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おばけハロウィンとハスノハカシパン

二つの奇妙な共通点がある。

2017年09月13日 17時00分 JST | 更新 2017年09月13日 17時00分 JST

毎月第2日曜日に、神奈川県・逗子でこども哲学教室を主催している。8月はお盆シーズンと重なったので、教室をおやすみにした。そんなわけで9月10日は、約2ヶ月ぶりにこどもたちと哲学をした。

7月のこども哲学教室では、「海で遊ぼう」とだけ決めて、ひたすら海で遊んだ。未就学児から小学3年生まで20名ちかくが集まっているので、カオス。沖に向かって浮き輪でずんずん泳ぐこどももいれば、海に入ることすら怖いこどももいた。

保護者も一緒になって遊んでくれた。保護者の一人が、波打ち際の砂の中に隠れているヒトデを見つける。それをきっかけに生き物探しがスタートし、ヒトデだけでなく、貝、ヤドカリ探しがはじまった。

下の写真にあるようなハスノハカシパンは、この遊びの中で大量に見つかった。生き物だが、見つかったのはすべて殻だ。死んでいるが、生きている姿を知っているこどもはいなかった。

海での活動は波打ち際にカシパンの骨を壁にした水族館を作るところまで発展し、おひらきになった。こどもたちには、カシパンの名前を伏せて、これは何か調べてきてね、と宿題にした。

 Yohey Kawabe

「これはなんだろう」の意味

9月のこども哲学教室は、7月に海で見た模様がついた丸いものはなんだろうということから対話をスタートした。未就学児グループ6名と、小学生グループ7名にそれぞれ大人がひとりサポートにつく。

未就学児グループは3,4歳だけが参加した。「穴があいてる!」「釣り針で穴が空いたんじゃない?」と穴があいていることに着目。画材を渡すと「うみぼうずが住んでるうちだよ」「かみさまがすんでるうちだよ」とナゾの物体をヒントにした空想が広がった。

小学生グループは6歳から9歳が参加した。「ハスノハカシパン!」「ウニのなかま!」と調べてきたことを発言する中に、「かせき!」という6歳の声が混じった。おとながハスノハカシパンって何?ときいても、事典にかかれていたことを話すだけにとどまった。

「これはなんだろう」という質問の意味が、そもそも未就学児と小学生では違うことを見せつけられる。小学生にとっては、どこかに書かれている正解を見つけてきたこどもが強者になる。小学1年生が発言してくれた「かせき!」に、自由に推論できる未就学児の名残が感じられるだけだった。

「うみぼうずが住んでいるうちだ」と言える自由は、いったいいつ、誰が奪ってしまうのか。

おばけハロウィンがしたい

休憩をはさんで、「10月のこども哲学教室では何をしようか」と子どもたちに問いかけた。未就学児は「海にいきたい」「プールにいきたい」「海とプールがつながってるところにいきたい」と遊び心が水の世界に向かっていった。

小学生は「ディズニーランドいきたい」「千葉いきたい」「おばけやしき行きたい」とどこか遠いところに冒険に行きたいという意見が相次いた。おとなが「お金がかかると行けない子もいるなぁ」というと「ハロウィンしたい」という意見に傾いていった。

逗子のこども哲学教室は、地域の古民家を活用している。家全体がどこか「おばけがいそう」な雰囲気で、しかも休憩時間に子どもたちは「こどもみたいな字で誰かの名前が書いてある材木」を見つけてきたから、小学生の「ハロウィン」という意見に次第に「おばけやしき」という言葉が混じった。

さて、未就学児の希望と、小学生の「おばけハロウィン」をどうやってすり合わせるか。それぞれバラバラの活動になるか、それとも何か両方の願いが叶う活動になるか。「バラバラでいい」「それぞれちょとずつやる」「海でハロウィンする」「海の世界を部屋の中に作ってハロウィンをする」など方法論がいくつかこどもから意見として出た。

しかし結論はあっけなく。「海がいい人、お菓子がいい人」ときくと、全員がお菓子に回った。次回は「おばけハロウィン」をすることになり、こどもたちは全員おばけの姿で参加することが決まった。古民家の雨戸を締め切り、暗い部屋で、おばけの格好で哲学対話をすることになる。

Yohey Kawabe

「怖いものは楽しい」は本当か

3歳児にとっては「おばけ」というのは口にするだけでも怖いことばだ。ましてや古民家の中を暗くして、年上のお兄さん、お姉さんもオバケのかっこうをしてくるなんて、恐怖体験になりかねない。無理をしないように保護者に伝えた。

しかし、4歳になると、うみぼうず、骨、化石、などよくわからないけどなんだか怖いものに興味を持つようになる。「マイルドな怖さ」に興味を惹かれ始め、小学生になると幽霊、オバケ、雪男、など自らすすんで本を読んだり、話し合ったりするようになる。

おばけハロウィンとハスノハカシパンには二つの奇妙な共通点がある。「得体の知れないもの」と「菓子」だ。

おとなのこじつけと鼻で笑わずに感じてみてほしい。海で見つけた生き物の骨を、ファンタジーで包んで安心を求めた未就学児と、冒険心をくすぐられて勇敢さのアピールに向かった小学生の気分を。

イメージしてみてほしい。カシパンという言葉の響きを。メロンパンのような、おせんべいのようなハスノハカシパンの形を。

対話は言葉の意味だけで前に進むものではないと私は思う。目で見たこと、耳できいた言葉、複雑な感情が絡まって前に進んでいくのではないだろうか。

真夏の夜のきもだめしよりも、実は秋口の風にガタガタと音を立てて揺れる雨戸がきしむ古民家の暗がりのほうが、間違いなく怖いのだが、こどもたちは来月、無事に泣かずに哲学対話ができるのだろうか。今から心配でしかたない。

怖いものを楽しいと思っていられるのは、本当に怖いものを知らない間だけかもしれないよ・・・。