で「拡張満腹感」というのがあって、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を着けると食べ物のサイズだけが変わって見えるんですね。それで、クッキーのサイズを1.5倍にして見せると食べる量は10%減り、逆に3分の2のサイズに見せると食べる量は15%増えました。

「拡張満腹感」の研究はこちらの動画で紹介されている。

人が日常的にお腹いっぱいに食べられるようになったのは比較的最近のことですから、人の脳は取れるときにはできるだけ栄養を取ろうとしてしまいます。でもそのせいで、現代社会では肥満や成人病が問題になってしまう。いわば脳のソフトウェアが時代の変化に追いついていないわけです。

拡張満腹感で狙ったのは、人と機械が融合して脳のソフトウェアをアップデートすることです。食べ物の栄養素を認識して自動的に見た目を調整してくれるHMDができれば、外付けで脳の機能を拡張してくれる機械をつけたようなもので、そのサポートによってわれわれはもっと健康的な食生活を送れるようになると。

例えば目が悪い人は、メガネをかけると遠くまで見えるようになりますよね。その時に、どこまでがメガネでどこまでが人の能力かと考えないで、メガネと人は一体化しています。もしメガネの代わりにコンピュータが働いたら、お互いが意識することなく融合して、人に新しい能力が備えられていろんなことができる。人が意識しなくても、常にコンピュータが人に寄り添ってサポートをして、人の能力を増幅する。

肉体的な行動、知的な行動などあらゆる能力を伸ばす方法として、人の潜在的な能力に働きかけるための新しい五感のインプットとアウトプットを考えています。

社会をアクチュエイトしてもっと良い社会をつくるモーター


――人個人と機械との関係だけでなく、社会全体に対して機械がどう関わっていくかという研究もされています。

社会の状態を感知するセンサーと、社会を駆動するモーターがあるとしたら、現状ではセンサーは多いけれど、モーターとしての技術はあまりありません。社会をどうやってアクチュエイトしてもっといい社会をどうやってつくっていくか考えたい。人と社会を分けて考えるのではなく、人が社会という系の中に入っていることを前提としたヒューマン・イン・ザ・ループ型の情報システム設計の方法論を考えています。

そうした系の中では、みんなの行動が少しずつ変わると全体が変わっていく。考え方としては当たり前かも知れませんが、スマートフォンなど、個々人がそれぞれ常時情報をやりとりできるような基盤が普及したことで、それを使ってミクロな行動変化の集積からマクロな変化を起こすための技術が実現可能になってきた。

そこでやってみた研究を紹介します。いつどこでどのくらいお金を使うか予測して知らせてくれるアプリ「消費予報」です。天気予報のようにお金を使う場所や時間を予測してくれるほか、お金を使う可能性が高い時間帯には注意報や警報を表示します。レシートを記録するだけで、アプリが自動的に予測をしてくれます。

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消費行動を予測して知らせてくれる。

人は、未来がわからないから行動のバランスをとるのが難しい。では、未来を知ることができたらどうなるか。ライフログをとることで、行動のパターンがわかってきます。それを提示してあげると、人の行動はどう変わるのかと。「あなたは日曜日の午後に秋葉原へ行くと1万円使う」ということがわかったら、人はどう行動を変えるのか。これまで使った人を見ていると、消費に対して意識的になって、無駄遣いが減る方向に働いています。

また、タスクをスムーズに進めるためにつくったのがアプリ「WillDo」です。自分の未来が携帯電話に日記の形式で送られてくる、「未来日記」という漫画があります。それをつくりたいという学生さんがいて、つくることにしました。このアプリは、原稿やレポートのように自分で時間を見つけて進める仕事が、期日までにできるかどうか予想をしてくれます。隙間時間がどれくらいあるか。この人の行動パターンならこれくらいの時間がある、というのを予想してくれます。

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未来を予想してくれるアプリ「WillDo」。

「消費予報」と「WillDo」はiPhoneアプリとして無料で配布しています。世の中にオープンにすることで、実際に使ってもらってメリットを提供しながら、使用データを集めて解析することでより良いフィードバック方法を検証したりと研究に役立てています。(プロジェクトのサイトはこちら

未来予測を見せることで、高速道路の渋滞を緩和する


NEXCO東日本(東日本高速道路)との共同研究で、高速道路での人の運転行動を変化させて渋滞を緩和するという研究もしています。スマートフォンのアプリを介して、自分の運転行動の未来が見られるようにしました。たとえば10分長くサービスエリアで休憩をしても、その間に渋滞が緩和されて結果的に目的地に到着する時間は変わらないといった未来予測の情報を提示します。未来を見るインターフェースはx軸y軸ともに時間軸の表です。

x軸は時間の経過で、y軸はサービスエリアでの休憩時間を表しています。休憩時間が変わると渋滞状況が変化し、目的地に到着する時間も変わります。

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複数の未来の選択肢を提示してくれる。

このような未来予測を見せると、どのように行動が変わるか。実験では、予測を見せると、時間的に得をするのであれば、予定よりも30分位までなら人は行動を変えました。渋滞を緩和するためにはすべての人がアプリを使って選択をする必要はありません。100%使わないといけないシステムはそもそも破綻しています。

では何割の人に使ってもらえば渋滞がなくなるのか、今後検証していきたいと思っています。また、使ってもらうために人を巻き込む工夫も必要で、例えばゲーミフィケーションを取り入れることを考えています。

僕はこの研究は行動経済学を参考にして考えています。ナッジ(nudge)という考え方があるんです。「肘で突く」という意味です。飲食店でメニューがあって、どれを選ぶかというと、メニューの上に載っている目立つものから選んでしまいますよね。そうすると、上の方にヘルシーなメニューがあるか、ハイカロリーなメニューがあるかで、みんながヘルシーな食事をとる確率が変わります。

見つけやすさや選びやすさが暗黙のうちに人間の行動を規定していて、それで生活が変わる、というちょっとした影響のことをナッジと呼んでいます。ユーザー・インターフェース(UI)の使いやすさとは一段違っていて、使いやすさは同じだけれど、例えばメニューの位置が入れ替わるだけで選ぶ確率が変わるというものです。通常ナッジは、メニューのように静的ですが、電子メディアではそれをアクティブに変えられます。

人によってディスプレイを変える自動販売機がありますが、あれはアクティブ・ナッジの例といえます。状況に応じて動的にナッジを与えることで、人の行動や社会の最適化を促すこともできると考えています。

先ほどもお話ししたように、人は未来を軽視してしまうという癖があります。このような考え方の癖のことを認知バイアスといいます。人はどうしても考え方に癖を持っている。だからもっと考えてUIをつくるべきなんです。認知バイアスを踏まえてナッジを設計すれば、思考の癖の欠点を無くしたり、良い方向に利用できたりするようになるからです。

高速道路の研究では、「未来が軽視される」というのに対して、未来が全部見えるインターフェースをつくりました。そうしたら、人はもっと未来のメリットまで考えた行動をとるはずだと。未来が全部見えて、その中で30分後に渋滞が終わるから30分後にサービスエリアを出ても到着時間は2分しか変わらないとわかる。もちろん、「30分後に出れば28分得します」とだけ機械が指示してもいいけれど、早く帰りたいときにピンポイントな指示を出されても自分は納得するだろうか。たくさんの選択肢があったうえで、だいたいの人はきっとここを選ぶ、というのをわかったうえで全部出す。

この時、狙った行動をとらない人がいてもいいんです。「いや、俺はすぐに出発したいんだ」となってもいい。選択の自由や多様性を許容して、自分の意思で選んでもらう、それと同時に渋滞が解消されるような緩やかな行動変容が起こるようになっているというのがやっぱり大事です。

これは、高速道路の研究に限らず、自動運転などの自律システムすべてに関わることです。人が機械に介入されたと思った時点で、そのシステムは失敗しています。機械にやらされていると思ったらうまくいきません。機械はナッジをくれるけれど、最終的に選ぶのは自分。背いてもいい。というのが、人と機械の、一番良い関係なんじゃないでしょうか。どこまでが押し付けで、どこまでの多様性を許容するか。多様性を保ちつつみんなの行動をちょっとずつよくする、というのをやりたくて、こういう研究をやっているんだと思います。

本人が無意識のうちに、食生活を改善する


――高速道路の研究もそうですが、情報提示を操作することで、人の行動を変えることもできます。

TwitterなどのSNSでは食べ物の写真を投稿する「飯テロ」がありますが、ほかの人に「いいね」されるとその食事を好きになる傾向があります。人の評価に引っ張られて自分の感覚も変わってしまうんです。こういう現象を期待同化と言います。この現象がSNSでどれくらい起こるか、食事の写真を投稿するとほかの人がどれくらいおいしそうに見えるか評価を返してくれるSNSを作って実験してみました。

このSNSでは人だけでなくbotも活動していて、botは食事の内容にかかわらずランダムにおいしそうに見えるかの評価を返します。そうすると、botが高い評価をしたときには、その食事を食べた人のおいしさの評価が上がってしまいました。

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SNSを使って、無意識のうちに食生活を改善する。

こうした人の影響から自分の価値観が変わるという効果を活かして、食生活を改善する研究もやりました。こちらのSNSでは、アプリを使って食事の写真を投稿すると、ほかの人が「おいしそう」「ヘルシーそう」のどちらからで評価を返します。人は自分が食べている食事が「おいしそう」と言われると嬉しいですが、栄養バランスがよくカロリーが低い「ヘルシーそう」な食事は満足度が下がりがちです。

そこで、「ヘルシーそう」と評価をしたら利用者には「おいしそう」とフィードバックするといったように、フィードバックを入れ替えた場合、利用者の行動がどのように変わるか調べました。そうすると、食に対する嗜好性が変わっていくことがわかりました。2ヶ月位やってみたら、実験に参加してもらった学生さんたちがどんどんヘルシー志向になっていきました。

ただ、何を言われて嬉しいと感じるのは人それぞれです。「おいしそう」と言われると多くの人は嬉しくかんじるものとして実験をしましたが、実際には「ヘルシーそう」と言われて嬉しい人もいれば、「高級そう」と言われて嬉しい人もいます。そういった利用者の特性を反映させたフィードバックがあるほうが、効果が上がると考えています。

無意識のうちに「良い」行動に変えるということ


本人が無意識のうちに行動を「良い方向」に変えるというのは、ともすると全体主義に陥る危険があります。それを避けるためにも、個人の価値の多様性を認めながら全体と個人を見渡すようなことができればと考えています。社会には大量の情報があふれています。対面からネットを介したコミュニケーションまで、わたしたちが情報をやりとりする経路は多重化していて、どんどん複雑になっています。

人が情報を受け取ってどう反応するか。その反応の集積が社会をどう変えていくか。そういうことを知った上で、社会が安定するにはどういう条件が必要か。人を動かす情報の流れを悪用しないためにはどういう制度設計が必要か。社会にひらかれた形でそれらを研究していければと考えています。

こうした研究をする上で個人的に意識しているのは、なんのために使うのか、使う本人がはっきりとわかっていればよいと思っています。一方で、社会にとってそれが良いことだからこうだ、と誰かが押し付けるのはよくない。ヘルシーな食生活の実現を目的としたSNSだと理解した上で、それにオプトインして同意の上で使うのは問題ないと思っています。

高速道路の研究では、渋滞しない方が良いと同意する人だけでも使ってくれれば、結果的に渋滞は改善されていきます。ただし、何が良いか、同意がないところに使うところは危険です。そこは議論していくべきところです。

思考停止しないで、機械や技術、人の性質までちゃんと考える


――人と機械の関係は、どのようなあり方がよいと考えられていますか?

良くできた技術が魔法に例えられることがありますが、技術や機械を魔法だと言ってしまえばそこで思考停止してしまいます。エンタテインメントや、その場限りのものとしてであれば良いかも知れないけれど、日常的に付き合っていくものに対してそのスタンスは危険です。

人と機械の融合を考える上では、機械や技術、さらにはそれを通して見えてくる人の性質まで含めて、思考停止しないでちゃんと考えた上で、それぞれの特性を受け入れることが必要だと思っています。それを考えた上で、機械が得意なことは機械がやればよくて、人が得意なことは人がやればいいんです。

ただし、冒頭にも申し上げたとおり、人と機械の関係では、人に主導権があるべきです。機械が得意で実際に機械がやっていても、人がリードしていると思える方がいい。だから、最近注目しているキーワードは「行為主体感(sense of agency)」です。行為主体感とは、ある行為を自分自身で行っているという感覚のことです。

行為主体感も、自分のやったことがうまく世界に影響を与えているんだということを実感するための、自分の生を肯定するための主観のひとつです。人は運動するときに脳から運動指令が出て、それが身体を動かし、感覚のフィードバックが返ってきます。この時に運動指令は違う場所にコピーがとられておかれて、そのコピーが、こう行動したら感覚がこう返ってくるはず、というシミュレーションに利用される。

その結果と実際にやった結果として得られる感覚フィードバックが一致していれば、これは自分がやったことと感じられます。つまり、行為主体感は予測とフィードバックから生まれるということです。予測を変えるか、感覚を変える技術を作れば、行為主体感を作ったり崩したりすることができると考え、研究を進めているところです。人と機械の協調の中に行為主体感をつくる、というのは、ともすれば機械に幸せに支配される人を作る悪の道だという考え方もあるかもしれないけれど、機械や技術によって人のあり方が急速に変わっていっている現代においては、本質に関わるテーマなのではと思っています。

「行為主体感」にアプローチすることで、社会問題解決につなげる


社会的文脈では、今、行為主体感が感じられなくなって問題になっていることがたくさんあります。例えば、統合失調症の患者さんは行為主体感を感じにくくなっていることが知られています。行為主体感を強めてあげることができれば、統合失調症の患者さんの症状が改善するのではないかということも考えています。もっと敷衍して考えると、政治なんかも「自分たちが動かしている」という感覚がなくなっていますよね。

心理学的な行為主体感の定義とは外れてしまうかも知れませんが、主体感を強めてあげれば「他人ごと」を「自分ごと」に変えられるかも知れません。そこはまだ、チャレンジング過ぎますけれど、

行為主体感にアプローチすることで、社会問題の解決につながる糸口が見えてくるのかも知れないと期待しています。

もちろん、そうなってくると社会的にどこまで許されるのかというのは、常に考えないといけません。例えば、行為主体感を増幅する機械をつくりました、それで統合失調症の症状が軽くなることがわかりました、と。それならみんな喜んで使ってくれるでしょう。でも、本当は機械にやってほしいことがあって、それを自らが進んでやるというモデルでは、ネガティブなものもあります。何に使っていいかいけないか、常に考えないといけません。研究者がいいと思っていても、炎上する可能性はあります。

自分で運転している実感のある自動運転


自動運転は、今説明してきたような人と機械の関係に関しての複雑な問題を抱えています。最近、よく自動車会社の人たちと話すんですが、みんなが思っている自動運転と、自動車会社の人が考える自動運転は、全然違うんですよ。普通の人たちは、自分が何もやらなくても、寝ていても、自動で運転して家に着くのが自動運転と思っています。自動車会社の人たちは、それは「完全自動運転」と呼んでいます。

最近では、ブレーキアシストとかレーンクルーズコントロール(車線からはみ出ないように運転支援をするシステム)がありますが、基本的には人は積極的にブレーキやハンドルの操作をしなくてもいいけれど、常に人が見張っていて、何か異常が起きたりシステムが人に代わってほしい場合には人が運転しなければいけない、というものを指して自動運転と呼んでいます。一般消費者目線からすると、それは自動運転じゃないと思うんだけれど、実際とは乖離がある。

技術的には、僕は完全自動運転のほうが簡単だと思っています。だけど、それはインフラ、社会が変わらないとできません。鉄道の路線を家単位で細かくひければ、完全自動運転が実現できるでしょう。でも、家の前に鉄道を引き直すみたいに、社会システムを整備し直すことはできないから実現が難しい。

一方で、自動車会社の人が言う自動運転は、高速道路では自動で運転するけれど、高速道路から降りて自宅までは自分で運転しないといけない、みたいなもの。機械側の難しいところは避けているので、機械だけを作っている人にとっては簡単に実現できることのように見えます。でも、インタフェースの研究者からすると、そこには人と機械のやりとりが入ってくるから、すごく難しいんです。機械から人に運転を代わるときに人が寝ていたらいけないし、機械が運転するといっても、人は常に運転に意識を向けていないといけない。人が一番疲れる、一番しんどいシチュエーションを要求しています。

機械に対して、人が関わらなくてもよいというモデル、人が積極的に関わるモデル、人がたまに関わるモデルで全然違っていて、中でも人がたまに関わるモデルは最悪のモデルなのでやめた方がいい。それだったら、人がずっと主体的に運転をしていると思わせておいて、実際にはほとんどのコントロールは機械がやっている。それでも、「俺は運転がうまくなったな」と思えるようなほうが、事故は起こりにくくなると考えられます。

「これから2時間東名を走るので、何もしなくてもいいけれど、何か事故が起きないように見張っていてください」なんて、絶対にできない仕事ですよ。それよりは、2時間楽しく運転できるほうが良いですよね。だから、実質機械がメインで運転していて人がそれをアシストするけれど、人には自分がメインでやっていて機械がアシストしているように思わせることが必要なんです。そういうことのために、行為主体感を扱える技術が必要だと考えています。

そんなの全然自動運転じゃないじゃないかと言われて社会的には受け入れられないかも知れませんが、人と機械の関係性の問題を考慮しない自動運転が実現されたとして、最終的には炎上してしまうだろうと思っています。だからどういう問題が起こりえるかは十分理解してもらった上で、どこまでが社会に受け入れられるのかをいろいろな人の間で議論していくのが望ましい。

「人の人間観」が変わり、人と機械の関係性が変わっていく


実はこれは、シンギュラリティ(技術的特異点)の議論と同じなんです。シンギュラリティというのは本来「人の人間観が変わる」というのが、提案したレイ・カーツワイルの主張です。人間観が変わる、というのは人がやるべきことに対する考え方が変わる、ということです。安直には、人の仕事がなくなってどうしよう、という議論をしているけれど、そういうレベルの話ではなくて「それだったら機械がやったほうがいいじゃん」と思うレベルが、今と格段に変わってくると思っています。

今は、知的な労働は人がやるべきで、機械はもっと単純な作業をやると思っているけれど、もしかしたら将来はアイデア出しのレベルは機械がやったほうがよくて、その先のブラッシュアップだけ人がやろうぜ、みたいに、人と機械でやるべきラインが上下に揺れる、というのがもともとのシンギュラリティの概念と思っています。

みんなの人間観が変わるのと、人が機械のどこまでをコントロールすべきかという議論は平行しています。「自動運転はこういうものだよね。ここまでが人で、ここまでが機械だよね」というみんなが考えるラインが、どう社会的に変わっていくのか、では自分が機械にある意味では操作されているけれどそれも含めてうまくいっているから、そういうアシストがないよりもあるといいよね、と思ってくれるラインがどこなのか、とわかればいいですよね。

でも、単純に僕が研究をしているだけだとそれは来ない。社会全体の機械への考え方がどう変わるか、というところに依存しています。でも、それは何か具体的なものを出さないと誰も考えられないので、具体的なものを出して社会の反応を見たいと考えています。みんな考えていないことだから、やって反応を見るしかない。やって、こういうことがわかりました。と社会に投げる。そこから先、社会がどう受け入れるかとか、そういう研究はもっとやったほうがいいとか、やめたほうがいい、となるのか。どうコンセンサスができるのかは、使う側との問題です。

これまでは自律的に動く機械と人がそんなに関わってこなかったら、そこはあまり問題になってこなかったんです。でも、自動運転みたいに社会の中でどんどん自律系のシステムが増えていきます。そういうものと人が関わらざるをえなくなってしまったから、お互いが気持よく生きていくラインを探るのに、行為主体感のようなものを研究するのが必要と思っています。

■プロフィール

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鳴海拓志(なるみ・たくじ)

東京大学大学院情報理工学系研究科助教。

1983年福岡生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。バーチャルリアリティや拡張現実感の技術と、認知科学・心理学の知見を融合し、五感に働きかけることで人間の行動や能力、生活の質を向上させる方法について研究している。また、これらの研究成果を博物館や美術館で実践的に活用する取り組みもおこなっている。日本バーチャルリアリティ学会論文賞、グッドデザイン賞など、受賞多数。