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大阪都構想の投票結果について『分析』より大事なこと。

2015年05月22日 14時57分 JST | 更新 2016年05月20日 18時12分 JST

大阪都構想の住民投票は、物凄い僅差で否決されましたね。

 

個人的には結構ショックを受けて、数日ネットで何かアップするような気持ちにはなれなかったんですが、その後多くの人の分析や論評記事を拝読して、その分析自体には「ナルホド」と思うと同時に、あまりにも「この混乱した大阪の状況自体をどう好転させられるのか?」についての感覚があまり湧いてこない状況は良くないんじゃないかという気持ちを持つようになりました。

 

コンサル会社では、「分析としては面白いけど、どう打ち手に繋がるわけ?」というような手厳しい(笑)、でも本質的な指摘が上司からよくされます。むしろ混乱が増して前に進めなくなるような分析なら、いくら正しくても無い方がいいんじゃないかというような文化です。

 

まあ、そういうのはマジなアカデミック的には不誠実な態度ということになるのかもしれませんが、しかし、ただ分断をさらに煽るだけになる方向性しか示されないのは、誰のためにもなってないのではないかというように思いました。

 

目次は以下のとおりです。

1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう

2・粗い分析で対立を煽るより「実感」からのポジティブな話を

3・「細雪的調和」のタイミングを両派で睨みながら押し出して行こう

4・みんながええようにいったらええなあ

 

 

1・データの見かけと「そこにある本質」とのギャップを考えてみよう

 まず、少し脇道にそれますが、考える題材として非常に重要なことだと思うので、境治氏というコピーライターの方が書かれたネットフリックスというアメリカ企業に関する記事の話をします。

 

ネットフリックスはアメリカのVOD事業(ネットで注文するとネット配信でその場で映画とかが見れる)の巨大ベンチャーなんですが、彼らはユーザーの試聴履歴を解析して「あんたこういうの見たいんじゃないの?」というオススメを出すことで、既にユーザーの注文のの7〜8割がオススメから来ているほどらしいんですが、なんとそれだけの精度のオススメをデータから出しているのに、ユーザーの「属性情報」は一切取ってないそうです。

 

つまり、男性か女性か、何歳ぐらいか、どこに住んでいるのか・・・というような属性情報を一切取らずに、その"個人"の試聴履歴のビッグデータ解析からだけのオススメによって圧倒的な精度を実現しているわけです。

 

こりゃあ、なんというか凄い時代になったなあ・・・と、こういう話を聞くたびに私は思います。

 

つまり、70代の日本人女性でずっと日本に住んでいても長年通訳の仕事をしている人であるために勉強のためにアメリカの映画しか見ない(しかも超グロいゾンビ映画が大好物な)人もいれば、20代男性でニューヨークに住んでいるアメリカ人でも日本の超絶萌え系アニメを日本語で見ることにしか興味ない人もいるわけで、結局属性じゃなくて個人の履歴だけから「純粋に機械的」に検出されたオススメの方がフィットするという時代になったのだということです。

 

これは間接的に言うと、今回の都構想の結果について、「男女比・年代・どこに住んでいるのか」の見かけの数字だけに引っ張られると結構危ういんじゃないかということでもあります。

 

と、言うのも、今回の結果は、「属性情報」で切っていくと、どの視点で見てもだいたい「丸めてしまえば半々」ぐらいの差でしかないからです。

 

傾向として、キタに住んでる方が賛成派が多い、70代以上に反対派が多い・・・という程度のことは言えますが、しかし70代でも「比較的反対が多い」という程度です。

 

で、より重大なのは、「それほど真剣に確立した立場」をみんなが持っているわけではなさそうだということでもあります。要するに、反対を投じた人も、人生賭けた確固とした持論として反対というより、なんかちょっとした雰囲気の変化で・・・それこそ「地下鉄の敬老パスは絶対維持します!」って最後にもし橋下市長が思いつきで叫んでいたとして、それがニュース映像でちょっと流れてたりしたら「ほんなら賛成でもええか」になってる可能性があるという程度のことである可能性があります。

 

私はブログでも著書でもあんまり「データ」を提示しない人間で、その辺今の流行とは随分違うモードで書いてるんですが、それはコンサル会社的体験から、「結論ありきでデータって適当に作れちゃうんだよなー」という諦観が染み付いてしまってるからでもあります。で、賛成側も反対側も必死で「自分に都合の良いデータ」を突きつけ合っていても、憎悪がお互いに募るだけで前向きな話にならないということについて結構真剣な危惧を抱いています。

 

もちろん、「考える素材を提供するブログ記事」として大事だというのは絶対的にありますし、学問の現場や経営の意図決定の現場において物凄くクローズドにプロフェッショナルを集めて密度を高めた人間関係の中でシッカリデータと向き合うチームがいる場合は別なんですが、ネットを介した分散的コミュニケーションのようなフワッとした場においては、常に「データの見かけ」の裏に「現実」があって、それはどの程度このデータのメッセージと対応しているのか?については、一歩引いた目線で考えた方がいいと私は考えています。

 

(余談ですが、「本当に凄いビッグデータ分析」的なものは、むしろ結構「ぼんやりした人間の直感」的なものに近づきつつあり、「属性情報的な切り口から切っていく人為的な分析」の問題点が徐々にホリスティックに克服されるようになってる時代だなあという感触を私は持っています。)

 

 

2・粗い分析で対立を煽るより「実感」からのポジティブな話を

 

というわけで、粗い分析で対立を煽るより、あえて「実感」からのポジティブな話を・・・というコンセプトで今回の投票結果をまとめると、

 

今回の問題は、そもそも票数的にほぼ互角だった上に、

「反対派」の中にも今のままでいいとは思ってないが、しかし橋下・維新の今回の構想には反対するという人が多くいる

 

 ことから、この問題については、

「何らかの改革が必要ということはほぼ全員が考えている。しかし、誰がどうやってやるか?については色んな意見がある」

 

 という状況なんだという風に理解するのが良いのだろうと思います。アカデミックな専門家以外が今後を考えるにあたっては、これ以上「分割」し始めてもあんまり良いことないんじゃないかと。

 

また、今回は「反対派側」も、推進側に対抗するために、

・「そういう改革は都構想じゃなくてもできる」

・本来我々はもっとラディカルな道州制に向かうべきで、都構想なんて中途半端である

 

といったような空手形を切りまくっており、これがちゃんと回収される状況になるのならば、橋下維新的な存在が「やりすぎ」てしまう部分を柔らかく受け止めつつ、「本当に必要な改革」は実現できる・・・という情勢に持っていける可能性があります。

 

橋下氏が「敗戦会見」で、嫌われても論点を明確化するようなリーダーはどうしても必要だったが、しかしそういう存在はワンポイントリリーフであるべきだ、これからは敵を作らないタイプのリーダーが前に進めるべき時だ、というようなことを言っていて私はかなり感動してしまいました。

 

橋下氏が嫌いな人は、橋下氏やその周囲にいる人間を徹底的にゲスなエゴの塊のように理解する傾向がありますが、今の日本において彼のような立場にある人が陥りがちな難しい状況を考えると、彼の上記の言葉だけは、一度虚心で受け止めて次に活かして欲しいと思っています。

 

何もせずにただ衰退するのが嫌だという人が多くいる状況の中で、なんとか改革を形にしたいと願う人間は、多少なりとも荒っぽくならざるを得ない(特に日本のような現状維持の惰性が強力な社会においては)。そしてその時に「橋下氏のゲスなエゴ」のように見えるものは、実は「あなたが生きている世界の見せかけの安定の裏に弾き出された無理」が噴出しているだけでもあるのです。

 

彼らとは違う良識的なやり方で、しかしちゃんと前向きな変革を実現していく情勢を作れた時に初めて、あなたは橋下氏がゲスだと嘲笑う資格を得ると言えます(でも多分その時期までなったら彼への適切な敬意も湧いてくると思いますが)。

 

「絶対反対」になってた70代のご老人だって、「大阪がこのまま沈むだけやったらアカンというのはワシも同意しとる!」ぐらいの浪花節回路にちゃんと接続できれば前向きになれる可能性だってあるわけですし、橋下氏が起点となって明確化した論点を、ちゃんと前向きに取り入れることができるかどうかが、「勝利者」に今後厳しく問われる状況になっていくでしょう。

 

で、今後どういう「ゴール」が考えられるのかについて、随分前から私は「細雪的ゴール」が実現したらいいなあと思っています。細雪?まあ詳細は最後まで読んでいただければと。

 

その前にちょっとだけいつもやってる自己紹介を、色んな人にシツコイと言われながらもするんですが、私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「"右傾化"といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

 

そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)

 

で、その遍歴的に結論的に考えるようになった「あるべきゴール」は、結局この「対立」は果てしなく続いて行くしかないが、続くに従って「環境条件」が変わってくるので、幕末期に水と油のような性質の違いを持っていた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結んだように、「適切な新しい連携」が生まれてくる情勢になるだろう(そこまで行くには対立し続けるしか無いが、いざという時の連携についてはみんなが考えていけるようにしよう)ということを考えています。

 

詳しくは、投票前に書いた記事↓をお読み頂きたいのですが、

大阪人の"ダメ人間化スパイラル脱却"の為に都構想実現を! - 倉本圭造(経営コンサルタント&経済思想家)のブログ

http://keizokuramoto.hatenablog.com/embed/2015/05/13/053423

 

アメリカ一極支配が緩んでくるここ何年かの世界の中で、昔なら「市場原理主義」vs「アンチ市場主義」は「お互い物凄く極端なこと」を言わざるを得ない状況だったのが、徐々に「本当の経済合理性」を両派の合意で実現していける情勢に近づいて来ています。

 

「市場側」が言うことは、5年前だともっと極端で、日本ならではの優秀性の確保伸長といった視点が全くない「グローバリズムの威を借るキツネ」みたいな言説になりがちでしたが、最近は世界的な情勢変化もあり、また「派手な旗を立てなきゃいけない商売事情がある"論客"サン」たちとは違う「多くの普通の働き手」の間に「良識的な共有感」が出てきているので、逆に物凄く「アンチ市場」なことを言う論客の方が徐々に歴史的使命を終えつつある情勢になってきている。

 

そういう「全体的な歴史の流れ」を考えると、過去10年「どちらかの極論」に走れずにグダグダやってきた我が国ならではの、

てめーら、日本は果てしなく何も決められずに沈んでいく終わった国だと思ってただろ!?

しかし、これぞ我ら一子相伝の深謀遠慮の『策』なのだッ!

これから「死中に活を求める」という「知恵を超えた智慧の力」を見せてやるぜッ!

 

的な連携を生み出していける可能性があるということです。

 

つまり、韓国やシンガポールやアメリカのような、「狭義のグローバリズムに直接フィットする存在だけを伸ばして他をなぎ倒してしまった国」にはできないような、「最先端性と底辺の安定性を両立する良識的な市場主義」の実現においてトップランナーどころか世界の希望になれる可能性がある。