BLOG

東芝にはサムライがいなくなったのか?

2015年07月25日 21時47分 JST | 更新 2015年07月25日 21時47分 JST

東芝の不適切会計事件の推移を息をひそめて見ています。私は2007年に東芝を退職したので、辞めてから8年になります。

辞めたとはいえ、今でも古巣には愛着があります。共同研究をしていたり、そして何よりも毎年のように卒業生が東芝に就職していきます。もし学生たちが私を見て「東芝に就職したい」と思ってくれていたとしたら、彼らに対して責任を感じます。

不適切会計に関しては成り行きを見守るしかないですが、残念なのはOBまでもが東芝の全てがダメになったかのように言っていること。

例えば7月21日のNHKの記事「東芝 見かけ上の利益かさ上げに組織的関与」の一部を引用すると、

「第三者委員会の報告書は「上司の意向に逆らうことができない企業風土」も背景にあったと指摘しています。こうした点について元役員は「東芝の社員は優秀だが、サムライがいない。上にモノを言えないし、言える人がいたとしても飛ばされてしまう」と話しています。また別の元幹部は「今の幹部たちには事なかれ主義がまかり通りすぎている。よくも悪くものびのびと新規事業に取り組むというかつての社風がなくなった。締め付けが厳しいからこんなことになったのかと思う」と話すなどこの数年間で社内の雰囲気が変化したと指摘する声が上がっています。」

私はこの不適切会計が起こる前、2007年に東芝を退職していますので「この数年間で社内の雰囲気が変化した」かについて判りません。

ただ「サムライが居なくなった」と断じては、今でも東芝で頑張っている、特に現場のエンジニアたちが気の毒です。OBの一人として残念に感じました。

私が居た半導体メモリ部門には、この元役員の方のように外部には語らないけれども、現在の東芝の利益の7割近くを叩き出して会社を支え続け、フラッシュメモリの開発競争で三星と世界トップを競い続けるエンジニア達が居ます。

この5年間に1500億円超の不適切会計がある一方、累計1兆円強の営業利益を出しているのは、こうした現場のサムライ達の頑張りのおかげではないでしょうか。むしろ、NHKのインタビューに出てくるような元役員のような人達こそ、「サムライでなくなった」のではないか。

フラッシュメモリは東芝が発明した製品です。デジカメ、メモリカード、USBメモリなどに使われ始め、iPod、スマートフォン、タブレット、パソコンなどの記憶媒体として使われるようになりました。

今では「ビッグデータ」「IoT(Internet of Things)」「CPS(Cyber Physical System)」と言われるように、人間が作ったデータのみならず実世界の様々な場所にセンサを配置し、センサが取得したデータを活用することで、自動運転車やインダストリ4.0など新しいサービスや社会システムが生まれようとしています。

クラウドデータセンタでビッグデータを蓄えるメモリやストレージの市場の急拡大が予想されますが、この市場でもフラッシュメモリは有望なのです。

私も1990年代の前半から15年近くにわたり、東芝でフラッシュメモリを立ち上げるという貴重な経験をすることができました。世界で初めての製品を立ち上げるのは、常に周囲の無理解との戦いでした。

詳しくは「世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記」に書きましたが、常識的にはできないことをやってのけるから、大きなブレークスルーになるのです。

「そんなことはできっこない」と否定され続けても挫けない先輩や上司、仲間と仕事ができたことを、今でも誇りに思っています。

フラッシュメモリはメモリ素子を小さく作る微細化によって、大容量化・低コスト化を行ってきました。最先端の製品ではメモリ素子は15ナノメートルです。

しかし「ムーアの法則の限界」と言われるように、微細化するために必要なリソグラフィー装置の高コスト化や、メモリ素子自体の物理的な限界から、従来のように平面上で微細化を続けることが難しくなりつつあります。

そんな中、昨年、半導体の歴史の中でも特筆すべき、ブレークスルーがありました。

2次元に小さくできないのであれば、3次元にすればよい。いわば高層ビルを建てるようにメモリ素子を立体的に積み重ねることで大容量化する、3次元フラッシュメモリが実用化されたのです。

このBiCS(Bit Cost Scalable)フラッシュメモリという3次元フラッシュメモリを発明し、2007年に世界で始めて動作を実証したのは東芝のエンジニアです。3次元メモリのコンセプト自体は随分前からありましたが、微細なメモリを「下から積み重ねて」作ることが難しく、実用的とは考えられていませんでした。

一方、BiCSでは作り方を変えました。メモリの材料となる膜を積み上げてから、小さな穴を空け、掘った穴と膜の交点に3次元に微細なメモリを作る。

従来は「常識」と考えられていた「積み重ねる」のではなく「下に掘る」という発想の逆転です。技術に興味のある方は、こちらをご覧になって下さい(「超大容量不揮発性ストレージを実現する 3次元構造BiCSフラッシュメモリ」)。

この東芝のBiCSの開発者は実はDRAMの「リストラ組み」です(失礼な言い方で申し訳ありません!)。東芝は2001年にDRAM事業を撤退し、社内で仕事がなくなった元DRAMエンジニア達がフラッシュメモリのブレークスルーを成し遂げたのです。

BiCSを作るためには、小さく細長い穴を掘る必要があります。これは2次元のフラッシュメモリには無い技術で、フラッシュメモリの技術者でしたら「できるはずない」と思うような難しい技術です。

一方、東芝のDRAMは「トレンチキャパシタ」という、シリコンに小さく細長い穴を掘って、コンデンサを作りこむ技術を得意としていました。つまり、DRAMで「穴を掘る」ことを得意としていがエンジニアが、(DRAM撤退でやむなく)フラッシュメモリ部門に移り、フラッシュメモリに「穴を掘る」技術を転用することで、BiCSが生まれたのです。

東芝は今年の3月にBiCSフラッシュメモリの実用化を発表しました(「世界初 48層積層プロセスを用いた3次元フラッシュメモリ(BiCS)の製品化について」)。

2次元メモリから3次元メモリへという、技術の転換点でもあり、ビッグデータという膨大なデータを記憶するメモリ市場が生まれる矢先に今回の事件が起こりました。韓国の三星電子と世界トップの座を争う戦いの中では、一瞬でも立ち止まったら負けてしまいます。

先ごろ、中国の半導体大手、紫光集団が米国唯一のメモリメーカーのマイクロンテクノロジーを2兆8400億円で買収する提案があったという報道がありました(「中国半導体、2兆8400億円で米マイクロンに買収提案」)。このようにビッグデータ時代に重要になるメモリの覇権を巡って、世界では熾烈な競争や駆け引きが行われているのです。

不適切な会計処理に対してどのようなペナルティを課すべきか、東芝という企業のあり方については、今後様々なステークホルダが決めていくことになるのでしょう。経営やガバナンスを変えなければいけないことは言わずもがなです。

その際に、現場で戦うエンジニア達や世界トップの技術、フラッシュメモリ事業は大切にしてもらいたいと切に願っています。

最後に、私は波乱万丈のフラッシュメモリの立ち上げを通じて、東芝には育てて頂いたと今でも深く感謝しています。

その一方、「東芝の卒業」を決意したひとつの理由は「頑張っても報われない」という虚しさでした。

会社の利益の大多数に貢献をしていながら半導体メモリ部門出身の社長は居ませんでした。不祥事後に暫定的に「半導体メモリ出身の初めての社長」が誕生したのは皮肉なものです。

そして、これは個人的な感傷ですが、20年以上にわたり、まさにゼロからフラッシュメモリ事業を牽引してきたリーダーが東芝を去ることになったのは、ただただ無念です。

(2015年7月25日「竹内研究室の日記」より転載)