これまでの延長線上に、メディアのイノベーションはない

ドローンやヴァーチャルリアリティなど、花盛りのイノベーション論議。だがそこに、足りないものはないか―。

ドローンヴァーチャルリアリティなど、花盛りのイノベーション論議。だがそこに、足りないものはないか―。

そんな論考が目を引いた。

もう一つは、ウォールストリート・ジャーナルのニール・マンさんがやはりミディアムに掲載した「ジャーナリズム・イノベーションの大きな問題」だ。

ゲラシさんが指摘するのは「エコシステム発想」、そしてマンさんが指摘するのは「ロングターム戦略」。

共通するのは、これまでの延長線上には、イノベーションはない、という点だ。

いずれも、テクノロジーの進化とメディアの間で広がり続けるギャップについて、新聞社内部からの視点で、警鐘を鳴らしている。

●「イノベーション・レポート」から100万人突破へ

ゲラシさんがニューヨーク・タイムズに在籍したのは2013年から2015年まで。

在籍した2年間は、収益増を目指すデジタル新商品開発チームの責任者を務めたという。

それ以前のキャリアのほとんどは、ベンチャー起業家として過ごした人物だ。

在任中には、多額のコストをかけて3つの有料サービスを立ち上げたという。ところが立ち上げから1年、このうち2つは読者獲得のための無料サービスに変更となり、残る1つは、サービスそのものの停止という憂き目にあったという。

ゲラシさんは、記事の中ではそのサービス名をあげていないが、実は「NYTナウ」や、その2カ月後の2014年6月に立ち上げたウェブとアプリの課金サービス「NYTオピニオン」の開発責任者だ

「NYTナウ」は月額8ドルで若者層をつかもうとしたが、2015年5月に無料サービスに移行。月額6ドルの「NYTオピニオン」はスタートから4カ月でサービス停止が明らかになっている。

ちょうど、新規の課金サービス開発による収入増路線から、読者開発・エンゲージメント重視へと舵を切った、そのあおりをくった形のようだ。

ただこの間、タイムズを内側から見て、その生き残り、さらには同様の巨大企業の生き残りに必要な処方箋がはっきりした、とゲラシさんは言う。

●起業家発想

その第一が「起業家発想」だ。

企業の中にベンチャー起業家のマインドを取り込むこと。ニューヨーク・タイムズも、その必要性を理解していたからこそ、自分のような人間を採用したようだ、とゲラシさん。

ただ、現実の対応はちぐはぐだった、という。

タイムズは、ベンチャー起業家としての能力のために私を採用しておきながら、直後から起業家らしい振る舞いを控えるよう指示し始めた。起業家的であろうとすればするほど、タイムズのやり方と衝突することになった。

必要なのは、組織全体の対応だという。CEO、そしてマネージャーが起業家思考の価値を理解し、バックアップしていかなければならない、と。

外部から何人かを連れてきたり、数人の社員をトレーニングしてエース級のチームをつくったりするだけでは不十分だ。より幅広い理解が得られなければ、それらの人々は、巨大な組織の中で軋轢を生むだけの存在になってしまう。

●ベンチャーキャピタル発想

現場の「起業家発想」に加えて求められるのが、経営層の「ベンチャーキャピタル(VC)発想」だと、ゲラシさんは言う。

さらに必要なのがベンチャーキャピタルのように考え、ベンチャーキャピタルと同じ方法でチャンスを評価できる経営幹部だ。資金を出す、見送る、削減する、加速する、留まる、そのタイミングを理解できていることだ。

タイムズ経営陣は当初、これが理解できていなかったが、ゲラシさんが離れる頃には理解し始めた、という。

ただ、しっかりとしたポートフォリオを組み、アイディアをビジネスとして孵化させるには至っていなかった、と。

そのためには、経営幹部を半年間、ベンチャーキャピタルでトレーニングを受けさせるか、著名VC「アンドリーセン・ホロウィッツ」のようなところから人を雇うことも必要かもしれない、と。

●エコシステム発想

ゲラシさんが3番目に挙げるのが、「エコシステム(生態系)発想」だ。タイムズも、その他の企業も、これを理解できていない、という。

多くの巨大企業は、自らを「生物」と見なし、その体内と外界とを分けて考える。そして、新たなアイディアやDNAは〝摂取する〟ことで内部に取り込もうとする。

それに比べ、エコシステムには境界がなく、つねに成長することができ、新しいものを取り込み、適応し、反応し、変形していく。アイディア/DNA/価値を〝摂取〟によって取り込むのではなく、ネットワークのエッジ(端)に新しい要素を加えていくのだ。そうすることで、エコシステムすべてにとっての、新たな価値をつくりあげることになる。

ベンチャーのエコシステムに開かれ、協働するメディア。

この「エコシステム発想」こそが、企業内を「起業家発想」や「ベンチャーキャピタル発想」へと転換させる後押しにもなる、ともゲラシさんは述べている。

そして、それが未来の形だ、と。

●ロングターム戦略

ウォールストリート・ジャーナルのソーシャルメディア・エディアター、マルチメディア・イノベーション・エディターを歴任するニール・マンさんは、英シェフィールド大学で名誉上級講師も務めている。

マンさんは、〝イノベーション〟という言葉は今や、ジャーナリズムにおけるバズワードと化している、と指摘する。

「編集部をいかにデジタルにシフトさせるか」「モバイルファーストのコンテンツづくりとは」「ジャーナリストにマルチメディアを活用した記事づくりをさせるには」「スナップチャットで何をする」

ジャーナリズムのカンファレンスでは、決まってこんな質問が飛び交うのだという。

ジャーナリズムにおいて私たちが語っているイノベーションとは、利用者の行動様式を根本的に変えてしまうようにデザインされたイノベーションとは、別種のものだ。それは、利用者の大半がすでに使っているプラットフォームに向けて、コンテンツを配信していこうとする、ショートターム(短期)のリアクション的対策にすぎない。

ジャーナリズムの外に目を向ければ、そのスピードの差は歴然だ、と。

テクノロジー業界のイノベーションは、ショートタームであることはまずない。テスラ、アップル、グーグルの新製品を分析すれば、おおむね次に何が来るのを理解するのはたやすい―利用者の前に示しているのが、ロングターム(長期)のイノベーションだからだ。

そして、ワイアードのインタビュー記事から、グーグルXを率いるアストロ・テラーさんのこんな言葉を引く。

我々がグーグルで使っているマントラは、10%より10倍を、だ。何かを10%良くしようとしたら、今の延長でやろうとする。もし、1ガロン50マイル走る自動車を作って欲しいと頼んだら、今あるエンジンを入れ替えるだけでいい。だが、500マイル走るように、と言われたら、一から考えることになる。その課題へのアプローチは全く違った、奇妙で直感に反したものになるが、それこそが何かを10倍良くするための近道だ。なぜなら物の見方の転換は、これまで何度も使われた伝統的な方法によって、膨大な仕事量とリソースをつぎ込むよりも、はるかにパワフルだからだ。

ジャーナリズムの世界は、締め切りに追われるショートタームの発想が染みついていて、ホームページのリニューアル、といったアップグレード型に目が行きがちだった、という。

だが、テクノロジーの進化は加速度的になっており、ジャーナリズムだけがこのままのペースでいることはできない、と。

編集部の今の問題は、この新世界への準備の遅れに、伝統的なプラットフォームにおける読者と収入の減少が相まって、難局に追い込まれているという現状だ。これまでにも増して、業界のほとんどがショートタームの解決策に専念し、どうにか踏みとどまっている。テクノロジー業界は、メディアの課題を解決しつつあり、成功するメディアとは、それによって自ら課題を解決できる所だろう―すなわち(デジタル時代に適応した)コンテンツと(利用者に適した)コンテクストだ。

これこそが、私たちが解決しなければならない大きな問題なのだ。

イノベーションという言葉は、なるべく丁寧に使っていきたい。自戒を込めて。

(2016年4月10日「新聞紙学的」より転載)

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