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大阪府警の統計偽装、ドラマ「相棒」の倫理観、と犯罪統計―警察にとって真に不名誉なことは何か

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Adam Gault via Getty Images
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■「相棒」の人物像―普遍主義と個別主義

社会学に「普遍主義(ユニヴァーサリズム)」と「個別主義(パティキュラリズム)」の区別がある。普遍主義とは善悪や正義の判断において、人間関係や所属する組織の立場に基づかない倫理基準を持つことをいう。逆に個別主義とは、倫理判断において人間関係や組織の一員の立場を優先する基準を用いることをいう。こう定義すると、相反する2つの種類しかないように思えるが、実際の人間はさまざまにミックスした倫理を持っている。そのことを、登場人物のさまざまなキャラクターで生き生きと描いたのがドラマ「相棒」である。

両極端に位置するのが『杉下右京』と『内村刑事部長』である。杉下はいわば普遍主義の権化である。人間的しがらみや、組織の規律などに拘泥せず、「犯罪事実を明らかにし、犯罪者を罪に服させることで正義を実現すべき」という、世の中が期待する警察の普遍主義的ありかたを体現している。内村は反対に個別主義の問題面のカリカチュアである。警察組織の利益最優先で、警察組織の不名誉に関わるなら犯罪事実も隠蔽したりねじ曲げることを当然のように考え、また上からの命令には事の善悪を問わず忠実であるべきと考えている人間である。とはいっても個別主義が常に悪いということではない。『相棒』がドラマとして優れているのは、2つの倫理をミックスした人間を生き生きと描いた事にある。

たとえば一期の「相棒」である『亀山薫巡査部長』である。彼は普遍主義的な正義感の持ち主でそこは杉下と通じる。しかし一方、かつての同僚が不正に関係した事件では、警察官としてのあるべき行動より人間関係を優先して独自に動き、裏切られたりする。これは親しい人間関係では個別主義が紛れ込むことを意味する。そこは彼の人間的弱さであるとともに杉下にはない人間的温かさでもある。また杉下とともに、警察の規律に反した犯罪捜査を行うが、それは杉下のように規律より犯罪捜査を重視するというよりは、むしろ「相棒」である杉下との信頼関係を優先した結果の行動のように思える。ある挿話では彼は杉下を信じて命がけの単独行為を行う。そういった性格も彼の魅力であるが、仕事上の同僚への信頼は個別主義的心理の一面であるとともに、社会学では社会関係資本の一面と考えられている。

■プロ意識も合理主義も普遍主義に通じる

他の興味深いミックスの例は『伊丹刑事』である。彼は一方では典型的組織人間である。警察の規律を重んじるから、杉下を始めは疎ましく思ったし、自分たちのなわばり意識(これは捜査一課の領分だ)も強い。そのような組織人の意識は個別主義的である。その一方彼は強い「刑事魂」の持ち主でもある。だから内村が上からの指示で犯罪事実を隠蔽したりしようとすることには絶対に承服できない。杉下のようにあからさまに規律違反をして独自に捜査を進めたりはしないが、承服できないケースでは杉下に協力する。そこでは犯罪は誰であれ許さないという普遍主義が優先するのである。刑事魂というのは、自分は「犯罪捜査のプロ」であるという意識であり誇りである。だから彼にはその誇りを組織の都合でねじ曲げられるのは我慢できないのである。一般に「プロ意識」というのは専門職倫理を生みやすく、それは普遍主義と通じているのである。

もう1つの興味深いミックス例は『小野田官房長』である。彼はドラマの中で「絶対的正義なんてものはなくて、正義なんて人の立ち位置によって変わるもんじゃないの」との考えを吐露する。まさに個別主義そのものの表明であり、またそれゆえに「清濁併せのむ」人間である。だが彼は内村とは違う。警察に都合の悪い事実でもを隠蔽したりねじ曲げて、後で(特に杉下が事実を暴き出して)発覚するよりは、最初から事実を認めて謝罪した方が賢明だという、合理的な経営者感覚の持ち主である。また、そういう「問題児」である杉下を警察から追い出すよりは、彼の捜査能力を警察内で生かした方が良い、という考えの持ち主でもある。それは、彼が警察の名誉や警察内の規律よりは、犯罪取り締まり機構としての警察の役割と、そこでの多様な人材活用をより重視しているからと思える。その点において彼の考えは、一方で絶対的な正義はないとするものの、他方で警察の機能発揮に関する合理的判断を優先することで普遍主義的な行動に近づいているのである。一般に合理主義は結果として普遍主義と結びつく事が多い。

社会のためには、警察が普遍主義を最優先するのが理想である。だが、実際には個別主義的な判断や行動が混ざり合う亀山巡査部長や、伊丹刑事や、小野田官房長のようなさまざまな人間がおり、そのことをドラマ「相棒」は生き生きとまた肯定的に描いている。筆者も、そのような人々の多様性(ダイバーシティ)は良いと思う。杉下右京は一種のヒーローだが、誰もが彼のようであらねばならないわけでもなく、また人々が多様だから社会に活力が生まれる。ただこれは「相棒」のメッセージでも明確だが、普遍主義のかけらもない内村刑事部長のような人は困る。彼のような価値観が支配すれば、個人は組織に抑圧され、また組織ぐるみの不正も生み出されやすいからだ。

■大阪府警の統計偽装は、普遍主義的倫理の欠如の悪影響の典型だ

さて、今回の大阪府警に組織的の犯罪統計の偽装であるが、動機は大阪府の「不名誉な、街頭犯罪ワースト1」の汚名を返上したかったことにある。その汚名の返上が、大阪府の犯罪防止努力の結果達成されたのなら、それは賞賛に値する。しかし事実は、犯罪届けの基準を独自に弱めたりすることで、データを偽装した結果であった。つまり、大阪府警では汚名の返上という組織目的のためには事実をねじ曲げても良いという考えが、子どもでも分かるはずの普遍主義的倫理であるインチキはいけないという考えに優先したのである。これは内村刑事部長的価値観が組織に蔓延している結果としかいいようがない。プロ意識も、合理主義も見られない。

統計のような、統一の基準があって初めて意味を持つ情報に、独自の基準を設けて、表面的に「改善」することは、食品に関する表示の偽装同様、国民を欺く犯罪に等しい行為である。それを犯罪を取り締まる警察自らが組織的に行ってきたことは、あきれてものもいえない。信頼できる統計の重要さを軽視してはならない。統計は国や地方自治体や国民が客観的に自らを見ることができるための重要な鏡なのである。このような偽装は法的な禁止が必要であろう。だがより根本的問題は普遍主義の欠如であろう。警察官の中に今回のような偽装は倫理的におかしいと自ら気づき自浄作用をもたらす人材が増えることが重要だ。「あなたは警察官なのですよ、恥を知りなさい!」と杉下右京ならいうところであろう。自律的な「恥を知る」意識は、社会学者の作田啓一がかつて指摘した様に、日本文化が生み出した最も「普遍主義に近い」倫理でもある。

■犯罪統計は件数の多さだけで不名誉とみてはならない

今回の問題は、筆者には別の問題も明らかにしたように思う。それは単純に表に出た統計数でワースト云々などということの弊害である。犯罪には、統計に出てくる数とは別に、届け出もなく調査も及ばないため統計にでてこない数(「暗数」という)がある。殺人のような暗数の少ない事件と比較して、今回の大阪府警の偽装は主に窃盗(自転車盗難が多かった)とされているが、窃盗には暗数も多い。特に近年になって犯罪と認知され、地方自治体での取り組みに差があるもの、例えばDV(家庭内暴力)、ストーカー行為、児童虐待など、は自治体が積極的に対応するから暗数が減り、統計上の件数が増えることも多い。府警・県警などが、従来の「民事不介入」の姿勢を変えて、これらの犯罪に積極的に取り組んだ結果、暗数が減り統計上の件数が増えたのならむしろ高く評価すべきである。逆に何もしない自治体では、相談も寄せられないし、件数も上がりようがない。もし、統計上の件数の少なさが良いとされるなら、自治体は、相談所も設けず、水際作戦的に窓口で届け出を受理しないで済むようにする姿勢を強化しかねない。しかしその結果は、統計上は犯罪が少なくなるが、暗数が増え、犯罪被害者の救済は行われないことになる。だから犯罪に関しては、統計上の件数を少なくすることを目標にしてならない。統計上の犯罪件数の多さは警察の不名誉ではない。警察にとって真に不名誉なのは、まずなにより犯罪防止・取り締まりを有効にできず、被害者を救済できないことである。そして今1つは、権力の乱用や情報操作など公正を欠く行動で、国民の信頼を失うことである。

(2014年8月5日付のRIETIコラムより転載しました)

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