政治家の教育勅語に関する発言について―自由な社会と「しばり」の社会

森友学園問題に関連してでてきた教育勅語を学校で教えることについて議論したい。

森友学園問題に関連してでてきた教育勅語を学校で教えることについて議論したい。

稲田防衛大臣の礼賛は論外としても、松野文部科学大臣、菅官房長官、義家文部科学副大臣と、人により「憲法に違反しないならば」、「教育基本法に違反しないならば」などの留保付きではあるが、「問題ない」との発言を繰り返していることには、大変危惧している。

もっとも、筆者は自由主義者として、私立の学校で教育勅語を教えることを禁じることはできないのは当然と考える。朝鮮人学校での北朝鮮礼賛の教育ですら、公的援助を止めることはできても、禁じないのが自由主義社会のいわば長所なのだから。

だが上記の政治家たちの発言は、公立学校でも「問題ない」様に聞こえる。それは大いに問題であるし、またあたかも教育勅語がわが国の憲法の精神に違反しないかのような言い様には、一体全体どのような論理に基づいているのかと大変疑問に思う。政治姿勢として民主主義を侵す危険極まりなく、後述する理由で自由のない社会に導く恐れがある。

筆者の主要な論点は別にあるが、まず憲法学者なら誰でも指摘する点をまず確認しておきたい。教育勅語は戦前の天皇制を前提として、天皇から臣民へ下した言葉である。これだけでも戦後の民主主義の原理とは明らかに矛盾する。

「現人神」とされた戦前の天皇の「御言葉」が教育者や戦前に育った子供たちに与えた「しばり」は計り知れない。家族や愛する人への思いも抑圧してただひとこと「天皇陛下万歳!」と叫んで死んで行った多くの日本人兵士たち。「御真影(天皇の写真)」を救うために火事の校舎に飛び込んで焼死した校長を理想の教育者として礼賛していた教育。

それらの歴史的事実は、天皇制を中心とする「国体」のためには、「いざというとき」には進んで命を捧げるべしという内容を含む教育勅語とは不可分の関係にあった。教育勅語が元凶だなどといっているのではない。そのような戦前の体制を支える役割を教育勅語も担っていたという意味である。

ここまでは、他の多くの人も言ってきたことである。日本文化と「いのちと人間」の問題について戦前の日本で国民のいのちが軽んじられてきたことについては、多和田葉子氏の講演との関連記事でも議論した。あわせて参照されたい。

だが筆者がより問題にするのは、多くの人々が「教育勅語はいいことも言っている」とする「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し」などの部分である。教育勅語と憲法の精神の矛盾の問題は、上記の「民主主義に反する」部分だけでなく、より深く教育勅語に「書かれていないこと」に大きな問題の一つがあるからだ。

一般論としては戦後の憲法は国が国民に保障すべきさまざまな権利について記しているのに対し、教育勅語は国が国民に課す道徳義務について記しており、国家主義的法治主義の戦前の憲法を補完する役割があった。問題はそこにある。

例えば性別に関係することは「夫婦相和し」で終わりである。一方戦後憲法のこの点での最重要の倫理基準は「男女同権」である。戦前の日本では、女性参政権はなく、当時なら稲田氏は大臣になれるどころか選挙権も持たなかった。

また姦通罪(不倫に対する法的処罰)は女性にのみ適用され、姦通による離婚の請求も男性のみができた。夫の妻への暴力も罪ではなかった。それでも「夫婦相和し」のみが教育勅語の道徳的義務であった。

同様なことは「兄弟に友に(兄弟仲よく)」にもいえる。戦前の戸主制度の基では兄弟は同権ではなく、武士社会の家督相続制度と同様、原則として長男のみに相続権があった。

つまり「夫婦相和し」「兄弟に友に」というのは性別や出生の順による法的不平等を前提にその「秩序を受け入れ、争いをするな」という道徳であった。当然、男女や兄弟姉妹の同権、基本的人権や社会的自由というような、戦後の憲法の中の重要事項も教育勅語には全くなかった。

教育勅語に関連するもう一つの問題は、若者に既存の秩序を前提として和を重んじ、異議申し立てを抑圧する機能である。実際戦前の不平等な社会において教育勅語が多くの人にとって大きな「しばり」であった。

例えば仮に男女の不平等や、兄弟の不平等に、異を唱えれば秩序や和を乱すとして社会的批判を受けることになったからだ。一方不平等を前提に秩序と和を重んじることを心理的に強制されることは、権利の平等を信じる人には耐えがたい抑圧であったであろう。

どちらも選びたくない選択肢だが、多くの人は「しばり」を受け入れ不平等でも和を乱そうとしない選択をした。多くの人は教育や経験を通し「世の中」や「現実」はそんなものだと思わされていたからだ。

一般にAとBというどちらも若者にとっていやな選択肢があり、そのどちらかを「自由に」選ばせることで秩序を維持しようとするのが抑圧的社会の特徴である。戦前はもとより戦後の日本もその例外ではない。

戦前の例で言えば、「国のために命を捨てて『英霊』になり、『家族の誉れ』になる」か「非国民・臆病者とののしられて『家族の恥』となるか」が男性の若者の選択肢だった。当然多くの若者が真面目であればあるほど前者を選び、国家の不合理な戦争の犠牲になった。

現代なら「長時間労働をして自分や家族の時間などないに等しい正社員になる」か、「自分や家族との時間はあるが、賃金は低く将来の見込みのない非正規雇用者になる」か、の選択肢が典型的な例であろう。

男女の伝統的分業の社会的押し付けもあいまって、多くの男性は前者を選択し、多くの女性は後者を選んできたのが戦後の日本である。

だが少なくとも戦後は、象徴天皇制のもとで天皇は戦前のように「神」として「臣民」を精神的に支配する存在ではなく国民の自発的敬愛の対象となり、また憲法は平和の希求を記し、人権や社会的自由を保障している。

筆者は戦後の豊かさは、戦前と比べ、平和で自由な社会での教育の高さと、その結果高度な技術や社会的改善を生み出すことのできる多くの人材を輩出してきたことにあったと考える。

そして、経済的にはやや停滞しても、1990年以降市民社会としての成熟も生み、方向としては多様な人々が活躍し、生き生きと生きられる社会に向かおうとしている。最近はようやく長時間労働の慣行や男女の伝統的分業も見直す社会的状況が生まれつつある。

一方国際的緊張を理由に、為政者が憲法改正を初め、国民への「しばり」を強めることで国家目的のために動員しやすくしようとする動きもある(「憲法改正と社会的自由」と題した関連記事をあわせて参照されたい)。

こんな中で、複数の大臣を含む自民党の代議士が、「教育勅語を教えることは憲法に反しないならかまわない」などというのは、この動きへの支持か、さもなければ歴史認識の欠如であり、自由と民主の抑圧への無神経にほかならない。党名に恥じる行為といってよい。自由を失えば国民の自発的活力は落ちるのが必然である。

また仮に、近い将来わが国が戦争をすることが起こりうるとしても、戦前のような「しばり」のもとで、若者を送り出す社会に二度となってはならない。国民一人一人には自らの生を決める自由と権利がある。

それを最大限尊重し、戦争は官民の平和的外交手段を尽くした上での真に自衛的国事であるべきだ。教育勅語をまたぞろ持ち出すなどの「しばり」の政治と社会はもう金輪際御免である。

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