金メダリスト萩野選手 凱旋帰校 ~秘蔵作文に見る勝利の法則

「今までは、挑戦される身だったかもしれないけど、これからは挑戦し続けて必ず勝ちます。挑戦する心。これが今回の負けで得た一番大切なものだと思っています」

11月10日、今夏のリオ五輪で金・銀・銅3つのメダルを獲得した萩野公介選手が、中学・高校と6年間を過ごした作新学院に凱旋帰校してくれました。

当日は、6000名を超える人々に迎えられた小山市でのパレードなど朝からハードな日程をこなしてから母校に到着した萩野選手。彼を出迎えるように現れた夕焼けの美しさは、神がかったものがありました。

沈みゆく夕陽は黄金に輝き大空をゴールドからパープルへのグラデーションに染め上げ、日光連山もその姿をくっきりと刻んでバラ色からパープルへと染まっていました。金メダリスト萩野公介の来訪を天が祝福しているかのような、文字通り「神々の黄昏」でした。

まずは、3種のメダルとともに歴代院長、甲子園優勝旗・優勝盾と記念撮影。今夏の目標に掲げ達成させて頂いた「リオで金、甲子園でも金」をあらためて実感した瞬間でした。

五輪史上最も重いと言われる今回のメダル。一個が500グラムで一つかけるだけでもかなりずっしりした重量感があるのですが、それを3つかけるとなると結構アスリートでも首や肩にくるそうです。

手に取らせてもらうと、確かに4年前、萩野選手が高校3年生のロンドン五輪で獲得したメダルを学院で見せてもらった時より、一回り大きく厚く何より重く感じました。

表面には、勝利を告げる女神ニケのデザイン。これは毎年変わりませんが、

裏面のデザインは、大会毎に変わります。今回のリオ五輪はシンプルで伸びやかな感じですね。

どのオリンピックメダルもそうですが、競技種目はメダルの縁に刻印されています。

メダルは基本的に銀でできており、金や銅メダルはそれにメッキをすることでできています。3つのメダルをかける時は、まず銅メダルをかけ、次に銀メダル、最後に金メダルとかけて行きます。銀メダルはほとんど傷つかないのですが、銅メダルの表や金メダルの裏はどうしても他のメダルと擦れ合って傷ついてしまうんです...と萩野選手がつぶやいていましたが、最高に贅沢な悩みですね。

メダルをかけていなくても王者の風格とオーラに圧倒される萩野選手ですが、そんな彼も学院の話となると途端に表情が和らぎます。自身が表紙になっている学院広報誌『作新の風』を見て、この笑顔。

さらに中等部時代、萩野選手が中学二年生の立志式に書いた作文を見せると、はにかみながらも真剣に目を通し

中学時代の自分をいとおしむような温かい笑顔を見せてくれました。

この作文、水泳を始めてからずっと日本記録を塗り替えてきた萩野少年が生まれて初めて他の選手に負けた時の心情や思考を、きわめて客観的にしかもスポーツライターのような名文で綴っています。

萩野君を負かした同い年の選手とは、そう、あの瀬戸大也選手。自身初の敗北を経験した萩野選手は何を感じ、何を考え、何を学び、どういう行動をとったのか。本人の許可のもとにこの作文「挑戦、努力」の全文を学院のHPに掲載していますので

是非ご一読ください。

人生初の敗北に打ちのめされた萩野少年は、初めて一週間まったく泳がない日を過ごします。しかし練習を再開すると同時に、彼はそれまでベストと信じてきたフォームの改善に取り組むのです。中学二年生の萩野選手は、文中でこう述べています。

「今までは、挑戦される身だったかもしれないけど、これからは挑戦し続けて必ず勝ちます。挑戦する心。これが今回の負けで得た一番大切なものだと思っています。」

その誓い通り、彼は挑戦し続け、努力し続けて、世界最高のスイマーまで成長しました。スポーツ選手というとどうしてもその超人的な体力や技術力が着目されがちですが、実際には萩野選手のようにきわめて高い知性や精神力、克己心や向上心が必要であることをあらためて教えられ、教育の大切さを再認識させてもらうことができました。

凱旋報告会では、放課後にもかかわらず数多くの生徒が学院に残り、偉大な先輩を溢れかえる熱気で歓迎しました。

せっかくの機会なので、全国優勝を果たした硬式野球部と記念の一枚をお願いすると、みんなこの弾け方、青春って感じですね。

野球部の山本拳輝主将やエースの今井達也選手など、萩野先輩から「テレビで見てましたよー」と声をかけられ本当に嬉しそうでした。

萩野選手はこの後、自身が学んだ英進部と中等部、そして水泳部生が待つ室内プールまで訪れてくれ、日が暮れても待ち続けていた後輩たちに直接語りかけてくれました。

131年に亘り受け継がれてきた作新学院の「人間力」という遺伝子が、今日この日、また先輩から後輩へ確実に伝承されていくことを実感した有り難い一日でした。

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