iPS細胞の山中教授と、スティーブ・ジョブズの共通点は?

山中教授のお父さんも、町工場のおやっさんだったんですね。そういう「ものづくり的な現場感」は、あらゆる権威をぶっ飛ばして「物自体」の実際感をちゃんと見る力を与えてくれるように思います。

いきなりですが質問です。

スティーブ・ジョブズの父親は、どういう人物だったのか?

ご存知でしょうか?

(細かいことを言うようですが彼は生まれた直後に養子に出されているので、ここで言うのは"育ての親"のポール・ジョブズさんの方です)

えっと、確か大学行ったことない人で、でも実直な感じの人で、結構スティーブ・ジョブズはその養父のことが好きだったんだよな・・・でもあんまり印象無いなあ・・・

というあたりが、「俺はマックファンだし、スティーブ・ジョブズについちゃ結構知ってるぜ」というあなたでも普通の感覚ではなかろうかと思います。

稀代のアントレプレナーでプレゼンの天才、そして周囲には時に無茶苦茶な暴君になる大変人、あの故・スティーブ・ジョブズの破天荒なストーリーの中に、脇役も脇役として出てきた、

「ん?ああ、いたね、そういう人」

って感じの人がポール・ジョブズさん・・・だと私も思っていたんですが、最近遅ればせながらスティーブ・ジョブズの伝記(生前の本人が全面的に協力してウォルター・アイザックソンという人によって書かれた本→上巻下巻)を読んで、ポールさんのスティーブ・ジョブズへのあまりの影響力の大きさに驚愕しました。

「ああ、いたね、そういう人」どころか、スティーブ・ジョブズをスティーブ・ジョブズたらしめた人を世界から10人、いや5人だけ選ぶとしても、必ずポールさんは外せないってぐらいじゃないか・・・・ってぐらいの印象だったんですよ!

(もちろんその「伝記」がどこまで真実を捉えているかはわかりませんが、ただ読んでいて驚くほど凄く出来がいい本だと感じるので、やはりかなり印象として正しいのではないかと私は思っています。)

スティーブ・ジョブズを彼らしくした要素の中には、

A ・子供の頃からシリコンバレー育ち、近所のハイテク企業に務める最先端エンジニアたちに囲まれた文化の中で育ったという要素

B ・自然食や代替医療やドラッグや座禅や・・・といった世界に、時に異様なほどのめり込んだヒッピーという要素

の2つは、すぐに思いつくと思いますし、それこそがスティーブ・ジョブズを作り上げたものの「すべて」のように考えてしまいがちです。

しかし、伝記を読んだ印象では、そのA・B両者に負けず劣らずというレベルで

C・「"ガンコな手仕事職人"としての養父ポールさんの薫陶」

の影響が大きかった感じなんですよね。

ポールさんは、ガラクタのクルマを買ってきて自分で修理して転売したり、近所のハイテク企業のエンジニアに頼まれて、試作品などを手仕事で作る職人・・・のような仕事をしていたそうです。

伝記執筆者のアイザックソンさんと生前のスティーブ・ジョブズが一緒に彼の生家を訪れた時に、ポールさんが手仕事で作った柵などについて自慢気に語っている様子を見ると、ポールさんの「そういう部分」は、スティーブ・ジョブズにとって「ほんとうに大切なもの」だったんだろうなという風に読めます。

「本当に良い仕事というのは、家具の壁側の見えない部分でも安い合板で誤魔化したりしないんだ、見えないところまでちゃんとやるのが本当の職人なんだ」というようなことをポールさんはジョブズによく語っており、後にスティーブが作った自社工場にポールさんを招いて、物凄く誇らしげに製造機械を見せたりしていたそうです。

もし、スティーブ・ジョブズを形成したものが、A 「シリコンバレー的ハイテク最先端とのふれあい」と、B「ヒッピーイズム」だけだったなら、彼の業績はあそこまでのものになっただろうか?という問いは、どういう方法でも検証しようがない問いではありますが、私はどうしても「Cがあったからこそ」と思う自分がムチャを言っているとは思いません。

さて、ここまで読んでいただいてありがとうございます。ではこの記事のタイトル、

iPS細胞の山中教授と、スティーブ・ジョブズの共通点は?

に戻ってみましょう。

そう、山中教授のお父さんも、町工場のおやっさんだったんですね。

そういう「ものづくり的な現場感」は、あらゆる権威をぶっ飛ばして「物自体」の実際感をちゃんと見る力を与えてくれるように思います。

学問的な知識の蓄積システムというのは、「常にその時代の最善仮説であるというに過ぎない」という宿命がありますから、「現場的に生きているありとあらゆる人間のリアリティ」とは乖離があって当然です。

でもそこで、「じゃあ学問なんて馬鹿馬鹿しいよね」となってしまわずに、人間が培ってきた「あの知識の総体」への敬意は持ちつつも、しかし「本当のリアリティっていうのは人間程度の認識を全く超えたところにあるもんだろ」というような

「適切なてやんでえ精神」

を広い範囲の人間が共有していることが、「科学というものの根本的性質」からすると最も「合理的」なことなんですよね。

「アメリカンにシステム化された国」と「もっとナマの人間の感情・習慣が残っている国」との間の軋轢が、ウクライナ問題やアフガニスタン問題をはじめとして世界を不安定にさせていく時代の中で。

アメリカの強権的なパワーで無理やり押さえつけていたものが、抑えきれなくなって世界中で噴出しはじめている時代だからこそ。

我々日本人は、

「半分野蛮人・半分文明人」という引き裂かれた特性の中で100年以上生きてきた自分たちの「根底的かつ積年の悩み」こそが、「世界で一番のホットトピック」になる時代

を生きています。

社会の中に、

「グローバリズム的なシステムを全拒否にすることなく、しかしその運用において常に現地現物のリアリティの確かな手触りの中から発想していくモード」=「適切なてやんでえ精神」

を満たす文化を満たしていくこと。

それが、単純に相手側を否定するだけの「グローバリスト」と「アンチグローバリスト」が全力でぶつかりあっている世界に、「あたらしい希望」を与える我々日本人の使命なのです。

私はそれを「項羽と劉邦作戦」と呼んでいます。(詳しくはこちら↓)

日本ならできる、日本にしかできない世界貢献は、「適切なてやんでぇ精神」の徹底共有から生まれるんですね!

「●●人を殺せ!」的な方向で噴出していってしまっているエネルギーを、「断罪」するのではなくて「良い方向に誘導」することを考えよう!という記事がこちら↓

湯川秀樹さん(1949年・物理学賞)

日本人のノーベル賞受賞者

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