BLOG

誰が福島第一原発を収束させるのか―見えない人間(3)

2013年09月21日 01時57分 JST | 更新 2013年11月19日 19時12分 JST

私は2012年の3月から福島第一原発収束作業員のポートレート写真展を始めた。現在に至るまで、その写真展は国内外19ヶ所で開催された。そこには18歳から67歳まで、27人の作業員のポートレート写真と彼らへのインタビュー、原発内部の写真が展示されている。20ヶ所目となる展示は 10月にスペインのアンダルシアで開催される。これは、日西交流400周年事業の一つとして2013年6月から約1年かけてスペイン国内をまわる巡回展の4ヶ所目にあたるものだ(スペインの展示では東京消防庁レスキュー隊の富岡氏の写真も展示)。

写真展のタイトルは、「Héroes de Fukushima(フクシマの英雄たち)」。

2011年10月にスペインのフェリペ皇太子は、事故直後に収束作業にあたった人々を「Héroes de Fukushima(フクシマの英雄たち)」としてアストゥリアス皇太子賞を送った。それにちなんで、写真展のタイトルも同じものにした。6月には日本、スペイン両皇太子がマドリッドでの展示をご覧になった。当時、授賞式に参加出来なかった現場作業員たちの顔が皇太子殿下の前に並んだ。

写真展をご覧になった方からは本当に沢山の感想が寄せられる。内容は様々だが、作業員について寄せられる感想の中で最も多い質問の一つが、「私たちは現場の作業員の方に何が出来るのか?」という質問だ。

私が思う、一つの絶対的、明確な回答(方針という方があっているかもしれないが)として、東京大学大学院の安永氏が私の写真集を取り上げた研究の中で書いている文章を紹介したい。

小原が彼らを「英雄」と呼ぶとき、そこには、現在あまりにも過酷な労働環境を強いられながらメディアできちんと取り上げられる事もなくその存在を過小評価されている人々に対し、彼らをせめて英雄と呼ぼう、という意図があるだろう(小原2011)。しかし一方で「英雄」には、「sacrifice=犠牲」すなわち、世界を救うために自らの死を受容することを引き受けるもの、という象徴的意味がある(西山コメント)。(一部省略)ならば、今とりあえずの日常を送る事を許されている私たちが考えなければいけないことは、どうすれば彼らを「英雄」にしないですむか、彼らを「英雄」という名の犠牲にしないようにできるか、ということであるだろう。

(引用:安永麻里絵「核のイメージの氾濫と空白ー日常性の回復と出来事の"記憶-化"の力学」(一橋大学西山雄二演習 「カタストロフィの哲学:核の表象文化論」2012年6月13日)

彼らを英雄にしないこと。逆説的であるが、彼らを英雄(という言葉が正しいか分からないが) として、功績を評し、生活全般の保障を行い、健康管理の体制を整えたとしても、決して本当の英雄にはしてはいけないこと。福島第一原発は、人の働く職場である。今後、汚染水問題に税金が投入されることを好機として、人の話がもっとされていくような状況になればと心から願っている。その為に、もっと人としての作業員の話を伝えたいと強く思っている。どんなに技術が進歩しようともそこで働く人間がいなければ収束作業など成り立たないのだから。

1ヵ月以上もの間が空いてしまったが、連載記事「誰が福島第一原発を収束させるのか―見えない人間」3回目を掲載する。今回は、前回インタビューを掲載した作業員の奥様へのインタビューである。

想像して欲しい、朝ご飯を食べて「行ってきます」と向かう先が福島第一原発だという状況を。それを送り出す状況を。

【2013年4月インタビュー 東京都 20代女性】

福島第一原発へ

最初、その話(福島第一原発での作業)を聞いたとき、私は行かないで欲しいなって気持ちが強くて、行かないでって言ってたんですけど。でも、色々話を聞いていくと、まず行きたいって言う人がいなんですよね、募集をかけても。彼が仕事の立場上、自分たちが行かないと下の人がついて来ないから、行かなきゃいけないんだよ、って。そう言われて、だったらそれは引き止められ ない、行った方が良いんだろうなって。そう言う風に言ってあげた方が良いのかなと思って承諾しました。もちろん、そうじゃない想いもあったんですけど。

仕事を初めて最初の頃は週末は帰って来ていて、苦じゃなかったんですけど。それが、だんだん三週間に1回とか、1ヵ月に一回とか期間があいてしまって。最初のうちは私と夫の二人だったから 気楽な感じだったんですけど、子どもが出来てからは、次会った時、泣いちゃったらどうしよう とか、お父さんの顔忘れちゃったらどうしようとか、成長が早いのに見られないなって思うと、 ちょっとそれは寂しい気持ちもありました。でも、まあ彼が一生懸命働いているっていうのがあるんで、そう思いながらも送り出していました。

健康への不安

やっぱり被曝してるんで、これからどうなるのか不安だし、自分より先に若いうちに死んじゃっ たら不安だなって考えた事もあるし。子ども一人だと可哀想だからいつか兄弟も欲しいなって思うと、次、子どもを作れるのかなって。影響はないって言われてますけど、そうなったら不安だなとか、そういうのはありますよね。息子が出来た時は原発で働き始めてから一ヵ月弱とかだったので、影響は無いかなって思ってたんですけど、次の子どもの事を考えると心配です。

彼は特に食べ物を気にしてます。なんでこの魚、平気で食べられるの?とか。神経質だなって思ってたんですけど、 自分の体に入れるものを子どもに渡すことになるんで、そうなんだろうなって思うようになってきました。

福島第一原発での仕事を終えて

私はずっとこっちにいるので、被災地とのギャップは感じないんですけど、彼が働き始めてから1年経った時はこっち(東京)の人は震災があったんだっていう感じで、もう震災がなかったことのように普通に生活をしていました。それが彼にとっては、えっ?て違和感を感じたみたいでした。福島第一原発での仕事を終えて、帰ってから何週間はそれでトラブったっていうか、二人でけんかっぽくなって。東北と東京では全然違うんだなって思いました。彼が思ってる事が全く分からなかったんで、どうしたらいいんだろ、どうやって接したらいいんだろって、悩んでました。

帰ってきて一週間ぐらいしてから、何でそんな風に生活出来るの?って言われました。私はこっちで生活していて、震災の時はわーってなんてたんですけど、すぐ復旧して、御飯もあるし、家もあるし、自然に戻ってしまった。それで分からないんですよね。でも、彼は見てるんで、えっ?てなるんでしょうね。でも、そこが分かれなくて。何を考えてるんだろって。理解するのが難しくて。

それで、ニュースを見た方が良いと思って、福島第一原発の話をこういう風になってるよねって、話をしたんです。そしたら、実際にニュースで流れている事と現場の状況は違うところがあるみたいで、これは実際違うんだって言われちゃいました。そうなると、ニュースを見るの意味ないなってなっちゃって。何を話したら良いのかなって。ニュースを見て違うんだって言われたらどうしたらいいんだろうって。そこから話が進まなくて。もっと詳しくなった方がいいんだろうなって思うんですけど、一般に話されてる事と実際のことが違うとなるとどうすればいんだろうって。実際には仕事に行く前の方が接しやすかったです。今よりも話は出来てたし。向こうに行ってからの方が難しくなっちゃいました。今やっと前みたいに戻りつつあるかなって思いますけど。

息子へ

お父さんが頑張ってやってきた仕事なので、お父さんがどういう仕事をしてたっていうのは、男の 人として知って欲しいと思うし、聞かれたら教えてあげると思う。こういうことしてきたんだよって。自分が自覚してきた時に、ここに関わってきたんだよって。教えてあげたい。そう思います。でも、言ったらいけないとかあるのかな。子どもの事考えないわけじゃないですけど、私は隠さない性格なので、言っちゃうと思います。

私は付き合ってた頃から、見放して、行きなさいって思ってましたから、家のこともしてくれるし、少しぐらいは自分のやりたいことをした方がいいんじゃないかって思っています。子どもがもっともっと大きくなってお父さんと遊びたいって言う時に、 周りはいるのに、自分のお父さんがいないってなっちゃうかもしれないのは可哀想ですけど。そこは帰ってきた時に沢山遊んでもらうとして、それまで私が沢山遊んであげて、行かしてあげたいっていう気持ちです。

自分一人で行くという事と、家庭を持って行くことってまた意味が違うと思うんですけど、色々なことを考えて一生懸命やっている姿を見ると、やっぱりすごいなって尊敬するし、応援してます。平和な普通に子どもがのびのびと生活出来る世の中になってほしいです。

(次回は父親が収束作業へ向かっていた子どもへのインタビューを掲載予定)

誰が福島第一原発を収束させるのか―見えない人間(3)