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大阪人の"ダメ人間化スパイラル脱却"の為に都構想実現を!

2015年05月13日 16時43分 JST | 更新 2016年05月12日 18時12分 JST

大阪都構想の住民投票が迫り、推進派・反対派の宣伝合戦がタケナワです。

 

それについて、「賛成派・反対派」の両方のカルチャーの事情を身を持って知ってる私なりに議論に役立つような視点が提供できそうなので書きます。

 

というのも、都構想を推進しているグループには、私が昔いたマッキンゼーというコンサルティング会社の人間がブレーンとして多く関わっていて、元直接の上司や、先輩などからたまに話を聞くことが過去にありました。今も私は経営コンサルタントだから彼らがやりたいことは内容としてわかります。

 

一方で、過去に私の本を出してくれたある編集者の人は、「都構想絶対反対派」の有名人のほとんど全員と次々と仕事をする人で、その結果私が出している本の読者の人をツイッターなどで見かけると、かなりの比率で「大阪都構想絶対反対」という人が多いです。

 

だから私は「2つの全く違うカルチャー」の交差点にいると言っていい。

 

そもそも、私はそのマッキンゼーに入ってから、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「"右傾化"といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきた人間なんですね。

 

そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)

 

だから、「反対派」側のカルチャーの人の言うことは凄いわかるし、それこそ人生色々かけて「反対派のカルチャーの人たち」の言うことを理解し、活かそうとしてきた自負があるわけです。

 

ちなみに私は神戸出身で今は関西に住んでませんが、大阪は父親及び多くの親族の故郷で、マッキンゼーの後転職した船井総研という会社時代の職場であり、その当時の取引先が多くあり、当時交際していた女性の家に転がり込んで住んでいた街であり、さらに上記の「訪問販売」時代にはありとあらゆる大阪の下町の路地の奥まで入り込んで訪問販売してたぐらいの関わりはあります。

 

で、そういう人間なりに意見を述べたいんですが、全体としては

反対派の意見も理解できるところはあるが、ここは前進しといたほうがええで!

と言う話をしたいと思います。

 

目次は以下の通り。 

1・反対派の議論は正直あまり説得力がないと思う。

2・"安定性維持"のための反対派の懸念はわかるが、動き出すことでその懸念も吸い上げられるようになる。

3・大阪人特有の「ダメ人間化スパイラル」脱却を!

 

 

1・反対派の議論は正直あまり説得力がないと思う。

例えば反対派のボス的存在?の京大大学院教授の藤井聡氏が書いた「7つの事実」というキャンペーンがあります。

 

これは反対派の方々の中ではかなりの頻度で引用される内容で、字面を読むとちょっと説得力ありそうなんですが、しかしよく考えてみるとかなりイチャモン的な内容なんですよね。

 

大きな改革をとりあえず一歩めから始めようという話に対して、「完全な理想像」をぶつけて論破したつもりになってる感じというかね。

 

「現状のシステム」を基準に「改革案」にケチをつけはじめたらいくらでもできるんですが、しかし「とりあえずこれから始めて、問題があるんならそれも全部取り入れて行ったらええやん」という発想でいかないと結局何もしないまま緩やかな衰退だけが続くことになるので。

 

 例えば今回の投票が、「都構想」自体の実現の投票じゃないというのはそうなんですが、ちゃんと動き出したら、だんだん広範囲に広げていけばいいし、「東京の特別区にありがちな問題を避けられる"良い特別区"」を自前に考えて制定していけばいいし、名前だって都に変えたらいいだけの話なんでね。

 

他にも一個一個についてコメントしてもいいんですが、箕面市の倉田哲郎市長の書かれたこの記事が凄くまとまってるし、説得力があるように思いましたのでそちらをご参照いただければと思います。(特に4と5についての反論が、都構想推進者が持っている問題意識をちゃんと説明している良い内容だと思います)

 

2・"安定性維持"のための反対派の懸念はわかるが、動き出すことでその懸念も吸い上げられるようになる。

で、「反対派」に対して私が一応理解できるのは、「反対派の言ってる内容」ではなくて、「橋下氏的なもの」がこのまま前進していった時に社会の安定性が保てるのかどうか?っていう部分なんですよね。言ってる「内容」はともかくその「危機感の表出」という意味では理解できる。

 

実際、橋下氏が府政・市政を担うようになってから、「改革」を行ったいくつかの領域で直撃的な影響を受けた人の中には、ほとんど「憎悪」というレベルでの反対を唱えている人がいますし、そういう人たちの反論のうちの"かなりの部分の"意見は傾聴に価すると思います。

 

そりゃ過去の改革の中には「失敗」も結構あっただろうと思います。

 

要するに「全体的なガバナンスを利かそうとする動き」が「現場的な安定性を損なってしまう作用」というジレンマは常にあるからですね。

 

まさに「そういう問題意識」ゆえに、冒頭に書いたような私の「色んな人になんでそんなアホなことを?と言われ続けた模索」はあったわけなので、その問題意識は物凄くわかる。

 

で、この問題について色々と探求してきた私から、「反対派側の懸念」を共有しているあなたにお伝えしたいことは、

 

むしろまず一歩動き出すことでその懸念も吸い上げられるようになる。

 

ってことです。

 

逆に言うと、どっかで前に進み始めないと永遠に"改革派"は余計に過激にならざるを得ない構造があるんですよ。←これ、凄い凄い大事なことね。

 

例えば反対派の論調の中に、「それは都構想でなくてもできる」という文言が多くあって、その辺が例えば「都構想による財政削減効果の算出」の時に全然違う数字になることに繋がって来るんですが。

 

で、まあ「都構想でなくてもできる」のは理屈としてはそうなんですが、それを誰がやるんだ?っていう話があるんですよね。

 

とりあえず維新がある程度の支持率を得ていて、まとまった方向性が示されている時にやらないと、絶対誰もできないですからね。

 

だから、「橋下氏の改革が荒っぽいものにならざるを得なかった」責任は、「反対派」の一部にもあるっていう発想が必要なんですよ。

 

セクショナリズムが横行して、全員が自分の身の回りのことだけを見ていて、その「身の回り」についたら凄い責任感もあるけど全体で見ると連携が全然なくて、その結果として末端にヒドイ不幸がシワ寄せされる・・・っていうのが「日本人のよくある過ち」ですよね。(先の大戦の反省を本当にやるならまさにその問題をどうするかを考えないといけません)

 

その「大きな連携を取ろうとする動き」に対して誰も協力しないでいると、「連携を取ろうとする動き」は、荒っぽくなっても前進せざるを得なくなる。

 

だから逆に、「やるぞ」という方向で固まれば、「じゃあどうやるか」の中に「反対派の懸念」も入れ込める情勢になるんですよね。

 

で、「構図」的には実は似たような問題を抱えている大塚家具のお家騒動問題について書いた記事↓

keizokuramoto.hatenablog.com

でも書きましたが、これは例えば「5年前」ならできなかったことなんですよ。

 

5年前なら、まだ世界全体の情勢的に、「アメリカの一極支配」が強くあったから、「市場原理主義者」的な経済評論家とかコンサルタントは、「現場的なもの」を抑圧しすぎる方向に暴走しがちだった。

 

その時期には、やはり「アンチ市場主義」的なものの中の原理主義的な人たちにも意味があった。

 

が、世界情勢が「アメリカvsイスラム国」的な多極化時代に入って、「どっちが完全に正しいわけでもない世界の空気」が強まってきている中で、今の日本は「その次の理想」を描ける理想的ポジションにいるんですよ。

 

その結果、例えば最近デーヴィッド・アトキンソン氏という元ゴールドマン・サックスのイギリス人金融マンが、小西美術工藝社という日本の伝統工芸の会社を再生させた話などがフィーチャーされるようになってきている。

 

アトキンソン氏は、小西美術工藝社の社長になってから、文化財の質に関わらないコストを徹底してカットした上で、果てしなく年功序列で上がっていく職人の給料を高齢層の部分である程度抑制した分、若手職人を全員正社員として登用、技術の継承にも力を入れ、また国内の文化財の修復には中国産でなく日本産の漆を使うべきだという運動を起こして実現させたり・・・と、八面六臂の大活躍をされています。

 

配慮しながら「全体最適」的なガバナンスを通すことで、むしろ「現場的な強み」がちゃんと活かせる構造を生み出すような結びつきが生まれてきている。

 

「ゴーサイン」がちゃんと出るまでは、お互い絶対譲れないから、改革派も荒っぽくやってしまう部分が出ていたんですよ。

 

でもちゃんと「前に進むぞ」と決めることで、「あたらしい着地点」へと"より丁寧に動いていく"ことが可能になるんですね。

 

大事なことやからもう一回言うとくでぇ↓

ちゃんと「前に進むぞ」と決めることで、「あたらしい着地点」へと"より丁寧に動いていく"ことが可能になる

 

で、一歩ずつ「あたらしい均衡点」が歴史的に近づいてきてる結果、5年前は「市場原理主義的なこと言う人」の方がちょっとイタイ感じだったんですが、最近は「アンチ市場」なことを原理主義的に言う人がだんだん「イタイ人」になって来ているところはあると思います。

 

金持ち老人の道楽としての「清貧思想の押し付け」とかね。あるいは「じゃあ物凄い巨大な土建国家にするってこと?」っていうようなビジョンとか。

 

アンチ市場主義者の"懸念自体"は正当なものなんですが、だからといってその先にある「未来」に希望はないですからね。だから「前に進む決断」が公的になされるまでは、永遠に「改革派が過激にならざるを得ない構造」があるんですよ。

 

だからこそ、とりあえず「前に進むこと」だけは決めた方がいいんですよね。

 

3・大阪人特有の「ダメ人間化スパイラル」脱却を!

で、もうちょっと大きな話をするとですね。

 

私の母親は、都構想賛成派らしいです(ただし神戸市民なので投票権はない)。その理由は、

だって、"都"が東京だけのモンやなんてずるいやん!

 

 だそうで(笑)

 

そんな理由かよ!って感じですけど、でもこれ結構大事なことやと思います。

 

と、言うのも前述したように私は大阪に住んで大阪の会社で働いて大阪の色んな会社と仕事をして、さらには大阪の下町の路地の奥の奥まで訪問販売で中に入ってって色んな人と直に接してきた経験から言うんですが、今の大阪人の負け犬根性というか「ダメ人間化スパイラル」はほんと良くない感じなんですよ。

 

でも、昔はそうじゃなかったはずなんですよね。今の「大阪イメージ」と、本来の「大阪イメージ」は随分違ってきてしまっている。

 

「誇りある実質主義の商都大阪人」として頑張ろうぜ!じゃなくて、どんどん「競い合ってダメ人間ぶることで自分たち自身をも傷つける競争」みたいになってしまってるんですよ。

 

ブランド品を買った時に、大阪の人間は「いかに安く買ったかを自慢しあう」という話がありますが、そんな感じで大阪には特有の「どれだけ正直に生きてるか競争」をする巨大な磁場が働いてるんですよね。

 

で、それは「嘘くさい虚飾を廃する商都大阪の誇り」みたいなものだったはずで、良い方向に回り始めたら「次はこんなんやったろ!どや!東京には敗けへんでぇ!」的な好循環になるは