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橋口一法 Headshot

きみは職務放棄をしたことがあるか

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皆さんは「職務放棄」をしたことがあるだろうか。自分に与えられた仕事をかなぐり捨て、職場を飛び出したことがあるだろうか。

僕はある。

かつて、僕は当時働いていたIT企業で、勤務中にオフィスから自宅へ逃亡した。まぎれもない職務放棄である。

今日はあの日のことを詳しく書き起こしてみたい。人はどんなときに職務放棄をしてしまうのか。そのあと、いったい何が起こるのか。

話は2011年の1月16日にまで遡る。その日、名古屋では大雪が降っていた。

年始からわずか2週間で残業時間が70時間を超えた


前年の年末から、僕の携わっていたプロジェクトは大いに炎上していた。2月リリース予定の機能開発が遅れに遅れ、主要メンバーは11月頃から深夜残業、休日出勤当たり前の生活を余儀なくされていた。12月に入り、僕を含めたほかの社員もヘルプ要員として駆り出され、ついに火の手に巻き込まれることとなったのだ。

12月中は毎日終電まで仕事、週末も土日どちらかは仕事という有様で、ひと月の残業時間は余裕で100時間を超えた。この年のクリスマスは三連休であり、僕は当時遠距離恋愛中だった彼女と名古屋でゆっくり過ごす予定だったのだが、それもかなわず、やむなくクリスマスの午前中(日曜日である)でデートを切り上げ出社せざるをえなかった。新幹線口で彼女を見送り、地下鉄東山線で事務所の最寄り駅に向かう途中で僕は人目もはばからず泣いた。

年末の仕事納めは12月31日。形ばかりの正月休みを挟んで、1月3日から通常業務が始まった。当然、僕たちプロジェクトメンバー以外に誰も出社してくる人間などいない。1月の人のいないオフィスは、ただただ冷たい空気に満ちていて、パソコンの生ぬるい排熱だけが僕らを暖めていた。

みんな、朝も昼も夜も、土日も関係なく働いた。深夜、我々以外誰もいなくなったオフィスで、プログラムを書き、テストをし、バグを直し、上司に進捗を報告し、それをただただ繰り返した。

結果、年始からわずか2週間で、残業時間が70時間を超えた。月140時間ペースである。過労死ラインなどなんのその。絶対に死守すべき納期に向かい突っ走る我々にとって、健康や命など二の次にすぎなかったのだ。

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そもそも退職するつもりだった


実は、前年の11月、僕はすでに退職の意志を課長に伝えていた。つまり、尋常でない作業量に加えて、僕自身のモチベーションは限りなく低かったのである。

退職の理由は大きくふたつあった。ひとつは、入社以来ずっと激務続きのプロジェクトで働き続け、いい加減疲れてしまったこと。もうひとつは、この2年間、担当している仕事がほとんど変わらず、このままではエンジニアとしてのスキルアップが見込めないことだ。

すでに辞めると決めた会社で働き続けることは時間の無駄でしかなく、いますぐにでも辞めたいのが本音だった。しかし2月リリースの開発はとても重要な内容であり、業務の引継ぎをする時間もないということで、退職の時期は後日あらためて調整ということでその場は合意した。今にして思えば無理してでも辞めるべきだったが、中途半端な責任感と優しさが、結果的に自分を苦しめることとなる。

やりたくもないことを、毎日長時間、義務感だけで続けることは拷問に等しい。ぜひとも学校で教えてほしい人生の知恵である。

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職務放棄を決意した瞬間


2011年1月16日。連続稼働日数はすでに16日を数えていた。2週間以上毎日、やりたくもない仕事を12時間以上やりつづけるストレスを想像してみてほしい。しかもその前日は自宅にすら帰れず、ビジネスホテルから出勤していたのだ。

朝からとにかく眠たかった。ホテルの枕が合わなかったのに加え、同室になった先輩社員のいびきがひどすぎてほとんど眠れなかった。それに度重なる深夜残業による疲労の蓄積もすでに限界に達していた。落ちそうになる瞼を必死で開き、自販機のコーラをがぶ飲みし、気力だけでキーボードを打ち続けた。

しかし突然、指が止まった。

唐突に「死の予感」を感じたのだ。

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▶出典 Matthew Wilkens on Flickr

言葉に表すのは難しいが、あえて言うならば、突然脳みそがフリーズし、何も考えられなくなり、指先が動かなくなった。自分の体を自分の意志で動かせる限界が近づいている、と自覚した。

(あっ、このままだと死ぬ)

そう頭のなかで言語化できた瞬間、次は、いまの自分の状況を客観的に見ることができた。

なぜ自分は、やりたくもない仕事を死にそうになりながら続けているのか?

目の前の仕事よりも、自分の命と人生のほうがよっぽど大事ではないのか?

どうせ辞める職場じゃないか。これ以上仕事を続ける義理がどこにある?

窓の外を見る。名古屋には珍しい大雪で真っ白だ。

決意を固めた。もう何をするべきかはわかっている。コートを羽織り、定期券と財布をポケットにねじ込んで、あたかもコンビニへ出かけるかのように、僕はふらりと事務所をあとにした。携帯電話もカバンも、残りの荷物はすべてデスクに置いてきた。

エレベーターで地上まで降りる。ビルの裏口を出ると、真冬の寒さが肌を突き刺した。駐車場を横切って右折。いつも休憩で買い出しにくるファミリーマートが見える。その脇を通り過ぎる。最寄り駅までは徒歩10分、意外と遠い。空からはぼた雪が振り続け、肩に積もる。事務所から遠ざかるほど、罪悪感が顔を出す。それをぐいぐいと踏み潰すかのような足取りで凍結した道を歩いた。

地下鉄に乗る。名古屋駅で私鉄に乗り換え、自宅へ向かう。もう働かなくていいんだ。後のことなど知ったことか。おれは自分の身を守ったまでだ。あんなクソみたいなプロジェクトなんか潰れてしまえ。誰もあとを追ってくるものはいない。すでに心は爽快な気持ちに包まれていた。

自宅の最寄駅で降りたときには、雪はすっかりやんで、冬の青空が広がっていた。

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▶出典 Fabio Marini on Flickr

家族も恋人も喜んでくれた


駅から家までは遠く、徒歩で帰る気力は無かった。公衆電話から自宅に電話をかけ、父親に車で迎えに来てもらった。「仕事が嫌になって黙って逃げてきたわ」と伝えると、最初は驚いていたが、よほどのことがあったのだろうと察してくれ、それ以上は何も尋ねなかった。

自宅に着くと、母親もこの年末年始の激務っぷりにはかなり心配だったようで、特に僕を責めることもなく、「大変だったね、まずは風呂に入ってゆっくりしなさい」と言ってくれた。それに甘えて風呂を浴び、布団に入って寝た。

一時間ほどすると、母親が起こしにやってきた。どうやらことの重大さに気づいた上司が自宅に電話してきたようだ。僕の担当していた仕事が終わらないと作業が進まないのでやり方を教えてくれということらしい。

とりあえず電話に出たことは出たが、何を話したかあまり覚えていない。丁寧にレクチャーした記憶はないので、適当にやってください、あとは知りませんとでも言って切ったのかもしれない。なんにせよ、自分を殺しかけた職場にかける義理などありはしないのだ。母親には「奴らはいわば殺人未遂犯なのだから今後電話は取らないように」と念を押した。

それからまた布団に潜り、枕元でノートパソコンを開き、彼女にメールで連絡を取り、職場から逃げてきた、携帯電話を置いてきたので連絡はパソコンのメールに送ってほしい、今後のことはわからないがとりあえず安心してくれと伝えた。すぐに返信があり、「生きててくれてよかった。メールも電話もつながらなくて、ついに過労死したかと思った。泣いていた。心配だった。ほんとに生きててくれてよかった。ありがとう」と書いてあった。

あぁ僕はとんでもないことをしていたんだなぁとようやく自覚した。枕を濡らしながら、また眠りに落ちた。

そして、何があったか


その後のことを簡単に書いておこう。

まず、僕はしばらく彼女の家に転がりこんだり、自宅でごろごろしたりしてひたすらに怠惰な日々を送り、心身の疲れを癒やした。1週間ほどして荷物を回収するために事務所に戻り、その場で課長、部長と面談。1月いっぱいは休職ということになった。課長は僕が会社を辞めるつもりだったことを上に報告していなかったらしく、業務完遂を優先するあまり、最終的に僕を職務放棄にまで追い込んだことを謝罪してくれた。

結局、開発案件は2月に予定通りリリースされたらしい。僕が担当していた業務も力技でなんとかしたようだ。平社員がひとりオフィスから逃げたくらいでは、大企業のプロジェクトってのは潰れないんだな、と妙に感心した覚えがある。

課長からは、今回の事態を反省して、後輩社員を僕のサポートに任命し、二人体制で仕事を回せるようにすることを確約された。結果、僕の負担は軽減され、新しい仕事に挑戦する機会も手に入れることができた。

最初は会社を辞めるつもりだった僕も、プロジェクトの業務量も次第に減り(といっても月数十時間の残業は当たり前だったが)、待遇が改善されたおかげでやる気を持ち直し、結局、その後2年にわたって同じ会社に勤め続けることになる。海外に出る決意をするのはもう少し先の話である。

本当につらいときには職務放棄すればいい


仕事をほっぽりだして帰るという行為は、一般的には褒められたものではない。サラリーマンとして、与えられた仕事はきっちりこなすのが原則だ。

しかし、世の中には狂ったマネジメントが少なからず存在する。僕が体験したように、与えられた仕事を真面目にやっていたら過労死してしまう状況もありうるのだ。そうなる前に上司に改善を申し出たり、転職したりするのがベストである。だがそうはいっても、まだまだ日本では、つらい状況の中、限界まで頑張り続けてしまう人も多いのではないだろうか。

これだけは声を大にして言いたい。本当につらいときには職務放棄すればいいのだ。クソみたいな仕事など窓から投げ捨てて、家に帰って鍵をかけてケータイの電源もオフにして、風呂に入って寝てしまえ。仕事よりも、同僚よりも、命のほうが大切に決まっている。あなたがあなた自身を守らなくて、だれが守るのか。

(2017年1月18日「NZ MoyaSystem」より転載)