自由って何だ? SEALDsとの対話(4) 政治は生き物 育てていこう

民主主義って、議会制だけでは足りなくて、議会を補完する役割がデモにあると思っています。
2016-02-23-1456217311-2962687-logo.png朝日新聞社の言論サイトである「WEBRONZA」は今を読み解き、明日を考えるための知的材料を提供する「多様な言論の広場(プラットフォーム)」です。「民主主義をつくる」というテーマのもと、デモクラシーをめぐる対談やインタビューなどの様々な原稿とともに、「女性の『自分らしさ』と『生きやすさ』を考える」イベントも展開していきます。

「民主主義をつくる」は、

②「自由って何だ? SEALDsとの対話」 123 4(本記事)

③五百旗頭真・熊本県立大理事長インタビュー 123

の三つで構成しています。

◆SEALDsからの出席者 千葉泰真(ちば・やすまさ)/元山仁士郎(もとやま・じんしろう)/今村幸子(いまむら・さちこ)/是恒香琳(これつね・かりん)/安部さくら(あべ・さくら)/大高 優歩(おおたか・ゆうほ)山本雅昭(やまもと・まさあき)

◆齋藤純一/早稲田大学政経学部教授(政治理論・政治思想史専攻)

◆司会 松本一弥/朝日新聞WEBRONZA編集長(末尾に参加者の略歴を掲載)

議会制民主主義に足りない点を補完する

齋藤純一教授と語り合うSEALDsのメンバー

松本 最後に、「デモと議会制民主主義」について話したいと思います。

元山 日本は議会制民主主義の制度をとっていますよね。それ自体はまったく否定しないですが、議会というものは、必ず欠けているところがあるので、そこを自分たちも参加して、声を上げていくことで埋めていきたいなと思っています。声をあげる、ということは憲法でも認められていることなので、声を上げることで、議会に足りていないところを埋め合わせていきたいんです。

議会と個人って、お互いに共依存的というか、補完的なところがあるんじゃないのかな。今まで日本では、議会がとても強かったし、僕たちはお任せしたきりだった。でも、3・11以降から、参加型というか、市民が直接声をあげて議会に反映させるっていうことが盛んになってきたと思うし、それをSEALDsが盛り上げているという側面もあると思うんです。また、これは日本だけじゃなくて、世界各国でやるべきことなので、それを自分たちも受け継いで、次の世代に引き渡していきたいなと。

今村幸子さん

今村 私は、民主主義って、議会制だけでは足りなくて、議会を補完する役割がデモにあると思っています。民主主義のなかで、選挙以外に市民が政治にかかわっていくあり方として、デモがある。それだけじゃなく、選挙に対しても効果があると思っています。

たとえば、次の選挙までに街中でのデモをやって、世論を喚起することで「こういう問題があるんだ」と気づく人がいるかもしれない。

世論を可視化して、それをメディアが取り上げることで、もしかしたら次の選挙で、今まで少数だった声が多数になっていって、それが選挙結果に反映されるという可能性もあると思うし。安保法制だけの問題だけじゃなく、デモというのは議会制民主主義にとっても、大事なひとつの表現じゃないかなと思っています。

小選挙区制では補えない民意を反映させる

元山仁士郎さん(左)と千葉泰真さん

千葉 まったく一緒です。民主主義は未完のプロジェクトだ、といわれますよね。投票行動、選挙こそ民主主義だということに対する批判も浴びせられているんですけども、投票行動というものも、特に議会制民主主義において大きなウェートを占めることは間違いないと思うんです。

でも、それだけじゃ100%ではない。特に一つ前の選挙を見てみると、得票率にしたら、わずか25%前後の自由民主党が、議席数にかんしては7割以上を占めるような小選挙区制の問題点がある。投票していない人がいるにしても、75%の民意は選挙結果に反映されていないわけです。

やはり、そういった民意の欠如を補う方法として、デモだったり、ウェブでの動画配信による世論喚起であったりっていうのも、一つの政治参加の方法だと思っています。特に昨年の夏は、デモという政治参加の仕方もあるんだなっていうのが社会に大きく認められたと思う。

あとは、こんど立ち上がった「ReDEMOS(リデモス)」というシンクタンクにしても、そういった市民側の知のプラットフォームを提供するという点で、政治参加のひとつなのかなと。投票だけでは完成しえない議会制民主主義を補完する、たくさんあるなかのひとつになるんじゃないかなと僕は思っています。

自由であり続けるために

安部さくらさん(右)、今村幸子さん(真ん中)、是恒香琳さん

安部 もう、ほとんど言われちゃった(笑)。私、社会はそう簡単に変わらないと思っているんですが、だからといって絶対変わらないことはないとも思っていて。自分が選挙に行けるようになってまだ1年目で、まだ2回しか行ったことがないけど、選挙に行くだけで社会に参加したという気持ちになれるし、自分の行動が何かを動かすかもしれないと思えたりすることは、すごく希望なんですよね。

議会制民主主義が、すべてを代弁していない、誰かに頼っているだけでは変わらないと思うようになりました。だから、自分にできることをやろうと思う。

自分の行動が何かにつながっていると思えるようになったから、それだけで私は希望が持てる。社会はそう簡単に変わらないし、変えるためには、地道で面倒くさいことをずっと続けていかなくちゃいけないわけだけど、それをやらなくなったら、もっとつまらない人生だなって私は思う。

だから、いま、SEALDsの活動をやっていて後悔もないし、もっとおもしろくなるだろう、自分でおもしろくできるだろう、って感じています。世の中の状況はすごく絶望的だけど、やめたらもっと不自由になる。自分は自由なんだと自分で思っている限り、誰も私から自由を奪えないのかな、と。そう思いながらやっています。

政治は生きている

是恒香琳さん(左)と千葉泰真さん

是恒 昨年の夏を見ていて思ったんですけど、政治って、生ものっていうか、生きている。だから、みんなで育てていかないといけないわけで。

たとえば、この候補者はきっといい働きをしてくれると思って選挙で選ぶとするじゃないですか。でも、選んでそのあと放置すれば、みんなが思っていたような政治家になってくれるかというと、そうではない。

やっぱり政治って、ああでもないこうでもないと意見を交換しながら、みんなで少しずつ育てていくものだと思うんですよね。そのへんの感覚が、あまりにも私たちにないな、と思って。

みんな、選挙で選んで終わりで、それで自分の思った通りの政治をしてくれると思っているのかもしれないけど、政治って、そんなに無機質なものじゃないから、生きものに対するのと同じように、かかわり続けていくことが大事。その一つの方法が、私はデモだと思う。いろんな関わり方があるべきだと思うんです。デモも占拠もそれ以外も、どの方法も否定するわけではない。全部が大事ってことです。

民主主義スピリットを持つ

大高優歩さん(右)と安部さくらさん

大高 民主主義は、スピリットとして、一人ひとりが持っておくべきものだなと思っています。国会議員の人にも、一人ひとり、民主主義のスピリットがあれば、きっと議会制民主主義というのはもっとうまくいくんじゃないかなと思うんですね。一対一から始まるのが民主主義なんだな、と。

そういう姿勢というか配慮というか、そういうものがあれば、議会制民主主義って、ものすごくうまくいくものだと思うんですけど。現状はそういうものがなくって、議会制民主主義の欠点が、すごくうまい感じで利用されているな、というのが、今回僕が運動を通して感じたことです。それまで、僕はあまり運動とかやったことがなかったので。

千葉 オレもない。

一同 ないないない(笑)。

大高 だから、政治とか国会とかの中身をあまり考えたことなかったんです。民主主義のスピリットは国民がそれぞれ持っておくべきものであって、きっとそれを表現する方法となると、例えば代表的にはデモというものが生まれてくるんじゃないかなと思っています。

僕自身もそれを大切にしたいし、きっとまだ世の中には、そういった考え方ではなかったりする人がたくさんいると思うので、僕らが訴えていけるのは、民主主義に対する言葉で全体主義っていうのがありますけど、全体主義的な人たちを、僕らが変えていくこととか、僕らが説得していくこととか、議論していくこととかが、僕らができることなんじゃないかなって思います。

ウェーバーのいう「働く議会」をつくる

齋藤 ドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーが、ドイツが第一次世界大戦に敗北したときに、ドイツの政治を変えなきゃいけない、そのためには「働く議会」をつくっていかねばならないといいました。

ウェーバーいわく、議会のいちばん大きな役割は、行政統制なんです。われわれ一般の市民は、質問権とか調査権とかを持っていないけれど、行政側は、官僚組織を背景に、さまざまな専門的な知識、法律で保護されるような知識を持っている。それを、完全でないにしても引き出せる力、権限が与えられているのが議会なんです。

議会のもっとも重要な役割は、立法するということよりも、行政を統制すること。さっきいったアカウンタビリティを実効化することなんですね。で。そういう面から見ても、働くべき議会が働いていない、というのはみなさん感じている通りだと思います。

ただ、議会が働いていたとしても、選挙だけが唯一、私たちの意見やイシューを形成して、代表させるチャネルではないので、いろんなルートがある。たとえば、直接デモクラシー、参加デモクラシーなどがそれです。参加のなかには、デモなどの直接行動が入るし、あと、ミニパブリックスというのもあります。

多様な意見を熟議できる場をつくる

齋藤純一さん

齋藤 ここでミニパブリックスについても少し説明しましょう。あるテーマについて、ランダムサンプリングで市民の代表を15~20人くらい選んで2日ないし4日間くらい議論するんですよ。たとえばエネルギー政策について、じっくり意見交換する空間を制度的に作っているわけですね。

もし、私たちが十分な情報を得て、熟慮とか熟議とかができる、そういうプロセスを経たとしたら、ある問題について、ある政策について、私たちはどういうふうに考えるだろう、と。議論の後にそれをまとめて提出するんですが、受け取ったほうの市長や政府などは、今度は1年以内にそれに対して答えを出さないといけないというミニパブリックスもあります。市民が熟議したうえで出したレポートに対して、アカウンタブル、つまり答責性を担うんですね。

なぜこういう制度が重要かというと、フィルタリングが生じれば、自然発生的に、多様な意見を持つ人の間で意見交換するということがなかなかできなくなってしまうからです。で、結局、せまい範囲の中だけで意見形成を行っている。しかも、大手メディアに接する人がだんだん減ってきている。そうすると、バラバラになった公共圏を媒介するようなものがだんだんなくなってくるわけです。

もし、自然発生的に多様な意見の交換が成立しにくいとすれば、制度的に新たに作りだしていこうという趣旨ですね。もちろんお金がかかるから、政府とか市長とか、あるいは議会とかがそれをしなければならないわけですが。今年6月には静岡で、移民問題について話し合うミニパブリックスが開かれます。こういう制度で、多様な意見が交わされる空間を作っていく、という方法もあります。

直接デモクラシー

元山仁士郎さん(左)、千葉泰真さん(真ん中)、是恒香琳さん

齋藤 あとは、ダイレクトデモクラシー、直接デモクラシーですね。たとえば住民投票などがこれにあたります。沖縄なんかがやっているのが直接デモクラシーです。

ちょっと古い話だけど、岐阜県の御嵩町っていうところがあって、ここに産業廃棄物の巨大な処分場をつくる計画があったんですが、木曽川にかかる渓谷があるんです。この計画を認めてしまうと、木曽川が汚染される可能性が非常に高くなってくる。

日本の水利ってとても複雑で、御嵩町の人は木曽川から水を飲んでいるわけではなくて、別の水系から水を採っているんです。だから自分たちの利害には直接関係ないんだけど、やはり木曽川が汚染されたら、下流域の人は困るということで住民投票をやる運動を立ち上げた。

女性たちが中心になって始まったんです。男性は、やはりトヨタ圏の社員だったりして、なかなかリスクがあるので動けない。だから、仲良しだった女性たちが動いて、住民投票をやることにした。

住民投票っていうのは、たんに投票するだけじゃなくて、ちょっと固い言葉だけど「学習過程」といって、今まで知らなかったことについて情報を真剣に獲得して、どの情報が正しいのか、信頼できるのか、お互いに意見を交換して学ぶわけです。そういうふうに運動と学習が並行して進む。新潟県の巻町でも、徳島県の吉野川河口堰でも、たんに住民投票するっていうだけではなくて、学習して意見交換するということが起こりました。

議会と同時並行で直接行動を組み合わせる

齋藤純一さん

齋藤 今思うのは、議会以外にもさまざま使えるルートがあって、デモはそのひとつの形態。ミニパブリックスも、場合によっては住民投票も使う。それ以外にも、いろんな形態があります。そして、議会がかりにうまく働いていたとしても、議会だけでは、代表というのは十全ではないわけですよね。

議員というのは、民主的な多様性に対して敏感かというと、選択的にしか反応しないわけですから。そもそも議会には、うまくいったとしても限界があるわけだから、同時並行的に、ほかの直接行動をうまく組み合わせて、議会に働きかけていく。オーソドックスだけど、そういうことが必要だと思うんです。

あともう一つは、市民には政府のアウトプットを評価する役割と、インプット、つまり自分たちがアジェンダを設定していくという役割があります。今回の安保法制については、SEALDsの動きはどちらだったでしょうか。

「著者」と「編集者」の役割を同時に担う

齋藤 政治理論家のなかには、市民にあまり多くを期待してはいけないという人もいます。インプットのほうでは、author(著者)。いわば、法か政策の作り手です。自分たちでアジェンダを設定して、間接的な立法者として行動する。議会で取り上げられるべき議題を、自分たちの側から設定して、それについて審議されて、法がつくられていく。

一方、アウトプットに関しては政府や行政が行う活動に対して、批判的に、編集者としてまともな活動になっているかをチェックして、場合によってはカウンターで、ダメ出しをしていくという役割。このアウトプットの方だけでいいという理論家もいますが、それだけでいいか?

実際に、たとえば環境問題とか、いまではあたり前になった持続可能な社会とか、あれはべつに政府側がアジェンダを設定したわけではなくて、市民側がアジェンダを設定してきた。それが定着して、今ではどこの政府も持続可能な社会という言葉を使うようになっている。

そういうふうに歴史を振り返ってみると、市民の側がオーサーシップ(authorship)を発揮して、政策課題を提起してきた。市民の活動は、さっきのシンクタンクの話もそうだけど、何が問題なのか、ということを同時に考えていかないと後手後手になってしまいます。

ダメ出しをしていくというのは重要なんだけど、後手にまわっていくので、ラフな仕方でもいいので、自分たちで政策課題を提起していって、「これについて考えよう」、「この問題について議論すべきだ」と、そういう問題提起を具体的にしていく側面が同時に必要ですね。

松本 ここでひとまず終わりとしましょう。長時間ありがとうございました。

(撮影:吉永考宏)

◇出席者の略歴一覧

◆SEALDs

千葉泰真(ちば・やすまさ)

1991年生まれ。宮城県出身。明治学院大学卒業後、現在明治大学大学院博士前期課程に在籍。奥田愛基に誘われSASPLに参加。以来、SEALDsの中心メンバーとして活動。

元山仁士郎(もとやま・じんしろう)

1991年生まれ。沖縄県出身。国際基督教大学教養学部4年生。立憲主義と日米地位協定について学んでいる。SEALDsやSEALDs RYUKYUの中心メンバーとして活動。

今村幸子(いまむら・さちこ)

1993年生まれ。日本大学文芸学科3年。現代詩や小説の創作を専攻。SEALDsではサロンの企画、広報、『SEALDs 民主主義ってこれだ!』本の作成、選書などをしている。

是恒香琳(これつね・かりん)

1991年生まれ。日本女子大学文学研究科史学専攻修士二年。1991年生まれ。東京都出身。6月からSEALDsに参加。デモ班、メール対応、SEALDs選書プロジェクトなどに所属。

安部さくら(あべ・さくら)

1994年生まれ。東京都出身。明治学院大学国際学部3年。SEALDsでは出版班、写真班、広報班、サロン班に所属。

大高優歩(おおたか・ゆうほ)

1994年生まれ。千葉県出身。専門学校3年。SEALDsでは、コール、デモ等に使う機材の管理、運搬、交通整理、車輌の運転を担当。

山本雅昭(やまもと・まさあき)

1989年生まれ。東京都出身。獨協大学卒。SEALDsの前身、SASPLで、全体の統括、デモ現場の責任者などを担当。

◆齋藤純一(さいとう・じゅんいち)/早稲田大学政経学部教授(政治理論・政治思想史専攻)

1958年生まれ。早稲田大学政経学部卒。横浜国立大学経済学部教授を経て現職。著書に『自由』、『公共性』、『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(岩波書店)、編著に『親密圏のポリティクス』(ナカニシヤ出版)、訳書(共訳)にハンナ・アーレント『過去と未来の間』(みすず書房)、『アーレント政治思想集成』全2冊(みすず書房)など。

◆松本一弥(まつもと・かずや)/朝日新聞WEBRONZA編集長

1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。月刊「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長などを経て現職。満州事変以降のメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に検証したプロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務めた。著書に『55人が語るイラク戦争―9・11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)

2016-02-23-1456217138-8420084-logo.pngWEBRONZAは、特定の立場やイデオロギーにもたれかかった声高な論調を排し、落ち着いてじっくり考える人々のための「開かれた広場」でありたいと願っています。

ネットメディアならではの「瞬発力」を活かしつつ、政治や国際情勢、経済、社会、文化、スポーツ、エンタメまでを幅広く扱いながら、それぞれのジャンルで奥行きと深みのある論考を集めた「論の饗宴」を目指します。

また、記者クラブ発のニュースに依拠せず、現場の意見や地域に暮らす人々の声に積極的に耳を傾ける「シビック・ジャーナリズム」の一翼を担いたいとも考えています。

歴史家のE・H・カーは「歴史は現在と過去との対話」であるといいました。報道はともすれば日々新たな事象に目を奪われがちですが、ジャーナリズムのもう一つの仕事は「歴史との絶えざる対話」です。そのことを戦後71年目の今、改めて強く意識したいと思います。

過去の歴史から貴重な教訓を学びつつ、「多様な言論」を実践する取り組みを通して「過去・現在・未来を照らす言論サイト」になることに挑戦するとともに、ジャーナリズムの新たなあり方を模索していきます。

注目記事