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オバマ大統領の4羽の「折り鶴」が、広島に舞い降りた理由とは?

投稿日: 更新:
OBAMA
オバマ米大統領が贈った折り鶴=27日午後、広島市中区(撮影日:2016年05月27日) | 時事通信社
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2016年5月27日、広島に4羽の折り鶴が舞い降りた。

ピンクと青の2色。千代紙をつかい、丁寧に折られていたという。

この4羽の折り鶴はアメリカのオバマ大統領が自ら折ったもの。広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪門した際、そのうちの2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は、直筆のメッセージに添えてそっと置いたという。

「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」(メッセージの内容)

ではなぜ「折り鶴」だったのか

広島の平和記念公園に、いつでも何千、何万もの折り鶴が手向けられている、ある少女をモデルにした像がある。1958年の子供の日に建立された「原爆の子の像」だ。この像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれている。

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サダコ像 (photo:kazuhiko Iimura)

この「原爆の子の像」のモデルになっているのが、佐々木禎子ちゃん。だから、この像のことを「サダコ像」と呼ぶ人も少なくない。

佐々木禎子ちゃんは、広島に原爆が投下された日、放射能を帯びた"黒い雨"に打たれ被ばく。10年後の1955年に白血病が発病し、わずか12年でその生涯を閉じた少女である。


禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとは?

医師から、「長くて1年の命」との宣告を受ける中、禎子ちゃんは死の間際まで懸命に折り鶴を折り続けていたという。禎子ちゃんが「折り鶴」に込めた思いとはいったいどんなものだったのだろうか。

広島に原爆が投下された日、禎子ちゃんは広島市内にあった自宅で、家族と共に被ばくした。爆心からは、およそ1.6キロ。爆風で、家の外まで吹き飛ばされたものの、禎子ちゃんは幸運にも傷ひとつ負わなかったらしい。その時の状況について、禎子ちゃんの兄、佐々木雅弘さんは、かつてこう話してくれた。

「今でもありありと覚えています。一瞬のうちに家が崩れました。2階から落ちたミカン箱がありましてね、その上に禎子は無傷でちょこんとのっかっていました」

ところが瞬く間に辺りは火の海に。禎子ちゃんは、母親に背負われて近所を流れる太田川へと避難したのだという。だがそこで、"黒い雨"に打たれてしまう。

「ドロッとしていて。頭から顔から体中、全身真っ黒です。沢山の方が倒れておられ、川には亡くなった方が流れているという状況でした」(雅弘さん)

"黒い雨"とは、原爆の爆発によって巻き上げられた粉塵や煤により黒くなったタール状の雨のこと。この"黒い雨"は放射能を帯びているので、直接打たれると後に放射線障害になる可能性が高くなる。

しかし、当時の禎子ちゃんたちがその恐ろしさを知る由もなかった。

リレーの選手で将来の夢は体育の先生。そんな禎子ちゃんが体の異変に気づいたのは、1954年の暮れのことだった。首や耳の後ろに幾つかのしこりが発生。年が明けた1955年1月末には、足に紫色の斑点が現れたという。

そして、1955年の2月18日。ABCC(原爆障害調査委員会)の検査結果をもとに、禎子ちゃんの父親に病名が告げられた。"亜急性リンパ腺白血病"だった。

「白血病であり、短くて3ヶ月。長くて1年でしょう...というように言われたんです」(雅弘さん)

それは、まさに死の宣告だった。

入院当初は、快活に過ごしていたという禎子ちゃんだったが徐々に症状が悪化。病院内で顔見知りになった少女が同じ白血病で亡くなると、「うちもああして死ぬんじゃろか」とポツリと呟いたという。

そんな禎子ちゃんの生きる支えとなったのが、「折り鶴」だったのだ。

きっかけは、原爆患者に届けられた愛知県の高校生たちが折った色とりどりの折り鶴。その美しさに心打たれた禎子ちんは以後、自らの病気の回復、「生きたい」というを願いを込めて一心に鶴を折りはじめた。

禎子ちゃんの兄、雅弘さんによると、「だんだん具合が悪くなるに従って、針を使って折るようになったんです。先までピーンと...。最後はもう、本当に気力体力をこれに注いだんです。それで良くなりたいと」

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サダコちゃんのつる (photo:kazuhiko Iimura)

禎子ちゃんの折り鶴は、直径1センチにも満たない小さなものだった。

この話を雅弘さんに伺ったとき、「どうか、手のひらに載せてやってください」といっていただいたので、そのうちの一羽を手のひらにのせた。

針を使って、気力だけで折られたという折り鶴は、ほとんど質量を感じない、驚くほど小さなものだったが、見つめていると吸い込まれるような不思議な力に満ちていた。儚そうでありながら、断固とした存在感......があった。

しかし、折り鶴にかけた禎子ちゃんの願いは届かなかった。

最後は、ピンを使い直径5mm程の鶴まで折っていた。
鶴を折れば元気になれる、
鶴ができれば家に帰れる、
「生きたい...」という気力だけ。まさに、"祈り"である。

けれども、その願いも空しく、禎子ちゃんは、12歳でこの世を去った。
悔しくて、切なくて、虚しくて.........
禎子ちゃん最期の言葉は、「お父さん、お母さん......ありがとう」だったという。


禎子ちゃんの甥、佐々木祐滋さんの「祈り」とは?

佐々木祐滋さんは、禎子ちゃんの兄、雅弘さんの息子である。

ミュージシャンである裕滋さんは、自ら作った曲や数々の講演活動などを通じて、禎子ちゃんの味わった「悔しさ」や「生きたい」と願った気持ち、さらには「平和への思い」や「原爆の悲劇」を世界の人々に訴え続けている。

今回、オバマ大統領が広島に足を運び、被爆者の方々とも面会し、資料館へ自ら折った4羽の折り鶴を持参した、その背景には、間違いなく祐滋さんたちのこれまでの努力があったはず。

広島平和記念資料館の志賀賢治館長は、資料館を訪れた際のオバマ大統領の様子について、「特に禎子さんの折り鶴に関心があったようで、ご覧いただいた。そのあと、被爆を伝える資料をご覧いただいた」とし、大統領が事前に勉強していた様子が伺われたと話している。


折り鶴映画イベント

祐滋さん(45)は現在、父の雅弘さん(74)らと一緒にアメリカ、ロサンゼルスを訪れている。

原爆投下命令を下したハリー・トルーマン元大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と共にロサンゼルスにある「Museum of Tolerance(寛容博物館)」へサダコ鶴を寄贈。また、Miyuki Sohara監督による「折り鶴2015」のLAプレミア上映も行われている。

今回のオバマ大統領の広島訪問、さらには「4羽の折り鶴」について、祐滋さんに伺ったところ、以下のような感想を寄せてくれた。

『今回のオバマ大統領広島訪問には本当に感謝しております。
ましてや、折り鶴をご自身で四羽折られて持って来て頂き、資料館で出迎えてくれた、子供に二羽、メッセージを書いた記帳台に二羽置いて頂いたこともあり、大変感動もいたしました。
まだまだ日米の間で越えなくてはならない壁はいくつもあるとは思いますが、
これまで誰もなしえなかった、現職米国大統領の広島訪問が実現できたのですから、
ここからはじめられることを皆で考えていきましょう!
折り鶴は皆の心を必ずつないでくれると信じています!』

また、祐滋さんは、「オバマ大統領さまへ」として次のような言葉をFacebookに綴っている。

「オバマ大統領さまへ 今回、広島平和公園を訪問し、慰霊碑に献花をされ、犠牲者に心を手向け、被爆者と笑顔での対話や抱擁をされたこと、本当に感謝しております。

さらに、たった10分程の資料館視察の中で禎子の鶴を見て頂き、ご自身で折られた4羽の折り鶴のうち出迎えた小中学生に2羽手渡され、芳名帳にメッセージを書かれたあと残りの2羽を置いていって頂いたこと、本当にありがとうございます。

僕には、この折り鶴を折って渡してくれた行動が「サダコ、君のことは知ってるよ! 僕の故郷であるハワイ、そして、先の大戦で日米開戦のきっかけとなった真珠湾に来てくれてありがとう!」と言ってくれているんじゃないかと思えてなりません......きっとそうなんですよね?

僕は、禎子の鶴を絶対に真珠湾に贈りたいと思い、周りから心配や反対がありながらも勇気を持って、信じて、決断をし、原爆投下命令を下した元米国大統領ハリー・S・トルーマンの孫であるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんと初めてお会いしたときに「禎子の鶴を真珠湾に贈りたいので力を貸してください!」とお願いをしました。

そのクリフトンさんが動いてくれて念願であった真珠湾への寄贈が実現し、今度はその禎子鶴を常設展示する為に必要な約7万ドルの費用を集める為に、現地の日系人の方々とオバマ大統領の母校であるプナホウ高校の先生と生徒たちが中心となって動いてくださったおかげて常設展示も出来ました。

そしてその後もオバマ大統領の後輩達がサダコプロジェクトを立ち上げ、展示後から現在も毎月1回、禎子鶴展示ブースに行って、そこを訪れる人達に、鶴の折り方を教えてくれているのです。

いつかこの真珠湾と禎子の折り鶴の事をこの皆の、心の繋がりをオバマ大統領に伝えたいと僕は思っていました。今回、その願いがやっと叶ったと確信しております。

あらためて、オバマ大統領、広島に、平和公園に来て頂いてありがとうございました。

そして、折り鶴を折り、広島の子ども達へ渡してくださって本当にありがとうございました。

最後に、今年の12月7日は真珠湾攻撃から75年目になります。その日に今度は僕らが思いを込めた折り鶴を真珠湾へ届けに行きますね。  佐々木 祐滋」

佐々木祐滋さんの代表曲は「INORI(祈り)」
(作詞・作曲:佐々木祐滋、歌:クミコ)

禎子ちゃんの思いがそのままバラード調の曲になっている。聴くと、本当に涙がでる。ボロボロと泣けてくる。ひとりでも多くの人に「INORI」を聴いて欲しい。この曲は、戦争がもたらす悲惨、平和の尊さ......を訴えかける。以下は、「INORI」の歌詞(全文)である。

別れがくると知っていたけど 
本当の気持ち言えなかった
色とりどりの折鶴たちに 
こっそり話しかけていました

愛する人たちのやさしさ 
見るものすべて愛しかった
もう少しだけでいいから 
皆のそばにいさせて下さい

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした

折鶴を一羽折るたび 
辛さがこみ上げてきました
だけど千羽に届けば 
暖かい家にまた戻れる

願いは必ずかなうと 
信じて折り続けました
だけど涙が止まらない 
近づく別れを肌で感じていたから

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

別れがきたと感じます 
だから最後の気持ち伝えたい
本当に本当にありがとう 
私はずっと幸せでした

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた
祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした
泣いて泣いて泣き疲れて 折鶴にいつも励まされ
祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

めぐりめぐり行く季節をこえて 
今でも今でも祈ってる
二度と二度とつらい思いは 
他の誰にもしてほしくはない

12歳の少女が、"生きたい"という願いを込めて折った鶴。
その鶴が、時空を超えて、平和を愛する世界の人たちの心を結ぶ。

最後にオバマ大統領の演説から、その一部を......

「世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が"核戦争の夜明け"ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです」(朝日新聞より)

是非、そうあって欲しい。そんな未来を築く努力を、いまこの瞬間から始めたい。
まずは自分にできることから......

(2016年5月29日「TVディレクター 飯村和彦 kazuhiko iimura BLOG」より転載)