3.11 その朝、別れは突然に...

この世から一瞬にして、すべての音と色、匂いや温度さえもが消え去ってしまったようで、今が昼なのか夜なのかすらよくわからなくなっています。

東日本大震災から丸5年という日の明け方、愛犬タンタンが息を引きとりました。

享年13歳でした。

「何気ない日常とは、実は"ありふれた奇跡"の連続です。だから何事にも感謝して、毎日を精一杯生きて行きましょう。」

そう前日の卒業式に、子どもたちの前で話した矢先の突然の別れでした。

いまだ17万4千人の方々が避難を余儀無くされ、犠牲になられた方は震災関連死も合わせると2万1千人を超えるという中、飼犬如きの話で誠に申し訳ありません。

ただ、子どものいない私にとってタンタンは、我が子同様にかけがえのない、誰より大切な自慢の息子でありました。

最近は高齢と天候不順のせいか、体調が思わしくない日も多かったのですが、容体が急変する30分前までは、元気にお散歩に行きモリモリと食べ、満腹になるとお気に入りのぬいぐるみを枕にグッスリと眠っていたので、その後の出来事が今も夢のようです。

この世から一瞬にして、すべての音と色、匂いや温度さえもが消え去ってしまったようで、今が昼なのか夜なのかすらよくわからなくなっています。

ただ、いつも颯爽としていたタンタンらしく、横になっているその姿は毛並みもつややかで生前と何一つ変わりなく、今にも目を覚まして、寝ぼけ眼でシッポを振りながらベッドから飛び出して来そうです。

美しいものと美味しいもの、そしてキレイで優しい(できれば若い)お姉さんが大好きだったタンタン。

彼無しでのこれからの暮らしは想像もつきませんが、タンタンをガッカリさせないよう、せいぜい身綺麗にして、声や事を荒げず荒立てず日々を過ごせるよう、自らを戒めながら生きて行ければと思います。

タンタンが亡くなったその日の昼、小鳥たちの声が妙に騒々しいのでバルコニーに目をやると、フェンス一杯に数え切れないほどの雀たちが並んでいました。

毎朝、神棚から降ろしたお米を蒔いているのですが、こんな時間に雀たちが来ることはありませんし、こちらが窓際まで近づいてもすぐ後ろの木に飛び移るだけでまったく逃げようとしません。

「きっとお別れに来てくれたんだね。」

夫と顔を見合わせながら、雀たちの思わぬ弔問に心が温かくなりました。

亡くなるその日、タンタンは久々に以前のような元気を取り戻し、グングン歩き、パクパク食べて、本当に美味しかったと絨毯に顔をスリスリ擦りつけながら、夕食の余韻に浸っていました。

きっと自分の最期がその日であることを、悟っていたのだと思います。

動物には人智では計り知れない、大自然の能力が備わっているものです。

と言うより、言葉や科学技術などと引き換えに、人間だけがそうした能力を失ってしまったのかもしれません。

もっとこうしてあげれば良かった、ああしてあげていれば良かったと、悔いることは尽きませんが、全ては「天命」だったのだと思います。

生前にご厚情を賜りました数多くの皆様には、あらためまして心から御礼申し上げます。

夢のように幸せなタンタンとの13年を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

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