ジャイキリ、スラダンを超える。

漫画話をするとき、30代半ばにもなると、自分を含む周囲との話の中で「スラムダンク」出現率がとても高い。僕も大好きな漫画(藤真が好きです)ではあるわけですが、そこにあるのは試合に勝ちたいという強い、強い気持ちが、人間関係を超えることであり、山王戦の桜木から流川へのパス、流川から桜木へのパスがその象徴です。

僕は漫画が比較的好きな方だと思うのですが、マガジン以外の週刊誌は読まないため、単行本=読んでる漫画なわけです。

漫画話をするとき、30代半ばにもなると、自分を含む周囲との話の中で「スラムダンク」出現率がとても高い。僕も大好きな漫画(藤真が好きです)ではあるわけですが、そこにあるのは試合に勝ちたいという強い、強い気持ちが、人間関係を超えることであり、山王戦の桜木から流川へのパス、流川から桜木へのパスがその象徴です。

比較的球技は得意(というか陸上全般が苦手)ななかでも、バスケットボールは苦手な球技ですが、それでもなお、バスケっていいなぁと思うのはスラダンのおかげといっても過言ではありません。(DEAR BOYS、あひるの空、ダッシュ勝平などもだけど)

日常生活どころか、試合中であっても、仲の悪い二人が勝利のために出したパスに感動したわけです。そして、怪我をしていた桜木は、バスケを続けられるかどうかの場面であっても、将来ではなく、目の前の勝利のためにプレーをする。結果、長い治療(リハビリ)のシーンで漫画は幕を閉じます。

もし無人島にひとつだけ漫画を持っていけるならというどうでもよい質問をもらったときに、スラムダンクかパイナップルアーミーか迷うほど、僕にとっては大切な漫画です。

しかし、思春期から今に至るまで、最も影響を受けた漫画であるスラダンを超えたのが、ジャイキリ(GIANT KILLING)です。サッカー漫画ですが、日本代表まで上り詰め、海外移籍をしたタッツミー(達海猛)が、監督として活躍します。ジャイアントキリングというタイトルの通り、戦略やかけひき、選手やチームを支える人間・サポーターなどを巻き込みながら、強いチームを倒していきます。

正直、サッカー漫画というより、サッカー漫画を表現手段としたマネジメント本です。サッカーに興味があろうがなかろうが、読む価値が高い漫画でしょう。

ジャイキリの最新刊(30巻)を読んだとき、あっ、スラダンを超えたな、と感じたわけです。ネタバレは回避しなければならないので細かく書くわけにはいかないのですが、スラダンは、バスケができなくなってしまう可能性があっても、その試合への勝利を優先(結果勝利)し、大きな代償としての治療で幕を閉じます。しかし、そこには小さな可能性かもしれないけれど、大好きなバスケットボールがまだできるかもしれない、という希望を残しています。

しかし、ジャイキリの達海が現役復帰の可能性を賭けて起こしたアクションは、結果として、彼が本当の意味でプロサッカー選手の終焉を決定づけることになります。ボールを蹴ることを職業にすることへの可能性が完全に閉ざされる、自ら閉ざした出来事になったわけです。

監督として海外、国内で高い評価を得ながらも、大好きなサッカー選手として生きていく可能性を閉じる、プロサッカー選手としての死を受け入れなければならなくなったとき、達海が言った言葉。それは前に進む(バスケットボールを続ける)ことのできる可能性がある状態で発せられるスラダンの数々のキャラクターの素晴らしい言葉とは本質的に異なるわけです。

そこに描かれるストーリーと紡がれる言葉。まだ漫画は続きますが、僕の中でジャイキリはスラダンを越えました。サッカー漫画を表現手段にしたマネジメント本であると書きましたが、ひとつの死生観を問うているものとして、これからも大切に読んでいきます。

小学館ビルのロビーに描かれた「落書き」

小学館ビルの「落書き」写真集

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