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現代社会が「アノミー」から脱するために ~アクセルを緩め、徹底議論する勇気を

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遂に世界が、"メルトダウン"を起こし始めた―そう認識せざるを得ない事件が、今週も相次ぎました。

7月14日の革命記念日(パリ祭)に沸く、フランス・ニースで引き起こされたテロ事件。

花火大会で世界中から訪れていた観光客が埋め尽くす遊歩道に、大型トラックが突っ込み約2㎞走行後、銃を乱射。多くの子どもたちを含む少なくとも84名が死亡、202名が負傷、うち52名が重体と報じられました。

容疑者は、ニース在住のチュニジア国籍の男で、暴行や窃盗などによる犯罪歴があったものの、フランス当局はテロ組織との関連を把握していませんでした。犯行後、IS(イスラム国)から犯行声明が出されましたが、今回の犯行で最初に犠牲となった方はイスラム教徒だったそうです。

テロ組織と直接に接触せず、ネットによって洗脳された現地在住の犯人が、銃器や火薬ではなく"車"を凶器として、これだけ甚大な被害を及ぼすことができるのであれば、テロの未然防止はきわめて困難であることを世界に印象づけた事件でした。今後、東京オリンピック開催に向け日本政府の取り組みが焦点となりますが、こうしたことをきっかけに、パソコンや携帯電話の通信内容までもが検閲の対象とするような、人権規制に向けた動きが進行する可能性もあります。早急に国民的議論を深める必要があるでしょう。

ニースのテロの翌日、7月15日にはトルコで軍の一部勢力によるクーデターが発生。翌日には鎮圧されクーデターは未遂に終わったものの、死者は290名以上、負傷者は1400名に上りました。

エルドアン大統領は反乱勢力への制圧を拡大し、軍関係者約3000名を拘束するとともに、検察当局者や判事など司法関係者をも3000名近く拘束。この背景には、自身と対立する勢力をこの機に一掃してしまおうという大統領の意図があると言われていますが、欧州各国ではトルコに対し法の支配や民主的権利を尊重するよう求める声が相次いでいます。

またエルドアン大統領は、かつて自身の不正を糾弾したアメリカ在住のイスラム教指導者ギュレン師を、その支持者がクーデターを企てたとして、送還するよう米国に求めています。一方、ギュレン師は声明でクーデターを非難し、自身の関与を否定しています。

トルコでのクーデターのニュースとクロスして飛び込んできたのが、アメリカ・ルイジアナ州バトンルージュでの警察官射殺事件です。

7月17日、警察官が銃撃され3名が死亡、3名が負傷。現場で射殺された容疑者は黒人で、犠牲となった警察官は白人でした。バトンルージュでは7月5日に黒人男性が白人警官二人に取り押さえられて射殺され、こうした警察の対応に対し市民が大規模な抗議行動を続けています。

5日に続き翌6日にはミネソタ州セントポールでも、警官が黒人を射殺する事件が起き、さらに7日には一連の黒人射殺事件に対する抗議行動の最中に、白人警察官5名が黒人の容疑者に狙撃され死亡しました。

わずか二週間の間に、人種問題をめぐり警官と市民が相次いで銃により犠牲になるという負の連鎖が、アメリカでは連続しています。

そのアメリカで、警察官射殺事件の翌日7月18日に行われたのが、ドナルド・トランプ氏を正式に大統領候補として指名するための共和党大会です。

通常この党大会には、共和党の大物政治家が多数出席し指名候補を讃える演説を行いますが、今回はブッシュ元大統領をはじめ歴代の大統領や大統領候補が相次いで欠席の意向を表明しました。

大会冒頭では、トランプ氏の指名を阻止しようとする代議員たちが投票ルールの変更を求めるなど一時議事が中断、会場が騒然とする場面がありました。結局、反トランプ派の要請は受け入れられず、最終的にはトランプ氏が主張する「メキシコ国境での壁の建設」をはじめとした政策が採択され、党の綱領に盛り込まれることとなりました。

しかし、会場の外では反トランプ氏のデモが日増しに激しくなるなど、共和党内の亀裂の深さが改めて浮き彫りとなっています。

こうした一連の事件や出来事の底流には、先日の英国によるEU離脱や世界各国でのポピュリズムの台頭・席巻といった社会状況と同様、論理性を欠いた、感情的で不寛容で暴力的なうねりが横たわっているように思われます。

こうした現象は一種の「アノミー」ではないか、最近、私はそう考え初めています。

アノミーとは、それまでの社会規範が失われ、社会が乱れて無統制になった状態、またそこから転じて、高度に技術化・都市化した社会で、親密さが欠けることによって起こる疎外感を意味します。

元々は、「神法の無視」を意味するギリシア語のanomiaが語源ですが、フランスの社会学者デュルケームが、近代に移行する過程で、それまでの人間の行為を規制してきた伝統的価値や、社会的基準の喪失にしたがって社会の秩序が崩壊したことを論じるために用い、現代語として復活しました。(by:ブリタニカ国際大百科・小項目辞典)

法律や組織など制度変更すら追い付かぬまま加速を続け、風土や歴史と密接に連関し営まれてきた人々の暮らしや価値観を、ともするとなぎ倒しながら進展し続けるグローバル化。

革命と言うよりは、"爆発"とでも表現すべき衝撃を全世界にもたらし、とどまることを知らないICTによる高度情報化。

そして、数々の利便性や物質的豊かさと引き換えに進む地球環境の様々な変化。

今後は人工知能(AI)やバイオ技術も、世の中のあり方や人間存在そのものまでをも根本から変えていくことでしょう。

大自然の摂理とも言えるまさしく「神法」を無視したかのような、こうした激烈な変化が、個々人や社会の精神状態やバランスに異常をもたらさぬ訳がない、そう思えてならないのです。

あまりにも急速過ぎる変化に、"生き物"としての人類は追いついていない―その事実を、そろそろ私たち現代人は、謙虚に認めなければならないのではないでしょうか。

ハンドリングが明らかに危うくなっているのに、そのことには思いを致さぬまま、とにかく成長率を上げなければと闇雲にアクセルを踏み込むのは明らかな自殺行為です。

進歩をやめろというのではありません。

グローバル化や情報化の進展に、反対しているのでもありません。

ただ、一旦少し進歩のスピードを緩めて(なんなら一度、車を路肩に寄せて)、もっと安全にもっと皆が幸せになれるようなドライビングの方法を、人類の英知を結集して本気で"議論"してみる時が来ているのではと思うだけです。

クラッシュ必至の進歩を取るか、人類の進歩をストップさせるのか―そんな単純すぎる二者択一論からいい加減に脱しない限り、人間社会という暴走車は早晩、死の淵に突っ込んでしまう気がしてならないのです。