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「夫婦同姓強制は合憲」判決はなぜ「鈍感」か?

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12月16日に最高裁が「夫婦同姓は合憲」との判決を出した。1980年代の後半に夫婦別姓選択制を求める声が高まってから約25年。「今度こそ民法改正につながるのでは」という期待が大きかっただけに、「合憲」判決には失望を覚えた人も多かったはずだ。この問題が顕在化した当時から取材してきた私から見れば今回の司法判断は7つの意味で「歴史的な鈍感判決」と言わざるを得ない。その理由を以下に述べたい。

1) 「国会がダメだから司法判断を求めた」のに、また「国会で論議しろ」という鈍感さ

判決では「別姓を選択できる制度の是非は国会で議論し、判断すべき」と述べているが、これはあまりに状況を理解しておらず、司法の責任を放棄したというべきである。法制審議会が1996年に選択的夫婦別姓制度の導入を含む民法改正を答申しているが、実際には法案提出も行われないまま20年近く放置されている。今回司法判断を求めたのは「国会があてにならない司法判断で民法改正につなげたい」ということなのに、また「国会で論議せよ」とはいったいどういう感覚なのだろうか?

2) 多様性の尊重、少数者の利益尊重ということに対しての鈍感さ

世論調査などを見ても夫婦別姓を望む人は(調査によって対象の違いはあるが)およそ3割から4割程度である。割合から見れば確かに少数派だが、だからといってこれは決して無視できるような数ではない。これだけの人が別姓選択制を望んでいるのに、それを理解できないことの異様さ。さらには多様性の尊重、少数者の利益の尊重に対する鈍感さには驚くばかりである。

3) 間接差別に対する鈍感さ

判決では「夫婦同姓を定める民法七五〇条では、夫婦の協議に委ねられ形式的には男女の不平等はない」としているが、これは25年前の夫婦別姓選択制に関心が高まった頃の反対意見と何ら変わっていない。最高裁の時計は止まっていたのかと言いたくなる。実際には「夫婦の協議」が平等になど行われていないのは96%の女性が改姓していることからも容易に推測できるのではないか。「合憲」裁判官の辞書にはどうやら「間接差別」という文字はないらしい。

4) 「同姓が定着している」というが、「別姓も定着している」という事実に対する鈍感さ

判決は「夫婦同姓は社会に定着している」と述べているが、過去25年の間に夫婦別姓も「社会に定着」している。事実婚、通称使用とスタイルはさまざまだが、自分の望む姓で人生を送っている人たちは着実に増えている。だからこそ「法律を現実に即したものにして欲しい」という希望を持つのは当然ではないか。それに対して理解を示さないこの判決は明らかに現状の理解に乏しいというべきだろう。

5) 「別姓をしたければ通称使用で対処すればいい」という鈍感さ

通称使用は現在多くの人が妥協的選択として選んでいる方法だが、実際には使い分けで苦労することが多い。公的な身分証明書は基本的に戸籍名になるし、それに伴いどんどん戸籍名に浸食されていく。通称使用のできる企業が増えたとはいってもまだ6割程度。残りの4割近くの企業ではいまだに不可能なのだ。そもそも、最高裁でも通称使用は認めていないではないか。

今回「違憲」判断をした5人の裁判官の1人である櫻井龍子裁判官は、元厚生労働省の藤井龍子女性局長である。最高裁裁判官に就任するにあたり、それまで使い続けてきた実績のある名前を使えず、戸籍名を強制された人が目の前にいるのに、どうして「通称使用で対応すればいい」と言えてしまうのだろうか?

6) 「夫婦同姓の強制は国際的にみても異様である」ということに対しての鈍感さ

1985年に日本が批准した女性差別撤廃条約では、「夫および妻の同一の個人的権利」を確保するように締結国に求めている。「同一の個人的権利」にはもちろん「姓」の選択も含まれており、批准から30年経ってもまだ夫婦同姓を強制している日本の異様さは国際的にも非難の対象となる。自分の使いたい名前が使えない社会のどこが「女性の活躍する社会」なのだろうか?

7) 夫婦別姓選択制を進めないことで少子化が一層加速する可能性に対しての鈍感さ

少子化対策をまじめに考えるのなら、結婚のハードルはできるだけ低くすべきである。しかし、今回の「合憲」判決で夫婦同姓の強制が今後も続くとしたら、ハードルはますます高くなるばかりだ。これでは、若い世代が結婚に対して一層消極的になる可能性も考えられる。判決が出てからの1週間で、私は20代から30代の男女30人に結婚に対する意識を尋ねてみたが、多くが「多様性を認めない結婚のあり方は窮屈」「(同姓を強制されない)国際結婚を真剣に考え始めた」「社会が期待する結婚の枠に押し込められるのは苦痛」などといった反応だった。

日本では法律婚をしないで出産することに対しての抵抗感は非常に強い。しかし、法律婚をしたら同姓を強制される→それぞれの姓を名乗りたいので法律婚はしないで事実婚にする→事実婚での出産育児の大変さを考えて子どもは持たないという選択をするカップルも増えるのではないか。しかし、これらも夫婦別姓選択制が実現すれば一挙に解決できることである。

11月4日の口頭弁論で、原告側が「夫婦別姓の選択制を実現するのに、どうして反対派の理解を求める必要があるのか? 選択制が実現したとしても、反対派には何も不利益はない」という趣旨を述べていたが、まさにその通りである。今回の司法判断は「国会での議論が必要であり、夫婦別姓を否定するものではない」とはいうものの、反対派の「理解」はおそらく永遠に得られることなどないだろう。

なぜなら、反対派はまだ生まれてもいない「子ども」についてまで言及し、「親のどちらかと姓が異なる子どもがいたらその子に不利益が生じる」などとマジメに論じているのである。夫婦別姓を敢えて選択するカップルであれば、子どもの姓も夫婦間で十分協議できるはずだ。こんな取り越し苦労をする前に、今、目の前で自分の名乗りたい姓を名乗れず苦しんでいる人たちの痛みをまず理解すべきではないか。

現在のように有無を言わさず男性側の姓に改姓することを前提とした結婚のあり方は、多くの女性の犠牲の上に成り立っている「かりそめの秩序」にすぎないのだ。また、「世の中には望んで結婚改姓をする人もいる」という声もよく聞くが、それだからといって「結婚改姓を強制されたくない」という人の利益が侵害されてよいわけではない。

今回の最高裁の「合憲」判決は、ぶっちゃけた表現をすれば改姓の問題は、多数派の裁判官にとっては「しょせんは他人ごと」にすぎないからではないかと思う。だからこそ形式的な判断に終始し、原告の苦痛に対しては思いやることもなかったのだろう。

「合憲」と判断した裁判官たちは、現実の制度から生じる痛みを悲痛に訴えている原告に対して「痛みを感じるのはあなたが痛いと感じる感覚があるからだ。その感覚をなくしてしまえば、痛みは感じない。現にこの制度でも何ら問題ないと言っている人もいるのだからおかしいのはあなたの方だ」と言っているに等しい。「夫婦同姓規定は必ずしも女性が改姓するとは限らないので法的に中立的」というのであれば、この際「男性の結婚改姓率50パーセント」を目指す数値目標を定めてはどうかとでも言いたくなる。

まあ、これはほとんど冗談に近いレベルの話ではあるが、もし、法律婚する半数の男性が改姓の不便さ、自己喪失感、手続きの煩雑さなどを経験したら、夫婦別姓選択制に対する認識は全く変わってくるだろう。

ともあれ、今回の判決は非常に残念ではあるが、失望するのは早計だと思う。何よりも5人の裁判官が「違憲」と判断していたことは忘れてはならない。櫻井龍子、岡部喜代子、山浦善樹、鬼丸かおる、木内道祥、この5人の裁判官の名前をしっかり覚えておこう。塚本協子さんをはじめとする原告団、そして直接裁判には関わってはいないものの別姓選択制を望むすべての人が、この判決に対していつの日か「あんな判決もあったんだね」と振り返る日がやってくることを信じたい。

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