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「解釈改憲」がもたらすかも知れない「薄暗い世界」

2015年08月11日 01時16分 JST | 更新 2016年08月09日 18時12分 JST
MANDEL NGAN via Getty Images
Masahiko Komura, vice president of the Liberal Democratic Party of Japan and member of Japan's House of Representatives, speaks during a US-Japan security seminar at the Center for Strategic and International Studies (CSIS) on March 27, 2015 in Washington, DC. AFP PHOTO/MANDEL NGAN (Photo credit should read MANDEL NGAN/AFP/Getty Images)

衆議院本会議で強行採決され、現在、その議論の舞台を参議院の特別委員会に移した「安全保障法案」。誤解があるといけませんが、国際情勢の変化を鑑みながら、これからの日本の国防のあり方について広く議論されること自体は、けっして悪いことではないと私も思っています。

ただし、衆議院での議論において、どうしても見逃せない点がひとつだけありました。それは、自民党の高村正彦副総裁が、「学者の言う通りにしていたら、自衛隊も日米安全保障条約もない。平和と安全が保たれたか極めて疑わしい」と発言したことです。

なぜこの発言が問題なのか。それは、憲法は主権者である国民が、為政者に対して「これだけは絶対に守らなければならない」ことを約束したものであり、憲法学者というのは、その約束が反故にされていないかどうかチェックするために不可欠な存在だからです。言い換えるなら、憲法学者の意見というのは、憲法の「法的安定性」を担保するための重要な要素のひとつであり、その存在を政治家が軽んじるということを、主権者である私たち国民は許してはならないからです。

さて前回のブログでは、解釈改憲という憲法の「縄抜け」について、18条と徴兵制を例に出して紹介しました。もちろん、この「縄抜け」は、9条や18条だけに起こることではありません。本稿では、解釈改憲というマジックワードが、私たちの暮らしにどのような影響を与えていくのか、その可能性についてさらに考えてみたいと思います。

たとえば、21条では「表現の自由」が保障されています。しかし、この表現の自由についても、ときの政権が様々な理由をくっつけたうえで解釈改憲を行い、過剰に制限してきたらどうなるでしょう。現在、各地で開かれている「安全保障法案」に反対するデモや集会なども、交通事情や地域環境を理由に、政権が不当に制限してこないとも限らないのです。

また、憲法32条は、「裁判を受ける権利」を国民に保障しています。この場合の裁判を受ける権利とは、非公開で自分の権利を十分に守ることができなかった戦前のような裁判ではなく、きちんと公開され、自分の権利を守るために権利が保障されている裁判のことです。

しかし、これとて、大義名分のためには裁判を受ける権利も制限され得ると、「解釈」が変更されれば、どうなってしまうかわかったものではありません。現に、「秘密保護法」のような法律が成立してしまった現在、いったいどの行為が問題とされているのかさえもわからないまま、国家秘密を建前に事実上非公開の裁判さえ行われる可能性がないとは言い切れませんから。

つまり、このように、解釈改憲などという立憲主義の「縄抜け」を許していたら、私たちは安心して日々の生活ができなくなってしまう可能性があるのです。繰り返しになりますが、憲法というのは「権力をしばる法」です。そして、しばられるべき権力が自由に「縄抜け」できる方便が解釈改憲なのです。

今年5月に上梓した『だけじゃない憲法』という本にも書いたように、憲法というものは文字通り「おはようからおやすみまで」私たちの暮らしを見つめています。その憲法を、定められた手続を経ずに、主権者である国民の意思とは別のところで破壊されてしまえば、私たちの日々の生活は、薄暗い影に覆われてしまうことになるのです。わかりやすい暗闇ではなく、薄暗い影に。

解釈改憲というのは何も安倍政権だけに限ったことではありません。本質的に国家権力というのは、私たちの暮らしを蹂躙してしまう危険性を孕んでいるものなのです。だからこそ、ときの権力者の都合で「縄抜け」できないように、私たちは憲法の縄をきつく縛っておかなくてはならないのです。

こういう話になると、「解釈改憲で何でも変えられて、生活が様変わりしてしまうなんて杞憂だ」という人もいるかもしれません。私もそうであってほしいと思いますが、冒頭に挙げたように「法的安定性」を軽んじる政治家の言動が、ここにきて目立ってきているのもまた事実です。

憲法というのは、過去の歴史を踏まえ、先人の血と涙の上につくられたものです。とりわけ日本でいえば、先の大戦で命を落とし、人生を狂わされた、たくさんの人々の犠牲の上に成り立っているのです。だからこそ、「法的安定性」をないがしろにする解釈改憲への危機感を持つことがとても大切なのです。また、それこそが主権者たる国民のあるべき姿なのです。

歴史は繰り返す――。戦後70年という節目の夏、私たちは、「戦争とは何か」「平和とは何か」あるいは「憲法の存在意義とは何なのか」、そして、「次世代にどのような世の中を残したいのか」という問いに真剣に向き合わなくてはならないのではないでしょうか。