「忘れられる権利」とグーグル:プライバシーは誰が守るのか

ネット上に残る過去のプライバシー情報の削除を要請できる「忘れられる権利」。グーグルは、欧州連合(EU)最高裁にあたる司法裁判所が、この権利を正面から認める判決を出してからわずか17日で、「忘れられる権利」専用の削除申請ページを開設するという、同社としては異例のスピード対応ぶりを見せた。

ネット上に残る過去のプライバシー情報の削除を要請できる「忘れられる権利」。グーグルは、欧州連合(EU)最高裁にあたる司法裁判所が、この権利を正面から認める判決を出してからわずか17日で、「忘れられる権利」専用の削除申請ページを開設するという、同社としては異例のスピード対応ぶりを見せた。

判決以降、すでに数千件にのぼる削除申請が出ているといい、グーグルが一つひとつ審査を行い、削除基準に合致するものについては、6月半ば以降に削除を実施していくという。

ただここで、疑問も浮かんでいる。

そもそもプライバシーは、誰が責任を持って守るのか、ということだ。

グーグルCEOのラリー・ペイジさんは、英フィナンシャル・タイムズのインタビューで、こんなことを話している

データは、グーグルのような民間企業が持っている方が、データ取得の適正手続き(デュープロセス)もない政府が持っているよりもずっといい...私たちには、世界的な評判というものがあり、それを守ろうと努力しているのだから。

プライバシーを守るのは政府ではなく、グーグルだ、と言うのだ。

●「不適切な検索結果」

「忘れられる権利」専用の削除申請ページが公開されたのは5月30日だ。

ロイターによると、この初日だけで、1万2000件の削除申請が行われた、という。

グーグルには、以前から「Googleからの情報の削除」のページはある。

個人情報や著作権侵害、ポルノ画像などの削除申請をするためのもので、例えば個人情報なら、クレジットカード番号は削除するが、住所や生年月日は削除しない、など同社の「削除ポリシー」に基づき、削除の可否を決めているらしい。

ここにEU域内向けに限定して、「欧州データ保護法に基づく検索結果からの削除申請」が加わった、ということだ。

どの国のデータ保護法を適用するかという準拠法の指定、名前、電子メールアドレス、対象となる検索結果ページのURL、申請理由、身元証明資料のファイル、署名を付して、申請をすることになる。

なりすまし防止などのため、当初は、写真付き身分証明書の画像ファイル添付を義務づけていたようだ。

だが、ウォールストリート・ジャーナルによると、ドイツ・ハンブルグのプライバシー規制当局から、写真付き身分証明書の画像を収集すること自体が、プライバシー法に違反する可能性があると指摘され、「判読可能な身元署名資料の写し」と表現を変えたのだという。

申請対象は、司法裁判所の判決が指摘したように、個人の名前が含まれていて、「公開当初の目的から見て、不適切、関連のない、もしくはもはや関連のなくなった、行き過ぎた」検索結果、ということになっている。

削除するのは検索結果のみで、そのリンク先のサイトは、依然として存在する。また、この措置はEU域外には適用されず、例えば日本で検索すれば、その結果は依然として表示される

●グーグルを黙らせた男

すべての始まりは、1998年1月19日付けのスペインの新聞「ラ・バングラディア」23面に掲載された競売の告知だった。

マリオ・コステハ・ゴンザレスさんは、社会保障費の滞納により自宅が競売にかけられ、労働社会問題省によるその公告が、所有者として当時の妻との連名で、この日の新聞に掲載された。

その新聞が、16年後の今も、グーグルの検索に引っかかってくる。

スペイン紙エル・パイスによると、「すべては決着し、債務も完済。その後、離婚もした。だがグーグルによると、私はいまだに債務者であり、妻帯者ということになっている」とゴンザレスさんは述べている。

今回の裁判の原告となったゴンザレスさんは、記事とグーグル検索結果の削除を求めて、まずスペイン政府のプライバシー保護機関である「データ保護庁(AEPD)」に申し立てをする。

データ保護庁は、新聞への競売公告そのものは適法として削除申請は退けたが、グーグルへの削除申請を認めた。グーグルはこれを不服として、スペインの最高裁に準じる「全国管区裁判所」に上告した。

スペインの全国管区裁判所と言えば、昨年11月、チベットでの虐殺に関与した、として江沢民元国家主席や李鵬元首相ら5人の共産党幹部に逮捕状を出したことでも知られる裁判所だ。

全国管区裁判所は、この訴えが、EUのプライバシー保護法制の中でどのように位置づけられるかという点について、EU司法裁判所に照会を行い、判決(先行判決)を求めていた。

●95年のEU指令で認める

そして司法裁判所は、「忘れられる権利」について、19年前の1995年に制定された「EU個人データ保護指令」(日本語訳)に基づき、同指令の「アクセス権」「データ対象者の拒否権」などの規定から、認められるとの先行判決リリース)を下した。

これが5月13日の「忘れられる権利」判決だ。

この先行判決を受けて、スペインの全国管区裁判所は、改めて同裁判所としての判断を下すことになる。

●逆風と追い風

EUは、95年指令をネット時代に合わせる強化策として、法的拘束力も持つ「EUデータ保護規則」案を2012年1月に提案。「忘れられる権利」は、この中で明文化されている

だが、この規制強化の動きは、IT業界などからの激しいロビー活動にあい、難航を極める。そこにふってわいたのが、米国家安全保障局(NSA)の情報監視活動を暴露したスノーデン事件だった

これが追い風となり、当初は今年5月の欧州議会選挙前の決着を目指したがかなわず、結局、来年に持ち越されるとの見立ても出ていた

さらに、欧州議会選挙ではEU懐疑派が大きく台頭。域内で共通の法的拘束力を持つ「保護規則」の扱いも、微妙な雲行きになってきた。

そんな中、「保護規則」を先取りする形となった「忘れられる権利」判決とグーグルの素早い対応は、プライバシー保護強化推進派を勢いづかせたようだ。

プライバシー保護強化の先頭に立つ欧州委員会の副委員長、ビビアン・レディングさんは、判決後にフェイスブックでこう述べている

本日の判決は、欧州の個人データ保護にとっての明確な勝利だ! 企業はもはやカリフォルニアや世界のどこかにあるサーバーの陰に隠れることはできない。本日の判決は、欧州委員会が2012年1月に提案した個人データ保護規則案に盛り込んだ主要な柱(忘れられる権利)を認めており、この改革に対する強力な追い風になる。(中略)ビッグデータにはビッグライツ(権利)が必要だ。

レディングさんは、グーグルが「忘れられる権利」専用ページを開設したことについても、欧州委員会の自らのページでこう述べている

グーグルが最終的に欧州法を尊重し、必要な対策をとったと公表したことは、いい展開だ。欧州データ保護法制は1995年からあるのだから、むしろ遅すぎた。EU司法裁判所が判決を出してようやく、ということだ。

●削除申請の中身

グーグルCEO、ラリー・ペイジさんのインタビューを掲載したフィナンシャル・タイムズには、興味深いデータがあった。グーグルに対する削除申請の中身だ。

5月19日までの英国とアイルランドでの削除申請内容というグーグル集計のデータによると、最も多いのは「詐欺行為」関連が31%、次いで「逮捕/暴行による有罪判決/重大犯罪」21%、「チャイルドポルノによる逮捕」12%、「政府/警察」関連5%、「セレブリティー(有名人)」2%、「その他」30%。

6割超が過去の犯罪絡みの情報に関わる削除申請、ということになる。

ペイジさんは、こう言う

インターネットをこのように規制していくと、私たちは、これまでのようなイノベーションを目にすることはなくなっていくんじゃないかと思っている。

そして、こんなことも。

この判決は、欧州のように先進的、進歩的ではない国々によって悪用されるのではないか。そして多くの人々が(削除を求めて)押し寄せるだろう。おそらく...大半の欧州人が眉をしかめるような理由で。

つまり、この判決はイノベーションの芽をつみ、専制国家や犯罪者への追い風になるのではないか、と。

●プライバシーをグーグルが判断する

プライバシー侵害の有無と、検索結果からの削除の適否を判断するのは、あくまでグーグルだ。

裁判所の判決はグーグルに対して、個人の〝忘れられる権利〟と公共の〝知る権利〟についての難しい判断をするよう求めている。

グーグルの広報担当者は、英インディペンデントにこのように話している

このためグーグルは、エリック・シュミット会長デビッド・ドラモンド最高法務責任者を共同委員長とした、専門家による諮問委員会をつくり、対応を協議するという。委員会のメンバーには、ウィキペディアの創設者、ジミー・ウェールズさんや、国連の「表現の自由」に関する特別報告者、フランク・ラリューさん、オックスフォード大インターネット研究所教授で、情報哲学、情報倫理が専門のルチアーノ・フロリディさんさんらの名前がある。

上述の声明で、レディングさんはこうも述べている。

〝忘れられる権利〟と〝情報の自由〟は、敵同士ではなく友人だ。(中略)裁判所は、これがジャーナリズムの活動に及ぶことがあってはならない、と明確に線引きしている。ジャーナリズムは保護されるのだ。

だが、判決による、知る権利、表現の自由、報道の自由への影響については、フィナンシャル・タイムズや、ウォールストリート・ジャーナルなどの欧米各メディアも懸念を示している。

そして、著名ブロガーであり、『グーグル的思考』の著書もあるニューヨーク市立大起業家ジャーナリズムセンター所長、ジェフ・ジャービスさんは、こう指摘する

これは表現、ウェブ、欧州にとって最も厄介な出来事だ。裁判所はグーグルだけでなく、グーグルがリンクするサイト、その発信者の表現の自由の権利を踏みにじった。(中略)裁判所は、皮肉にも、グーグルをより強力な存在にしてしまった。どの情報が見られて、どの情報が見られないか、それを決める審判者にしてしまったのだ。

一方で、判決を受けて、ドイツ内務省は「グーグルのアルゴリズムに任せておけない」として、「忘れられる権利」などをめぐる紛争解決のための〝サイバー法廷〟設置も検討しているという。

プライバシーに責任を持つのはグーグルではなく、あくまで政府、との立場だ。

また手続き上も、削除申請をグーグルが拒否した場合、申請者がこれに不服であれば、それぞれの国のプライバシー保護機関に改めて削除申請をすることになるようだ。

●プライバシー保護機関の存在

欧州などの政府には「コミッショナー」などと呼ばれるプライバシー保護機関がある。前述のスペインのデータ保護庁、英国なら「情報コミッショナー」などがそうだ。各国のコミッショナーが集まる国際会議も毎年開催されている。

米国では、連邦取引委員会(FTC)がその役割を担う。

グーグルが「忘れられる権利」専用ページを公開する3日前には、ビッグデータのプライバシー情報の取引を手がける「データブローカー」について、透明性確保のために、議会に規制法の制定を提言する100ページを超す報告書「データブローカーズ 透明性と説明責任のための提言」を公表した

世界で7億人分、3000項目の消費者データを保有するアクシコムなど、大手9社のデータブローカーからの報告を元に、その現状と課題をまとめている。

その上で、議会に対して、「業界を集約した情報ポータルの開設」「消費者のデータへのアクセスの確保」「オプトアウト手段の確保」「データ取得元の開示」「小売り事業者らのデータ提供先開示」「センシティブ(機微)情報の一層の保護」をデータブローカーに求める法規制を提言している。

この報告書に言う「データブローカー」には、グーグルやフェイスブックは含まれてはいない

ただ、この報告書に対して、グーグルも加盟する米ソフトウェア情報産業協会(SIIA)は、「データブローカーの透明性と説明責任を向上させるというFTCの目標は、我々も共有する。だがそれは、新たな法律や規制なしで達成できるし、そうすべきだ」として、法制化には反対の声明を発表している。

●日本では

では、コミッショナーやFTCに相当する、日本のプライバシー保護機関はどうなっているのか。

今のところ、そのような機関はない。

今年1月に、「特定個人情報保護委員会」(堀部政男委員長)が、公正取引委員会、国家公安委員会と並ぶ、独立性の高い三条委員会として発足しているが、これは、税と社会保障に関する新たな番号制度(マイナンバー)に関する監視機関だ。

現行の個人情報保護法では、それぞれの事業分野を管轄する「主務大臣」が「勧告」や「命令」をすることになっていて、コミッショナーやFTCのような、プライバシーの責任官庁はない。

このため、各国が参加するコミッショナー会議の、正式メンバーにもなれていない。

この個人情報保護法の改正案を来年1月の通常国会に提出する予定で、政府のIT総合戦略本部の「パーソナルデータに関する検討会」が昨秋から議論を続けている。6月中には大綱をまとめる予定だ。

5月29日の第10回会合で提出された「パーソナルデータの利活用に関する制度改正の基本的な考え方について」「これまでの議論を踏まえた論点整理表」などには、コミッショナーに相当する第三者機関を、特定個人情報保護委員会を改組して設置する方針が明記されている。

番号法に規定されている『特定個人情報保護委員会』を改組し、内閣総理大臣の下に、特定個人情報以外の個人情報(一般の個人情報)の利活用の推進及び保護等を目的とする委員会を設置する。

第三者機関設立を含む改正個人情報保護法が成立の運びとなれば、ようやく欧米並みのスタートラインに立つということだろうか。

ちなみに、グーグルが幹事会長社を務め、ヤフー、イーベイ、フェイスブック、アマゾン、グリー、ディー・エヌ・エーが参加する「アジアインターネット日本連盟」は、「個人情報保護法の保護範囲が広がることによって、事業者の負担は確実に増大するのであり、現政権が強力に推進している成長戦略にとってプラスになるとは言えない」などとする意見書を4月23日付けで提出している。

(2014年6月1日「新聞紙学的」より転載)

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