BLOG

あるパキスタンの女性アーティストの生―ララ・ルーク(Lala Rukh)1948-2017

一人だけジーンズをはいている。

2017年09月28日 11時10分 JST | 更新 2017年09月29日 10時44分 JST

ここに一枚の写真がある。多くのパキスタンの女性たちの中で、一人だけ前で横に寝そべる形でポ―ズをとっている。名前はララ・ルーク。小さな顔に大きな眼鏡、足長なので長身に見えるが、実際は150センチ強の小柄な女性である。一人だけジーンズをはいている。

イスラムの女性には顔と手以外の部分を隠すチャドルが社会的圧力で強制される中、女性がジーンズを穿くなどもっての外の社会状況であることを考えると、チャドルを誰一人身につけていない「解放的女性」たちの中にあっても、ひときわ彼女のポーズの政治的なメッセージの勇敢さがわかる。これはパキスタンのラホール市で1981年に結成された女権団体WAF(Women's Active Forum)における1982年の写真である。

The Friday Times
この写真はパキスタンの英文新聞The Friday Timesの2006年11月16日の記事からLala Rukh の追悼記事も書いているNCAのSehr Raja教授の許可を得て転載。なおRaja氏の記事は http://www.artnowpakistan.com/lala-rukh-a-visual-synopsis/で読むことができる。

ララ・ルークは後にラホールにあるパキスタンでは権威のある美術大学NCA(National College of Arts)で「美術と歴史」学科の主任教授となり、また写真とシルクスクリーンを織り交ぜた単色で繊細な独特のヴィジュアル・アートでパキスタンを代表する現代アーティストの一人となり、その作品はドイツやギリシャなど世界の幾つかの美術館で展示されている。

だが、芸術家として生きるべき彼女の人生に大きな転機が訪れたのは、WAFの創立者の一人となった時だった。33歳の時である。

パキスタンは軍事政権と民主的選挙による政権が交代する政治的に不安定な国家だが、WAFを創立し参加した彼女は、それまでの社会主義的ブット(Bhutto)政権を1977年のクーデターで倒したジア・ウル・ハク(Zia ul-Haq)軍事政権の戒厳令下の人権抑圧、特に「反女性法」の施行に反対してに立ち上がったのだ。

「反女性法」は強姦された女性は(4人以上のイスラム教徒の成人 男性の「目撃者」が強姦であったと証言しない限り)姦通罪に問われること、女性の姦通罪に古いイスラム慣習の石打の刑が復活させられたこと、裁判における女性の証言は男性の証言の半分の価値しか認められず、その結果男性と女性の証言が食い違うときは男性の証言を採択するとされたこと、教育内容において未婚女性が家族以外の男性と交際する可能性を示す行動(電話する、手紙を受け取るなど)の表現が検閲されるようになったこと、などイスラム原理主義に基づく数々の女性差別的内容を含んでいた。

そして「反女性法」施行に組織的な非暴力抗議行動を起こしたララ・ルークは仲間と共に逮捕され投獄されてしまう。パキスタンの軍事政権はその後も女性の教育も就業も認めず、女性を家の中に閉じ込めておこうとする「タリバン化」政策により女性差別的制度を社会に強制していく。

ララ・ルークの投獄は一時的であったが、彼女はその後もWAFのメンバーとして中心的な役割を果たす女権活動家の一人となり、民政化と軍政化を繰り返しながらもイスラム化と強い女性差別的法と制度を持続するパキスタン政府に抗議し続けるともに、現代美術家としても頭角を現していく。困難の中で常に微笑みを絶やさなかったという彼女の強さは、華奢な少女のような姿からは想像もできない。しかし今年彼女は癌で69歳の生涯を閉じた。

パキスタンにおいて「反女性法」が事実上撤廃されたのは2008年の「民主化」後であるらしい。それは一つの進歩ではあるが、それによって社会が大きく変わったわけではない。人権団体「パキスタン人権委員会」は、結婚相手や婚約者以外の男性との交際により「家族の名誉を汚した」として親族が女性を殺害する「名誉殺人」が2015年に900件以上あったとの調査報告書を発表している。

またパキスタンは現在もわが国が111位と低いランクで知られる国際経済フォーラムのジェンダー格差指数では143か国中最下位から2番目の142位で、女性の活躍の最も遅れた国である。ちなみにインド、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータンなどの南アジア諸国は、パキスタンを除いて、みなこの指数のランクはわが国より高い。この事実は十分考えるに値する。

  

強姦被害と姦通が同じ扱いをされたり、姦通罪の女性が石打の刑になったり、「名誉殺人」が横行するなど、現代の日本人から見れば人権蹂躙きわまりない制度や慣習であり、現実感がない遠い国のことと思われるかもしれない。だが次のような事実は、程度においてパキスタンとは比較になりはしないにせよ、どこかで繋がっていると思えないだろうか。

①ヨーロッパの幾つかの国(例えば、アイルランド、オーストリア、イギリス、スイス、スウェーデン、スペイン、スロベニア、スペイン、ドイツ、ノルウェー、ハンガリーなど)には、夫婦間の強制的性行為を強姦犯罪と定める法があり、また多くの有罪例がある。他の欧米諸国でも法的な規定はこれらの国より明確ではないとはいえ、同様な行為が犯罪とされる例が多い。韓国も2013年以降その方向に法解釈の舵を切った。しかし、日本では実質的に婚姻関係が破たんしている場合など特殊例を除いて、夫婦間の性行為が強制性を持っていても未だ強姦罪に問われることはない。

②日本の政府は性教育に消極的で、女性が性に関して自分を自律的に意思決定できることより、性に無知でいることが望ましいと考える政治家も多い。

③学生の集団強姦に対し、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」との女性差別発言を吐いた政治家が、議員の職を剥奪されず、一旦落選したものの、その後も再選され大臣まで務めた。

④欧米では全く通用しない論理なのだが、慰安婦問題では軍の制度自体に内在した女性の人権蹂躙が根本的なことなのに、なぜか強制連行の有無の問題に還元させようとする議論が日本で後をたたない。 

その他にもセクハラ問題や、痴漢が女性の態度のせいにされることなど、性が絡む女性の人権軽視は枚挙にいとまがない。ジェンダー格差指数は主に政治・経済の男女格差の指標だが、根に横たわる女性差別問題に関し、宗教が絡む点を除けば、日本にとってパキスタンは全くの異国ではないと思える。もちろん、日本でスポーツや芸能などの分野での女性の活躍は目覚ましく、また教育、文化、消費活動などでは女性は実際にはるかに自由であるのだが。

実はララ・ルークは1970年代の筆者のシカゴ大学大学院時代の友人である。ジーンズが好きだといっていた彼女が当時のブット政権のことや、アートの表現上の悩みなどを静かに語っていたことが昨日の様に思い出される。

筆者は幸運にして、20代で世界の各地の多様な若者と交わる機会を米国で得た。彼らのひとりであるララの思いと、社会に翻弄されるとともに一民間人としてまたアーティストとして、積極的に社会に参与して生きた彼女の生き様を想起し、その死を悼むとともに、彼女の関心事を身近な日本のことに引き寄せて筆者が考えたことを、多くの人と共有したいというのが、今回の記事の趣旨である。

また筆者にはララがパキスタン人の唯一の友であったが、彼女の生き方の背後にはWAFのメンバーをはじめ多くのパキスタン女性の因習や差別との闘いがあったとことに思いをはせる機会ともなった。

昔ある友人が言った言葉を思いだした。「『自由な女』っていうのは、自由にふるまう女性のことじゃないんだよ。常に未だ得られていない自由を求めて生きる女性が、真に『自由な女』なんだ」。