教育に与えられた使命とは ― 卒業生の成人式に思う

成人式を明日に控えた昼下がり、おととし高校を終えた卒業生たちが「作新学院」を訪ねてくれました。

成人式を明日に控えた昼下がり、おととし高校を終えた卒業生たちが「作新学院」を訪ねてくれました。

全員が元野球部のため、私の頭の中には毬栗(いがぐり)頭に詰襟姿でしか記憶されていない生徒たちがビシッとスーツ姿で勢ぞろいすると、少し見ない間に立派になって...という感慨と、一抹の寂しさがない交ぜになって、どこかこそばゆいような気恥しいような不思議な気持ちになります。

卒業生の進路は様々で、多くは東京をはじめ各地の大学に進学し学生ですが、就職し既に社会人という子もいれば、大学に籍を置きながら営業マンとしてノルマを背負いがんばっているという子もいます。

中でも感慨ひとしおだったのが、地元で警察官になったH君。彼は高校3年間、各学年を受け持った3人の担任教諭からいずれも「警察官になれ」と太鼓判を押されたとのこと。確かにマッチョで威風堂々、泰然自若としながらも人情味のあるその風貌は、頼りがいのある警察官そのものです。

それにしても、ついこの間まで大人に守られる側だった生徒が、いまや警察官として私たち市民を立派に守ってくれているとは。あらためて学校教育とは何か、その課せられた「使命」とは何かを、教えてもらった気がしました。

教育に課せられた使命。それを端的に表しているのが、次に掲げる『中庸』(中国の重要な古典である四書五経の一つ)の一節ではないかと、私は思っています。

天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教

[天の命ずるをこれ性と謂い、性に率(したがう)をこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。]

自分なりの解釈ですが、おおよそ次のような意味だと理解しています。

この世のありとあらゆる存在には、天から与えられた「命」、すなわち果たすべき役割や使命がある。

そして、それぞれに与えられた「命」によって、それぞれの存在には「性」が備わっている。各自の性質や性格、個性や能力といったものでしょうか。

備わった「性」に率(したが)って進むと、それは「道」となる。ただ人間はとかく不完全な生き物なので、「道」からはずれないように心や行動を修めなければいけない。

これが「教」である。

この一節に照らして考えると、学校が天から賦与された使命とは、子どもたちひとり一人が天から与えられた「命(使命)」により備わっている「性(個性や能力)」をできるだけ活かし伸ばして、その子たちなりの人生という「道」を正しく歩んでいけるよう、「教」え導くこととなります。

しかし現実に目を移すと、学校の評価が卒業生たちの歩んだ人生の豊かさや、それぞれの人生が社会にもたらした貢献の度合いによって為されることは、そう多くありません。なぜなら、人生の豊かさや社会への貢献度などは"数値化"できないからです。

学校経営に理事長として携わり日々痛感し苦悩するのは、学校を評価する指標が数値化できるもの、なかでも学力偏差値(大学合格ランキングを含む)にあまりにも偏重しているという事実です。いずれの学校でも、偏差値の高低が翌年度の入学者数に直結し、学校存続の命運を握る鍵となります。

「作新学院」の一の沢キャンパスには、現在、幼稚園から高校まで約5,000名の子どもたちが在籍しています。その中には、超難関大学に合格する生徒もいれば、オリンピックを筆頭にスポーツで高い成績を上げる生徒たちも多数います。

けれど、ほとんどの子どもたちは在籍中、人前で表彰されることも、世間から脚光をあびることもなく、ごく普通に学校生活を終えます。

そしてやはりほとんどの卒業生たちは、表彰されることも脚光を浴びることもなく、その人生を終えることになります。

私たちが生きる世の中は、こうした普通の子どもたちが普通の大人になって、毎日の生活や社会を誠実に着実に営んで行くことにより支えられています。

日本の強さや魅力の源は、元来、こうした普通の人々の識字率やモラルの高さ、感性の鋭さや他者を思う心の豊かさによって維持されてきたのだと思います。

一人ひとりの子どもたち全員に等しく与えられている大切な「命」を、それぞれがしっかり果たしていける大人へと成長させるために、学校「教」育はいかにあるべきか。

学校教育のあるべき姿は、人間のあるべき像や社会のあるべきビジョンというゴールが定まってこそ見えて来るものであり、描けるものだと思います。激動し混迷する時代だからこそ、そうした本質に立ち帰った面倒くさい議論を深めることが大切で、また実は一番の近道ではないでしょうか。

今、あらためて創立130周年を迎えさせていただいた本学院は、本当に幸せ者だと思います。

どんな時代にも愚直に、「命」を果たせる人材を育てることだけに専念し、今日まで学校としての「命」を繋いでくることができたからです。

現在、少子化や社会の流動化など教育現場に課せられている試練は決して少なくはありません。それでもこれまでの130年を支えて下ったすべての方々に心から感謝しつつ、重ねてきた時の重みを"縁(よすが)"として、天からの「命」を忠実に果たせる学院でいられますよう一歩ずつ、これからも歩みを続けて行きたいと思います。

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